ある喧噪

小狸

短編

「いい加減にしろよっ! ごくつぶしがよっ! お前がいるせいで父さんも母さんも安心できねえんだよっ! 仕事もしねえでいつまでも自分の部屋に引きこもって! 散々周りの人に迷惑かけて! いい加減気付けよっ! 兄貴は、異常なんだよっ!」


 それは、僕には最早悲鳴のようにも聞こえた。


 大学卒業と共に、僕は仕事を始めたけれど、思うように馴染むことができず、職場でも浮くようになっていった。


 いつもそうだ。


 いつも何かがズレていた。


 今では、そんな僕には病名が付くのだそうだ。


 仕事に行けなくなって、一人暮らしが崩壊して、実家に帰った。


 そこからしばらく家に引きこもりをしていた。


 就職活動もしていたけれど、僕を採用する会社は一つとしてなかった。


 それも当たり前、なのかもしれない。


 人生は、メンタルゲーなのだ。


 一度心を持ち崩せば、取り返しがつかない。


 そして、それに対する周囲の理解も、令和の世の片田舎では未だ追い付いていないというのが、現実である。

 

 極力家事手伝いなどもしているつもりで、買い物や家の掃除なども行い、両親には迷惑をかけないようにしていた。

 

 そういう態度も、弟は気に喰わなかったらしい。

 

 取っ組み合いの、喧嘩になった。

 

 というか、弟の度重なる追求に対して、僕が癇癪かんしゃくを起こしたような形になる。


 弟の首根っこを捕まえて、殴るふりをした。


「ほら、何だよ、殴ってみろよっ!」

 

 弟がそう言ったけれど、僕には、殴ることができなかった。


 できるはずがない。


 僕にとっては、大事な弟なのだ。


「いつまでそうやって殻に閉じこもってるつもりだよっ! 迷惑なんだよっ! 俺も父さんも! 母さんも!」


 言いたいことを言いたい放題言われた。

 

 流石にまずいと思ったのか、父は弟を止めた。

 

 弟は、言いたいことを言えてすっきりしたのか何なのか、自分の部屋に戻った。


 残った僕に、父と母は、「話したいことがあったら話してほしい」と言った。

 

 何を今さら、と思った。


 褒めてほしいときに、いつも僕以外の誰かを褒めた。

 

 聞いてほしいときは、いつも聞いてくれなかった。

 

 助けてほしいときは、いつも助けてくれなかった。

 

 今さら何を、話すことがあるだろう。


 あなたたちのために、全部我慢した。


 大学院に進むことも、行きたい大学に進むことも、将来の夢も、好きな人も。

 

 全部我慢して、頑張った。


 その結果が、これだ。


 もうここには居られない。


 そう思って、僕はその日の夜に、静かに家から出た。

 

 自分は生きてはいけない存在なのだ。


 自分は、ここにいてはいけないのだ。

 

 そう思ったからである。

 

 これから先のことは考えていない。

 

 というか、どうでも良い。


 精々野垂れ死ねば、きっと彼らも喜ぶだろう。


 僕が不幸になれば、彼らは嬉しいのだ。


 僕の死には、意味があるのだ。


 だったら――


 ふつ――と。


 僕の心に、明かりが灯った。

 

 躁なのかもしれない。


 しかし、確実にそれを僕は、手に掴んでいた。


 死んでなんか、やるものか。

 

 泥臭く、汗臭く、馬鹿みたいに、愚かしいくらいなまでに執着して、生きてやる。


 それこそが、彼らへの復讐になるのだ。


 だから、生きよう。


 生まれて初めて、そう決意した。


 その日は雨が降っていた。


 春先の、まだ肌寒い風の吹く日であった。


 令和6年の、4月24日のことである。




「ある喧噪けんそう」――了

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ある喧噪 小狸 @segen_gen

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