第六章 - 転輪 -

 朱美は放心していた。


 廃材やら古びた機械やら割れた電光板やらが散乱している。廃倉庫か何かだろうか。

 電気は通じているようで、天井から垂れた電灯の幾つかは明滅しながらも光っていた。



 あの後は酷かった。

 宙へ飛んだソウは、見えない足場があるように空中で反転し、道路の下にあった橋の歩道に着地した。

 その後は、再びオートバイを出現させ、この場所まで辿り着いた。

 目を宙に泳がせている朱美に、ソウが揶揄からかうように言う。


「夜のドライブは楽しめたか?」

「忘れるってどういうことですか?」


 覚えていたか。小声でつぶやきソウが舌打ちする。


「そのままの意味だ」

「その意味が分かりません」

「俺たちがいるサーバーはスペックが低い。容量も小さいんだ。俺たちは生きているだけで記憶データを貯めていく。だからどこかで足りなくなる」


 だから、リセットする必要がある。

 初期設定まで巻き戻る。


「サーバーの巻き戻る過程で、資産リソース配分もクリアされる。それで奴等も吹き飛ぶ。それで連中、慌てだしたのさ。俺を斃して防壁を突破しなければ、奴等もクリアされちまうからな」


 毎度毎度、学ばない連中だ、記憶出来ないから当然だが。そう言い、ソウが嗤う。何度も見た、自嘲的な笑み。だが、朱美は笑えなかった。


「これ、何度目なんですか」

「どういう意味だ?」

「とぼけないで下さい。毎度毎度なんて言い方、何度も経験しなければ出ないでしょう。私たちは記憶がなくなっても、貴方は覚えているんじゃないですか」

「覚えてない」

「そんなこと」

「百から先は、覚えてない。何回繰り返したなんて」


 朱美は、言葉が続かなかった。舌が凍り付いたようだった。


 次の瞬間、地面が大きく揺れた。


 天井が吹き飛ぶ。電球が落ちて、甲高い破裂音が響いた。

 穴が空いた天井から、滝のように黒い陽炎が降り注いで来る。


「逃げろ。あと数分もすればリセットがかかる。そうすれば、お前は元通りだ。高校入学、初日に戻る」


 ソウが剣鈴を横なぎに振るう。押し寄せてきた黒い陽炎が消失するが、それを埋める様に別の陽炎が覆いかぶさる。ソウを囲み、鎌首をもたげてくる。

 波を斬るようなものだった。


 ソウが、朱美の背中を押す。強く、だが不思議と優しさも感じられた。


「教えて」


 朱美は叫んだ。


「何故、私に教えてくれたの。忘れてしまうのなら、無視しても良かったのに」


 ソウは答えなかった。

 だが、わずかに見えた横顔から、かろうして動かした口の形が見えた。


 さようなら、アカ


 ソウは押し寄せる黒い陽炎に対峙した。濃密な陽炎は、圧縮した闇のようであった。その圧力に、落ちた電球から火花が飛ぶ。それが引火し、廃材が燃え、金属が白熱した。

 周囲の闇に対し、床ばかりが光っている。


 それはまるで白い花の様。


 闇と、白い花。

 そうだ、これは夢で見た風景だ。


 違う。

 朱美は否定した。

 私が見たのは喪服のような黒い背広。ソウじゃない。


 じゃああれは一体、誰なのか。

 そもそもソウは私に何て言った?


 アカ

 ソウ。ソウ。あお。青。


 既視感。

 背丈は違うけど、細身の。


「青樹君?」



 そして、世界は静止した。


 消えていく。この数年の自分が。

 知りたい。彼を。

 その願いを最後に、この時間の朱美は消失した。

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