理想のセカイのつくりかた

小田

第1話「新任の男教師」

 女子一色だった空間に、ひとりの男が入ってきた。その男は40,50歳ぐらいと思われたが、生きてきた歳月を無駄にせず、自分の力を研鑽してきた者特有の静謐な雰囲気を醸し出していた。


 精悍な顔つきを見たそのクラスの女子たちが、がやがやと騒ぎ出すのをアリスは醒めた目つきで見渡す。

 

 中には歓声に近い声をあげる者もいて、その周囲を巻き込むようなエネルギーは真似できないと思った。


「ねえアリス、私の言ったとおりでしょ?」


 アリスの前の席に座る、銀髪の少女も興奮を隠しきれていない。


 彼女から今朝登校してきてすぐ聞かされた情報ーー新しくイケてる男性教師が自分たちの担当になるというものーーは、クラスメイトたちの期待を大いに高めていたが、どうやら現実は期待を上回っていたらしい。


 とはいえ、アリスにはどうでもいい話だった。


 なぜなら彼女、アリス・エンシスタ・リペッチィアは、前世が男だったのだ。



「静かに」


 男は歓声醒めやらぬクラスに向けてそう言い放つ。そのどこか鋭い声色は、聞いた者の関心を集める力でもあるのか、教室の全員が一斉に静まり返り、視線が男の顔に吸い寄せられた。


 それはアリスとて例外ではなかった。


「私はカイロフ・エンビス。

 育休に入ったレベリア先生の代わりに、全学年のSMC工学の授業を担当する。エンビス家と言えば、知る者も多いと思うが、家柄で中身を判断されるのは好きではない。

 君たちとはこれから半年を通した交流で互いを知っていけたらと思っている。

 よろしく頼む」


 その友好的な挨拶に、よろしくお願いします!とクラスの大勢が答えている中、アリスは目の前の中年男性に心の底から同情する。


 女の本性を知ったときのこの男の落胆を想像するだけで悲しみを覚えそうになる。


 これから女しかいない学園の闇に絶望することになるだろうエンビスに向けて、活気的な声が向けられる。


「エンビス先生! 結婚はしていらっしゃるのでしょうか!?」


 メガネを掛けた委員長が前のめりになりながら質問すると、


「ああ。妻はいる」


 と簡素な答えが返ってきた。


 ぎゃー!と悲鳴のような絶叫が教室を満たす中、エンビスが寂しげな目をしたのをアリスは見逃さなかった。



 SMCーーStaff of Magic Casterと呼ばれるのはその名の通り、魔法使いにとっての杖である。


 長い時代、人間は自分たちにおとぎ話に出てくるような異能の力はないと考えていた。


 しかしおよそ100年前、遠い地に飛来した隕石に含まれる物質は、人間が魔法を使う際の触媒のような役割を果たすという事実がまことしやかに囁かれるようになった。


 そして現在。


 SMCは人間の未知なるエネルギーを引き出す物質として、一部の人間の手に渡っている。


 アリスの住む王国には数多くの学園があるが、一般人には知られていない、この未知なる”魔法”を学ぶための学園はふたつしかない。


 男子校と女子校がそれぞれひとつずつで、エンビスはその男子校の方で教鞭を取っていたという。


 そのたった今仕入れてきた情報を食堂の片隅で開陳する目の前の銀髪の少女ーークラウの声に耳を傾けつつも、アリスはかすかにうかがえたあの悲しげな瞳についてクラウに話すか迷っていた。


「ああ、ここにいたか」


 その思考を遮ったのは、渦中の人物であるエンビスだった。


「アリス君と、えーっと…君はたしか…」


「クラウとお呼びください!!」


「悪いね、まだ全員の名前を覚えきれていなくて…」


 苦笑するエンビスの表情を見て、アリスは違和感を覚えた。


「これから覚えてくれればいいですよ」


 クラウはその違和感に気づいていない。


「ありがとう、クラウ君」


 エンビスはクラウに礼を言うと、アリスの方に向き直って、


「それと、アリス君。いきなりこんなことを言うのもぶしつけかもしれないが、君のことは以前から聞き及んでいたよ。

 SMCの開発に多大な貢献をしてきたことをね」


「あー、まあ、ありがとうございます」


 ぎこちない答えを返したアリスに、クラウは笑みを浮かべる。


「もう、アリスったら。

 先生、気分を悪くしないでくださいね。

 彼女は自分の功績を褒められると一歩引いてしまう癖があるんですよ」


「悪いねー。あまり褒められ慣れていないもので…」


 本当は一瞬見えた違和感について考えていたからなのだが、そのことは今は考えないようにしていると、


「こちらこそ。

 いきなり熱くなって申し訳なかったね、ふたりとも」


 と言ってエンビスはその場を去った。


「もう、照れ屋なんだから、アリスは」


 クラウのその言葉を聞きながら、アリスは違和感の正体に辿り着く。


 エンビスはアリスのことを褒め叩いている間も、クラウから注意を逸らしていなかったのだ。

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