高等数学の利益
■アマネ
国語力を十分に有した状態で数学を学ぶと、また良い効果がある。
例えばそれは、三角函数や微分積分、ベクトルだとか複素数だとか、これらが素晴らしい効果を与えてくれる。
■サトエ
ええ?
それらって難しいばかりで何の役にも立たない代表格だと思うんだけど。
■アマネ
そう思ってしまうのは、それら理論への読解が不足しているからだろう。
だから、先に国語をやった方が良い。
■アマネ
その上で、じゃあこれらが何の役に立つかと云うと……。
簡単に云うと、視野をとても広げる事ができるのだよ。
■コウタロウ
視野を……?
■ジュン
難しい論理を捏ねる人って、寧ろ頭でっかちで視野が狭い気がするんだけど。
■アマネ
それは論理とか高度な理論がどういうものか理解もせず、頭も使わずに聞きかじった知識を披露しているだけの者なのだろう。
■シン
めっちゃ悪口云いますね。
■アマネ
うむう、まあ決めつける訳でもないが……。
と云うのもな、例えば複素数と云うのがどういうものかを理解していれば、その視野の広さ、アイデアの豊富さを理解できているはずで、とても画一的な思考に縛られるなんて勿体無い事には繋がらないと思うのだ。
いやまあ主観は多様だから一概に云えるものでもないのだが……。
まあ良い、とにかく説明をしよう。
■アマネ
まず具体例だ。
二次函数の解は、実数の範疇では解がない場合もある。
だが、複素数の範疇まで視野を広げれば、全てに解を得る事ができる。
複素数と云うのは、実数の他に虚数と云うものを想定し、その組み合わせで一つの数を表すようなものなのだが、まあ複素数の細い話は良い。
■アマネ
重要なのは、実数レベルで解決できないなら、視野を広げて、複素数レベルで考えれば良いじゃないか、と云う事なのだよ。
そんなように、視野が広がる。
手持ちの道具でどうにもできないなら、より新たな道具を手に入れれば良い。
視野が狭いと云うなら、広げれば良い。
そう云う事なのだ。
■アマネ
しかもそうして構築した複素数が、また独自の新たな振る舞いや性質をみせたりもする。
そうして、ただの道具ではなく、実は新しい世界までもが生まれているのだと気付く。
視野を広げた結果、見えていなかった世界さえ、認識できるようになるのだ。
そうして更に多くの事が判るようになる。
■アマネ
或いは、複素数と云うのは二次元的な数だ。
実数と云うパラメータと虚数と云うパラメータの二つに依って一つの点を表す。
■アマネ
それに先立って、坐標平面と云うものを授業で教わっていると思うが、この坐標の考え方を適用すれば、複素数を図形的に扱うことができるようになる。
そうすると、ベクトルと云うものも扱う事ができるようになるし、ベクトルの計算に依って複素数を色色と操作できたりもする。
坐標点と云うのは位置であって量を持たないから足し合わせる事もできないが、それをベクトルで表せばその量を足し合わせる事ができる。
点で無理ならベクトル化すれば良い、これも視野を広げた形であろう。
■アマネ
そして図形的なのだから当然、三角形と云う図形を用いている三角函数と云うものも使える。
すると例えば、複素平面の単位円周上の任意の点を三角函数で表す事もできたりする。
■アマネ
更に、函数グラフの傾きや面積を求めたければ、微分積分が大いに役に立つ。
微積ができると、ある程度の未来予測さえもできるようになる。
例えばそれで売れ行きの想定だとか、天気予報だとかさえも可能になる。
小学校の時、正円の面積の求め方として、ピザのように細かく分割して上下組み替えて並べれば長方形と同じように面積を求められる、と教わったと思うが、これは正に、積分のやり方なのだ。
実は小学校で、積分の一部を既に説明しているのだな。
■コウタロウ
マジすか。
■アマネ
そんなようにして、高度な理論達は、互いに関連し、互いに協力関係のような状態にある。
だからそれら全てをしっかり体得すると、とんでもなく視野の広い思考が可能になると云う事なのだ。
そうして視野が広がり、思考力が高まった結果、コンピュータだとかのとんでもない技術革新が実現し、今の世の中はこれだけ便利になった。
■アマネ
君らは別にコンピュータの業界にはいかないかもしれない。
だから、複素数やベクトルなどの具体的な知識がダイレクトに役に立つ訳ではないかもしれない。
■アマネ
だが、複素数だとかの高度な数学理論を体得した時、それらの高度な理論を使いこなせる頭脳や、アイデアに満ちた豊かな思考法と云う素晴らしいものを入手できている、と云う事なのだ。
その素晴らしい頭脳が、君らの人生を豊かにする際に役立つ。
何をどうしたら人生が豊かになるかを、その優れた頭脳で考え、実現する事ができるようになる。
それが例えば、専門家でなくとも、高度な数学を学ぶ意義なのだ。
■アマネ
教養があると云うのは、知識が豊富だと云う事ではなくて、その豊富な知識に基き養われた思考の深さや視点の広さがある、と云う意味なのだよ。
知識ばかりの頭でっかちは教養があると云えないのはその通りだ。
教養を身に着けろと云うのは、知識を増やせと云う事ではなく、それ故の能力的な豊かさを持て、と云う事なのだよ。
■アマネ
一見無関係に見えるもの同士の隠れた繋がりを見抜く訓練になるので、視野も広がり、アイデアも豊富になる。
極端に云えば、国語力に依って基礎的な頭脳を鍛え、高度な数学理論を体得する事で何でもができるようになる。
■アマネ
だから、まず基礎である国語、次に高度な数学。
高等学校は、これを授業でやってくれる学校なのだ。
と云う事は、高等課程を真面目にこなしたなら、それだけでとんでもなく頭の良い人間になれると思わないかね。
■サトエ
確かに……。
■アマネ
だから高校が難しいと云うのは、まあ当然とも云える。
だって、そう云う学校なのだから。
■アマネ
ま、現状の高校は、掲げているカリキュラムは立派だが、実態としての教育の質が伴っていないので、学生のやる気が失くなるのもむべなるかなと云うところだがね。
■コウタロウ
うーむ……。
■ユウコ
でも高校出ていても頭の悪い大人っていっぱい居ない?
■アマネ
そりゃ、ルールに従って卒業をしただけで、高等訓練を十分にこなした訳ではないからであろう。
当人の問題もあろうが、教育の品質が余り高くないのだよ。
カリキュラムが立派でも、それを消化するだけで精一杯で、その効果と云う本質が伴っていないのが実態だ。
何事も、重要なのは本質だ。
■アマネ
良し悪しは措いておいて、出席さえしていれば卒業できるのが、この国の現状の高校と云うものだ。
まあ実用性だとかを考えると、いつまでも卒業できない事が良い事かどうか、と云う問題もまたあるのでね。
■アマネ
だから、高校、或いは大学に行きさえすれば、卒業さえすれば、頭が良くなるかと云うとそうではない。
能動的に、自分で自分を訓練しなければ、それらの学校に行く意味も価値も必要も、実はないのだよ。
■アマネ
強豪の運動部に入部しさえすればプロになれるかと云うとそうじゃない。
その環境を活かして、自分がどう自分を鍛えたかが重要な訳だ。
■シン
うーん……。
■アマネ
まあ、余り深く考えなくとも良かろう。
とにかく国語と数学をやれば良いらしいなと云う事を、参考までに知っておいてくれれば良いさ。
勿論、他の科目も頑張ってほしいが、その二つは全ての土台となる根本的な能力なのだよ。
■アマネ
だから、何とか自力で頑張って欲しい。
君らの人生の、今も未来も、決めるのは君ら自身なのだから。
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