2.来客 2
「お、おい! やめるんだ!」
「お願いします。どうか、誰にも言わないでください」
慌てて先輩が色芸の肩に触れ、顔を上げさせようとする。
だが、色芸はテーブルに叩頭するかのように懇願し続けた。
「言わない! 言わないから! そんなことはするんじゃない!」
かつてサブ研廃部決定の折、部室の継続使用を求めるために教師達に土下座した先輩が、必死に色芸の身体を起こそうとしていた。
「宏慈も言わない! そうだろう!」
「は、はい、もちろん……」
色芸が何を心配しているのかはわからないが、俺がこのことを誰かに暴露して得られるメリットなど何一つない。
というか、そもそも俺には話す対象がいない。
学校に友達と呼べる存在はゼロだ。
会話できる相手と言えるのは先輩と妹くらいなもんだが、先輩は既に色芸の話を聞いている。
妹に同級生についてのこんな話題を持ち掛けたところで「誰? それよりパソコン貸して」となるのがオチだろう。
「ありがとう、ございます……」
ようやく顔を上げた色芸が、ふっと弱々しく笑った。
それは、あのスクールプリンセス鬼童と対等に渡り合える人間のものとは思えないほど、儚げな笑みだった。
「念のため確認するが、他言無用というのは、君が宏慈のホーリーを取り違えてしまったこと、でいいのか?」
「それ以前、わたしがホーリーを学校に持ち込んでいたということ自体を、お二人の胸の内にとどめていただければ」
校則では、学業に関係ないものを校内に持ち込んではいけないことになっている。
俺と先輩はほら、放課後の部活動に必要だから、セーフ。
サブ研もう廃部になってるけど。
「あと、書き込みのことも……知られたくないので」
「わかった。絶対に口外はしない。宏慈も、約束できるな?」
「はい。色芸さん、俺も憬先輩も誰にも言わないから、安心して」
「……助かるわ、ありがとう。……それでは、お邪魔して申し訳ありませんでした」
色芸はスクールバッグの帯を握ると、ソファから腰を上げようとした。
「ちょっと待つんだ。宏慈、色芸さんのホーリーを返してあげないと」
ああ、そうか。
いまテーブルにある雑誌が俺のものならば、昨日自宅に持ち帰ったヤツは色芸が買ったものだ。
俺も本来の持ち主に返さなければならない。
俺は自分のバッグの中を探ったが、
「……すみません、俺んちに置きっぱなしにしてきました……」
「仕方ないな。色芸さん、悪いが明日の放課後、またここに来てくれるか?」
「いえ、わたしのは別に、そのままお持ちいただいて構いませんので」
「そういうわけにもいくまい。君がお金を出して買ったものなんだから」
「本当に結構ですから。返していただいても、どうせ一週間で処分するので」
一週間で処分?
週刊誌は毎週刊行されるから、部屋の場所を取らないように、新刊が出たら前週号は捨てるというスタンスをとっている人もいるんだろうけど……。
でも、あれだけ漫画を分析するように書き込んだものを一週間で捨ててしまうなんて、勿体ない気がする。
「私達だって一冊あれば十分だ。返すものは返す。もし明日の都合が悪ければ、他の日でも構わないよ」
「……では、明日、同じ時間帯にお伺いします」
「ああ。宏慈、忘れるなよ」
釘を刺す先輩。俺はスマホに【しきのホーリー】と記した。
ソファを立った色芸は部屋の出入口へと歩き出す。
しかし、先輩がそれよりも早く扉へ走り、がらりと開けて外を示した。
先輩かっこいい。マジ大人。
色芸は会釈し、部屋の外へ片足を踏み出す。
「――あ……ま、待って、色芸さん」
退室する寸前、俺は色芸の背中に声をかけた。
その足が止まり、ゆっくりと振り返る。
ふと、黒いショートカットの隙間から彼女のうなじが見え隠れし、目が吸い寄せられた。
「何かしら?」
「あ、いや……き、昨日は、ぶつかってごめん、なさい、というか」
慌てて色芸の首元から視線を逸らし、顔を若干俯かせながら、俺は謝罪した。
教室でチラチラ見ていた件は先程謝ったが、それと廊下で衝突した件は別だ。
そもそも、ぶつかったことを謝ろうとタイミングを窺っていたのだ。
昨日からのわだかまりを清算しなければ、俺の気が晴れない。
しかし、もう少しスマートに謝罪したかったのだが。
語尾の「というか」ってなんだよ……。
「わたしのほうこそ、ごめんなさい。水納くん、避けようとしてくれたでしょう? お陰で怪我もしなかったわ。ありがとう」
「い、いや……」
「……水納くんのほうは、なんだか大変だったみたいだけど」
その言葉が俺の心を抉った。
ぐう、やはりあの痴態を見られてたか……。
色芸からすれば、走ってきた男子が、ぶつかって、廊下に倒れ込んで、苦悶の呻き声をあげながら股間を必死に押さえて廊下をのたうち回る様子を目撃したわけだ。
……さぞかし気持ち悪い光景だったことだろう。
ドン引きさせてしまい、申し訳ないです。
とにかく、これで俺の目的は果たせた。
もう教室で色芸をチラ見することもないので、不快な思いをさせることもないだろう。
明日彼女の雑誌を返せば、万事解決だ。
――――果たして、本当にそうだろうか?
だったら、謝罪してもなお胸に残っている、このしこりはなんだ?
正体不明の感情を持て余す中、色芸は「それでは失礼します」と言い残し、サブ研の部室を去っていった。
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