江ノ島を散歩した話
「君、疲れてるんだよ」
雑談の最中、友人にそう言われた。
確かに多少疲れているのかもしれないが、体は動くし日常生活も問題ない。他人に言われるほど平常を離れて疲れているというわけでもないだろうと思った。
「でも、仕事はそんなにしてない」
「仕事はしてなくても、予定は入ってるじゃん。」
「遊んだり、飯に行く予定だからね。休んでるよ」
「それは休日であって、たぶん君にとって休養ではないんじゃない?」
確信をつかれたような気がした。彼女とはもう長い付き合いだ、私が性質として一人を好むことも、他人といることに体力を使うことも知られている。私にとって「休んでいる」という状態がどういうものか、そして他者目線から私が「そういう状態」に置かれていない期間が続いている、ということが、彼女からすれば明らかだったのかもしれない。
確かにこのところ私は、常に予定に追われていた。仕事がある日は仕事に向かい、それがない日は何かしらのタスク(恒常的にしろ突発的にしろ)を処理する毎日が、特にここ2,3か月続いていた。それらのタスクは「○○を買いに行く」だとか「○○に連絡する」だとか、長くても1つ30分はかからないようなものばかりではあったが、それを散逸的に処理していたもので、毎日何かしらの予定が入るようになっていたのだ。
そう思うと、何となく腹のあたりに、黒い靄のようなものが居座っているような気分がし始めた。
吐くほどの不快ではないが、なんとなく重くて、自分の動きを鈍らせるもの。それを解消するために日々のタスクをこなしていたような気もするが、今ここにあるこれは、数か月前から少しずつ大きくなって、今やっと私の感覚に引っかかる大きさになったのだと感じた。
私には休養が必要なのかもしれない。
今一度きちんとそう思った。その発見を与えてくれた彼女に感謝し、翌日は何の予定も入れないことを心に決めた。夜がもうすぐ朝に変わる時間のことだった。
翌日、私は昼を少し過ぎた頃に起床した。8時間近い睡眠、ここ最近では一番よく眠れた日だろう。二度寝もすることなくベッドから立ち上がる。昨日感じた靄は、幾分か収まっているように思えた。やはり疲れのせいだったのだろう。十分な睡眠を取ることの重要性を感じる。
カーテンを開けると、住宅街の上を澄んだ青空が覆っているのが見えた。遠くにぽつぽつと浮かぶ雲と窓から入る涼しい風は、5月の半ばにも関わらずどこか初夏の匂いを感じさせる。夏がゆるりと近づいてきているのだろう。とその時ふと、海の青が頭に浮かんだ。
海。そうだ、海が見たいな。海を見に行こう。
なんとなく、そう思い立った。それはこのところ私が失っていたもので、あるいはそれまでの人生で私が最も大切にしていたものだった。窓から入る風が、体の中を涼やかに通るような気分だった。
ここからいける海はどこだろう。できれば、綺麗な海がいい。ただの海ではだめなんだ。青くて、綺麗な海にしよう。
グーグルマップで東京近郊の海を調べる。一番近いのは東京湾だが、なんだか心惹かれない。千葉の奥まで行くか?もう昼を過ぎる。おれが見たいのは昼の海なんだ。
いまいち目標を定められない中で、ふと少し前に鎌倉に行ったことを思い出した。そういえばあの時は海が見れなかった。そうだ、鎌倉には海が綺麗な遮断機(?)があると聞く。そうだそうだ、そこに行こう。あの場所は、そうか、江の島か。よし、今日は江の島に行くぞ。
私の心はもう弾む気持ちでいっぱいだった。ああ、そうだこれなんだ。おれはこれが好きだったんだ。
そうと決まれば、と言った具合に私はパタパタと仕度を始める。何を持っていこうか。バッグは必要だろうか。予備のバッテリーー、いや、何か違うな。うん、そう、違うぞ。バッグはいらない。財布と、スマホだ。あとは、本。ずっと読もうと思っていた星野源のエッセイ。あれを持っていこう。それだけにする。できるだけ軽く、身動きのしやすいように。
結局私はリサイクルショップでもらった小さな橙のエコバッグに、本と財布と眼鏡ケースだけを入れて外へ出た。玄関を出ると昼下がりの日差しが肌に当たる。私はそれさえ嬉しくなって早足になって階段を下りた。
駅までの道には、まばらに人がいた。平日の昼だ、歩いているのは主婦や老人が多かったように思う。もはやだれが歩いていたかも記憶にはないが、おそらく私があの道を歩く人の中で、最もが軽やかな足取りだったのは間違いないだろう。
弾む気持ちをそのままに改札を通り、駅のホームで電車を待つ。次の電車は、もうすぐ来るようだ。タイミングもいい。なんだか、今日はいい日なんだなと思った。
定刻通りに来た電車に乗り込むと、ここもまた人はまばらだった。平日とはいえあまり人が乗っていないことが少し意外だったが、長旅になる故最初から席に座れるのは喜ばしかった。一番端の、横にも体を預けられる席に座って、スマホで時間を見た。13時10分。目的地である遮断機の場所は、だいたい14時半ごろにつく予定だ。私の見たかった時刻からは少しだけ外れるが、これはもはやしょうがない。14時ならまだ許せる範囲だ。
やがて、電車はゆっくりと動き出した。私はここで念願の星野源のエッセイを読もうとエコバッグに手を入れたところで、それをやめた。なんとなく、本当に何となく少し違う気がした。理由はよくわからないし、おそらく理由なんてないのだろうが、その時はそれに従うことにした。今日はそういう日なのだ。エコバックから手を取り出し、背もたれに体を預ける。そして、何の気なしに車窓から外を眺めた。
そこには、青い町があった。なんてことはない、ただの住宅街だ。日頃見ても特に何の感情も抱かないだろう。なのになぜか今日はそれがとてもきれいに見えた。太陽の照る青空の下に、林立する家やビル、ゴトゴトと電車が揺れるたびに後方へと倒れていく線路上の電柱達も、その美しさを見事に形作っているようだった。なんだかいったい、私はその光景が好きで、しばらくの間何をするともなくそれを眺め、少し眠気を感じた頃に、それに逆らうことなく目を閉じた。
それから少しの乗り換えがあって、目的地へと向かう江ノ電に辿り着いた。私のいる江ノ電、藤沢駅は始発駅であるからか、平日なのに人が多いなと思った。大半の人は、外国人だろうか。日本語よりも英語や中国語の方がよく聞こえてくる。やはり海外でも江の島は有名なのだろう。さらに言えば今から私が向かう場所は、アニメなどの聖地らしい。海外でも映画が大ヒットしたそうなので、そこから知ってくる人も多くいるのだろうなと思った。なんだか、嫌な予感がした。
電車が駅に到着した。降りてくる人も、満員とまではいかないものの結構な人が乗っており、それもまた外国人が多いようだった。周りに気を付けながら電車に乗る。この電車は海沿いを通るから、車窓から見る海も楽しみだ。きっと綺麗だろうな。
たくさんの人を乗せて電車は走り出した。さっきまでの電車と違い、江ノ電は町中をコトコトとゆっくり進んだ。なんだか路面電車に乗っているようで広島を思い出す。一軒家の外で遊ぶ子供がこちらに手を振っているのが見える。私は気恥ずかしくて手を振り返すことはできなかったが、どうにもほほえましい光景だった。
そのまま電車が市街地を抜けようとするところで、私はついに発見した。
海だ。
家と家の間に通る小さな川が、海につながっているのが見えた。と思うと次には視界が開けて、眼前に青々とした煌びやかな海が浮かび上がってきた。
海だ。海がある。
私は少しの間それに見入っていた。太陽は正面より少し西に浮かんでおり、下にある海に、こちらに向かって直線に眩しい光を下ろしているのが見える。少し、眩しいなと思った。
そうしていると、電車は速度を落とし、駅に止まった。目的の駅に着いたのだ。私が車窓から振り返って駅のホームを見ると、そこには大勢の人がいた。
皆、観光客なのだろうか。見ただけで外国人と分かる出で立ちの人が多い。そうでなくても、カメラを首からかけている人は少なくない。みんな、私と同じ景色を楽しみに来たのだ。
私はぞろぞろと降車する人に交じって外へ出た。潮の香りに混ざって香水の匂いがする。人ごみをかき分けるほどではないが、横になって人を避けながら私は改札をくぐった。
改札をくぐるとすぐに、私が目的としていた遮断機があるのが分かった。なぜならそこに、駅のホームよりもさらに多くの人がいたからだ。
ほとんどの人は横にいる、おそらく一緒に観光しているであろう誰かと喋っていたり、あるいは遮断機にカメラを向けていたりしている。遮断機から左手の道は坂になっているのだが、そこにも多くの人がいるのが見える。近づけば、細い歩道に人が連なっているように見えた。
その時、カンカンカンという甲高い音とともに遮断機がゆっくりと下りた。それと同時に、人々の意識がそちらに向くのが分かった。近くにいる人たちは、一様にカメラを構え始めた。
するとそれからすぐに、遮断機の奥を電車が通った。駅に止まるためだろうか、すこしゆっくりと走る列車を、皆が懸命にカメラに収めていた。動画を取るもの、写真を撮るもの、また写真にしても電車を中心にとる人間と、彼女を電車と一緒に収めてあげる人間がいるようだった。
私はその光景に、言いようのない気分の悪さを覚えた。それがあまりにも身勝手で、子供のようなバカげた不快であることも、今なら理解できる。だが、その時の私は、その不快を、また不快を感じることを諦めることができなかった。この人たちは、私と同じものを楽しんでいるふりをして、結局のところ、私が大切にしているものを全く理解してくれていないのだろうと思った。
あの黒い靄が、また腹の中に溜まっていた。それは今発生した不快と混ざって、腹の中に陰鬱を作り出したのが分かる。一刻も早くこの場所から逃げたかった。
私は逃げるように、あるいは――これも馬鹿な話ではあるが――その場所を見限るように、対岸にあった砂浜へそそくさを足を運んだ。
そこから先は、腹の重しを引きずりながら歩くだけの時間になった。
そこに重しがあると理解してしまえば、頭の中はそのことでいっぱいになる。どうにかそれを解消しようとするほどにドツボにはまり、結局は解決策も見出せぬままずるずると引きずることになってしまうのだ。
私はそれを引きずったまま、それをどうにかしようと江の島の橋を渡り、島内をいろいろ歩いてみた。
しかし、どうやってもその靄は晴れることはなかった。
今まではそんなことなかったのに、なぜか今日はやたらと外部の音が耳に入る。それも、楽しむような音ではなく、どうしても煩わしいと感じてしまう。私はどこに行っても孤独を作れないでいた。普段は必ず訪れる神社に足を向けても、どうにも気分にならなくて、賽銭さえ入れずに去ってしまった。
ただ、少しだけそれが和らいだのは、島内にあった植物園だろうか。しばらく山を登って疲れてしまい、そこにあったベンチでつかの間の休息をした。完全にベンチに体を預け、目を瞑って力を抜いた。その時だけは、木々が風に揺られて鳴る音や、時々近くを通り過ぎる別の観光客の話し声も、等しく心地のよい背景として聞くことができた。
とはいってもそれも30分もしない短い間のことだった。それから少し奥にある路地を歩いてみたり、気になったアクセサリー店に入ってみたり、最後には一番奥にある海に触れられるほど近くに行ける場所に行ってみたりしたが、結局靄は晴れないままで、私はどうしようもなく帰りたくなってしまっていた。しばらく人から離れた端の方で、ただぼうっと寄せては引く波を眺めていたが、それもすぐに居たたまれない気持ちになって、ものの15分もしないうちにその場を後にした。
今日は、失敗だったのかもしれない。鈍重な足取りで駅に向かいながらそう思った。家で寝て、体を休めるだけで良かったのかもしれない。わざわざ、体まで疲れさせたのは、間違いだったのかもしれない。
そんな気持ちに苛まれながら歩いていると、ふと左手の海鮮丼屋が目に留まった。
魚。しらす、しらすを食べよう。きっと美味いぞ。
江の島のあたりはしらすが有名なことは知っていたから、前から食べようとは思っていたのだ。一応グーグルで店の評価も見てみる。悪くない、どころか結構いい。よし、食べよう。今日はこれを食べて終わりにしよう。少しだけ気が晴れた気がした。
早速店の中に入ってみる。店の中は想像よりも広々としていて、手前側に4人掛けのテーブルが数個、奥には数席座敷席が見えた。時刻がまだ5時と言うこともあってか、お客はそこだで多くなかったが、これは今の私にとってはいいことであった。
せっかくなので、座敷を使わせてもらうことにした。個室と言うわけでもなく、ただ座敷にテーブルがあるといった様子なので店内がよく見える。靴を脱いで腰を下ろすと、今までの疲労がドカッと畳に沈んでいくようだった。
窓側に置いてあったタッチパネルを使い、疲れた手でのろのろと注文する。正直言って、海鮮丼の値段は今のお財布事情を考えれば、少し厳しい。あまり高いものではなく、かつシラスが食べられるもの。ちょうどいいことに落ち着いた値段でネギトロシラス丼なるものがあったのでそれを注文した。ネギトロもシラスも大好物だ。
注文を待つ間、もはや一つも動く気力がわかなかった。これは身体の疲れからくるものではない。どこかを動かそうとする意志、つまりはまさしく気力が全く心に起きなかった。お茶を汲みに席を立つことすら面倒くさかった。
そうしてしばらく動かないで来ると、仲居の格好をした店員さんが丼を運んできてくれた。色味豊かなネギトロと真っ白なシラス、横には赤だしのみそ汁と、ガリまでつけてくれていた。私は早速――といっても実際には随分のろのろと――その丼に手を付けた。
美味い。
ネギトロの甘味はやはり醤油と抜群に相性がいい。またこのシラスとネギトロの組み合わせがいいのだ。脂っこくガツンと来るネギトロに対し、シラスは優しく微笑むような旨味を持っている。
美味い。大変に美味い。
そう思いながら、あるいはそう思わせながら3口目を食べたところで、私は箸をお盆の上に置いた。
美味い、のになぁ。
自分のやっている、そしてこの江の島でやってきたことがひどく虚しく、くだらなく思えて仕方がなかった。結局のところ、自分もあの時唾棄していた観光客と変わらないのだとそこで気づいた。
私は、私が大切にしていたものがここでは手に入らないような気がした。もしかすれば、もっと遠くに、誰からも離れたような場所に行けば手に入るのではないかと思案した。
が、それもまた畢竟、今行っていることと同じだと、あまりの安易な考えに自己嫌悪に陥った。今のこの状態では、どうしようもないことなのだと思った。
私はひどく重い気持ちになった。腹の中にあった黒い靄はもはや全身に行き渡り、私の体を地面に沈めんとする勢いだった。
私はもうなんだかどうでもよくなって、食事中にも関わらず、バッグから星野源のエッセイを取り出し、おもむろに読み始めた。本を持つのにもいつにもまして力がいるなと思った。
それから、少し経った。
おもろ。
え、これおもろ。
正直びっくりした。星野源が多彩かつ本も書くことは知っていたが、所詮は芸能人が書いたエッセイで、何か文章として面白いようなものではないだろうと、どこかで思っていた。
しかし、実際には素晴らしく軽妙で読みやすい文章だった。ただ軽いだけではない、その軽さこそがこの内容の面白さをいっそう際立出せていると思った。
「生活」をテーマに日常を面白可笑しく描きながら、随所挟まるギャグが心をくすぐる。気が付けば私は店内にもかかわらず一人本を読みながらフフと笑っていた。
するとなんだか、急に腹が減ってきた。本を開きながら、箸を使う。使いにくい。箸をあきらめてスプーンを取り出して本を横目に丼を食べる。
美味い。
あ、美味いぞ、これ。
本をお盆のわきに置いて、左手で丼をつかむ。そのままの勢いで2口3口を食べていく。先ほどまでと同じ味だ。しかしそれとは別に、何か鮮やかさのようなものが口の中に、引いては体の中に広がっていくようだった。私は夢中になって丼をかっ食らった。
ものの数分で丼はなくなり、再び本を片手にみそ汁を飲んでいた。時々笑った拍子にみそ汁がこぼれそうになるが、そこはしっかりとカバーしきちんと飲み進める。ちょうど2章を読み終わったところで、私の食事を終わりを迎えた。私は空になったみそ汁のおわんをお盆に戻し、その流れまま3章を読み始めた。
会計を終えて外に出ると、辺りは夕暮れになっていた。すこし、読むのに夢中になりすぎたなと思った。店で読み始めたエッセイはすでに半分を読み終えていた。
もう夕方だというのに、店の前の通りにはそこそこの観光客がいる。みな今から帰るところなのだろうか。一様に駅に向かって歩いている。
私もその流れに乗るように駅に向かって歩き始めた。足取りは数刻前と打って変わって、随分と軽いものだった。もはや共に流される人々の声は煩わしく感じなかった。
人にぶつからないように気を付けながら、こっそり本を開いてみる。いつもより高い位置で本を構えれば、前も見えるので歩きながら読めそうだ。
人波に流されながら、私はまたフフと笑った。やっと私は孤独になったのだ。
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