第18話 『パイタッチ』と【怪しいおクスリ】と「ダイレクト吸引」
【いっ……今、何を言ったの、姉さん?】
《はっはっは。
【な、なに馬鹿な事言ってるのよ!】
《安心しろ。何も今すぐにという訳ではない。ちゃんと高校卒業までは待つし、進学希望であれば大学に通いながらの学生結婚でも構わない》
【じ、時間の問題じゃないでしょ!】
《ほう、では何が問題なんだ?》
【な、何って……姉さんと灰咲君がまともに話したのは今日が初めてじゃない……】
《ほんの数秒前に時間の問題ではないと言ったのは誰だったかな?》
【そ、それはそういう意味じゃ……こ、こんな簡単に結婚を決めるなんて馬鹿げてるわ!】
《簡単に、ではない。客観的に判断して、将来SRGのトップに立つ能力は十分だと自負しているが、どうやら私は著しく人間味に欠けるらしい。血の通わない金を生み出す事はいくらでもできるが、社員はそれだけではついてこない――人の心を汲む力と、人にイジられるような愛嬌を併せ持つ彼が隣にいてくれれば、人間的魅力の方面を全て任せる事ができる。『力』と『心』――私と灰咲君のツートップ体制になれば、SRGはこれまで以上に勢力を拡大するだろう。世界の名だたる企業と渡り合えるくらいにな》
【そ、そんな打算で婚姻するなんて……なんというかその……ええと……よくないわ!】
《動揺で語彙力が著しく低下しているようだが、無論損得勘定のみではない。容姿も好みの部類だし、何よりも彼の精神性に惚れたんだ》
【ほ、惚れたって……い、いや、だって……その……】
《愛する妹よ。素直に言ったらどうだ? 『灰咲君を好きになったのは私が先なんだから横取りするなんて許さないんだから!』――と》
【っ!? だ、だから私は別に好きじゃないって言ってるでしょ!】
《それは好都合。では私のものにしても何の問題もないな?》
【それはやだ!】
《おお、まるで駄々っ子じゃないか。やっぱりこっちの方がかわいいぞ。昔、たまに会った時には『お姉ちゃんお姉ちゃん』と、我が儘を言ったり甘えたりしてくれたじゃないか――こういう感じの方が素なんだろう?》
【違うもん!】
《はっはっは! それだそれだ。まあシングルとなった
【だ、だから、灰咲君は関係ないって言ってるのになんで分かってくれないの!】
《それは好都合。では私のものにしても何の問題もないな?》
【やだって言ってるのにぃ……そ、そうやっていつも私を馬鹿にして……お姉ちゃ――じゃなくて姉さんのそういう所が――】
《――なんてな》
【…………え?】
《はっはっは。嘘だ嘘、全て冗談だよ。お前があまりにも奥手なもんだから、自分の気持ちを再認識させてやろうと思ってな》
【じゃ、じゃあ、おね――姉さんが灰咲君を好きっていうのは……】
《お前の言う通りだ。感心こそすれ、こんな短時間で将来の伴侶と判断するなど、あまりにも馬鹿げている》
【そ、そうよね……姉さんにも人並みの常識があって安心したわ……ふう、よかっ――】
《――なんてな》
【…………え?】
《ふはははははははっ! 嘘というのは嘘だ! 人を好きになるのに時間も理屈も関係あるか!》
【……は?……ふ、ふざけないでよ! 人を弄んで……一体どっちが本心な――】
《触ってみろ》
【な、何を……】
《感じるだろう、この胸の鼓動を。先程、彼が『一手を打った』瞬間から全く収まる様子がないんだ。言葉はいらない――これが私の答えだ》
【ね、姉さん…………本気なの?】
《私は本当に勝ちたいと思った勝負において、負けた事は絶対にない――たとえ相手どこの誰であろうとな》
【っ……】
《とはいえ、容姿や体型はともかく性格面においては男好きのするものではないという自覚はあるからな。金銭や地位に目が眩む人間でもあるまいし……攻め方は考える必要があるな》
【ちょっ……な、なに帰ろうとしてるのよ。こんな中途半端なままで――】
《私は気持ちを表明したぞ。中途半端なのはお前だけじゃないか?》
【ぐっ……】
《はっはっは! ではさらばだ愛する妹よ。愛する人間をお
【あっ……待っ――】
◇◇◇◇◇◇◇◇
【な、なによ……なんなのよ、あれ……】
【いつも……いっつもそう……人の事さんざんからかって、やりたい事好き勝手にやって、おまけにそのやりたい事っていうのは狙ったように、私が嫌がる事ばっかりで……】
【嫌い……お姉ちゃんなんて大っっっっ嫌い!!】
【でも……でもどうしよう。お姉ちゃんが本気になったら、灰咲君……とられちゃうよ……】
【なんで…………なんでなの? お姉ちゃんは私にないものをたくさん持ってるのに……もう何もいらないでしょ?……奪わないでよ……私は……私はこんなに灰咲君の事を――】
「呼んだか?」
【ふにゃああああああああああああっ!?】
《うおっ!》
【はっ……はははっ……灰咲きゅん、ど、どぼちてここに!】
《わ、悪い……何回ノックしても反応がなかったから入ってきちゃったんだけど……なんかまずかったみたいだな……》
【いえ、まずい事なんて何にもないわ】
「めっちゃ急にスンッ、ってなったな……」
【急に? ちょっと何を言ってるのか分からないわ】
「いや、なんかものすごい取り乱してるみたいだったから……」
【幻覚でも見たんじゃない? 灰咲君こそ落ち着いた方がいいわ。お茶を煎れるからちょっと座ってて】
「あ、無理しなくていいぞ」
【無理なんてしてないわ。頂き物のいい茶葉を家から持ってきてあるの。ほら、とてもいい香り。早速これを急須に――ごっふうううううううううっ!?】
「なんで急須じゃなくて直接自分の口にお茶っぱ放り込んだ!?」
【ごふっ!……げふっ!……げほげほげほっ!】
「ほ、ほんとにどうしたんだお前……なんか動揺してるんだったら無理に動かなくていいから」
【茶葉の香りをダイレクトに楽しみたくなる――そんな午後だってあるわ】
「いや、ねえよ……」
【上級者になると、鼻から直接吸引する嗜み方もあるわ】
「怪しいおクスリですねそれは!」
【まあ素人の灰咲君には普通の煎れ方の方がいいわよね。ちょっと待ってて】
「いや、だから無理しなくていいから……お茶飲みたいんなら俺がやるから……」
【あら、私のお茶が飲めないっていうの? こだわりがあるんだからやらせて頂戴。大事なのは蒸らし時間よ。まあまずはポットから急須にお湯を入れて――ごっふああああああああああっ!?】
「うわああああああっ! だからなんで自分の口で受けるんだお前!? きゅ、救急車だ救急車! 大火傷だぞこれ!!」
【げほっ! ごほごほっ!……電源が抜けていたみたいでぬるま湯状態だったから大丈夫よ】
「そ、それならよかった……いや、よくはないけど……ってかマジでどうしたんだお前……上の空にも程があるだろ」
【ポットの吐くお湯をダイレクトに楽しみたくなる――そんな午後だってあるわ】
「だからねえから……」
【上級者になると、鼻から直接お湯を吸引する嗜み方もあるわ】
「うん、それはただの鼻うがいだな……」
【……とにかく私はお茶が煎れたいの。邪魔しないでちょうだ――】
「駄目だ」
【な、何よ、そんな怖い顔して……】
「今のだって、1つ間違えばとんでもない事になってたんだぞ。いいからとりあえず落ち着け」
【だから私は別になんともな――】
「
【………………そうね、ごめんなさい】
「――会長が、いたんだな?」
【……………………………………………なんでもお見通しなのね。その通りよ。会長――いえ、姉がご丁寧に解説してしまったわ。貴方が答えに辿り着いた事をね】
「やっぱりそうか……交渉しようと思ってた会長がどこにも見当たらないから、もしやと思って戻ってきたんだけど……」
【交渉?】
「ああ……『黒妃の引き抜きを今回は気まぐれで諦める事にした』って風にしてもらおうと思ってさ」
【……成程、自分が問題を解いた事を私に悟られないようにする為ね。だから集中できないなんて嘘をついてまで、彼女を追いかけたのね】
「それもあるし、あのまま黒妃や
【そう……色々と気を遣ってもらったみたいでありがとう。でも姉が全てを台無しにしてしまったわ。そう……私は青龍寺の血を引いているの】
「黒妃、俺達はたとえお前が――」
【大丈夫よ、灰咲君。そこに関してはなんの不安もないの。秘密の漏洩も勿論の事、貴方もフワリスも今まで通り接してくれるって100%確信してるから。フワリスにも明日、私の口からちゃんと説明するわね】
「……え?」
【わざわざあんな迂遠な方法をとってまで、私が気付かないようにしてくれたのにごめんなさい】
「い、いやそれはいいんだけど……じゃあ今、なんでそんなに取り乱してるんだ?」
【……え?】
「いや、俺はてっきり、自分が青龍寺の血縁者だってバレた事に対して動揺してるんだと思って……もちろん俺もフワリスも態度が変わるなんて事はないけど、それにしても知られるのは嫌だったろうと…………黒妃、一体なににあんなにテンパっていたんだ?」
【…………………】
「黒妃?」
【……………………………………………………………本物の怪しいおクスリを鼻から吸引しようと思っていた所に、灰咲君が入って来たからよ】
「同好会解散ってレベルじゃねーぞ!」
【………………………………………………………………実はおしっこ漏らしてたから、ポットのお湯を顔面に被ってビチョビチョにする事でごまかせると思ったの】
「顔から放尿する生き物じゃないと無理ですねそれは!」
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