夢見るわたしと恋する機械
京野 薫
プロローグ:夢見るわたしと熱いキス
前編
春の日の朝の満員電車。
この中を包む空気ってなんで、こんなに粘っこくて重たいんだろう。
そして、私の視界は両手の握りこぶしくらい狭くなり、意味も無く中吊り広告を彷徨う。
今日一日の会議の段取りを練らないと。
そう思いながらも、脳は仕事に向き合うことを拒否し、楽しかった土日の事。
友達と出かけたアウトレットモールや、夕食に立ち寄ったアイリッシュパブのギネスビールの美味しさばかり、現実逃避のごとく思い出させる。
ああ……この車内のみんな、私みたいな憂鬱を抱えてるのかな?
そうでもないか。
いやいや、そうに決まってる!
だって……今日は火曜日。
幸せな週末までまだ折り返しにもなってない!
私は周囲にバレないように小さくため息をつき、スマホでアウトレットモールやギネスビールの事を調べる。
ああ……あの優しく暖かい日々はもう帰ってこないのかな。
よく「春は命の芽吹く季節」って言うけど、いやいやいや!
確かに木々は芽吹くけど、人の心はズンと沈んじゃうよ。
だって……人事異動があるんだもん。
先月の内示を受けて以降勝手の分からない部署へ異動となり、私のストレスは日々パンパンの水風船のようになってます。
「君のキャリアにとって必ずプラスになる」
「なにくそ!だよ。明けない夜は無いから」
小説に書いたら失笑されそうなくらいの手垢の付いた言葉をかけられて、日々歯を食いしばって望んでるけど、食いしばる歯も砕けちゃいそうなくらいの忍耐の日々ですよ先輩……
ああ……もう3駅で職場か。
いっそ車内がテロリストに占拠されないかな……
そして、私は何故かテロリストのリーダーに人質に取られて、何故か気に入られてそのまま連れ去られて出勤どころじゃない状況になって……
で、そこになぜか乗り合わせたイケメンでお金持ちで強い男性とリーダーが私を巡って取り合いになり、イケメンが勝ってそのまま結婚して寿退社で玉の輿……へへ。
ああ、ダメだ。
本当に病んでる。
ってか、ニヤニヤしちゃったけどバレてない!?
うん、でもちょっと元気になった。
今夜、このテーマで新作書いてみようかな。
うん、きっとみんな大興奮だ。
これってありそうでないし、読者様の好むツボをバンバン抑えてない?
イケメンとアクションと美少女って!
うわあ、名作生んじゃった!
ヤバいよ……これ絶対書籍化だよね。
あ! 編集者の人がメールしやすいようにもっとシンプルなアドレスに変えとかないと!
先週投稿した「擬人化した調理器具との恋愛ファンタジー」は、トレンドの先を行きすぎたのか反応イマイチどころか、30話書いてPV5だったけどさ……
しかも! ムカつくことに初の「星5だ!」と喜んでたら「間違えて入れたので、消しときました」ってコメント入れてわざわざ消した奴いるし!!
何で読まれないのか、散々悩んだけど原因を究明出来ないんだよね。
まあでも宮沢賢治やエドガー・アラン・ポーだって生きてた頃は評価されてなかったんだから、私だって評価されなくても仕方ない。
でも、今度こそ砂糖に群がるアリのごとく読者様がわんさと来てくれるはず!
よし、早速今浮かんだ感動のラストシーン。
私、西明美海がイケメンにプロポーズされる、海辺の場面の参考画像を……
そうして一心不乱に感動のラストを練りながら、職場への道を歩いていた私はハッと足を止めた。
そして、そのままボーッと視線を斜め前へ固定した。
……すっごいイケメン。
斜め前のコンビニの前に立っているのは、彫りが深いがどこか愛嬌も兼ね備えた紛う方無きイケメンだった。
ああ、頑張って出勤して良かった。
まさに目の保養。
スマホで撮るのもあれだから、目にガッツリ焼き付けとこう。
そう思いスマホで撮りつつ穴が空くほどジッと見ていると、イケメンは私に気付いたのかニッコリと笑うと私に……近づいてきた!!
え! え! 何で!?
混乱する私に近づいてきた彼は、氷の心も1秒で蒸発させるような笑顔で言った。
「君、西明美海さん?」
「は、はい……」
なんで……私の名前を。
そう思ったところで、ハッと気付いた。
そうか……私の小説のファン!
投稿サイトでは「お昼寝ミウ」って名前で書いてるけど、きっと私のファン過ぎて本名に行き着いたんだ!
冷静に考えるとアレだけど、こんなイケメンなら問題ない。
ああ……これって、玉の輿!
そして私は辞表を叩きつけた後、暖かい日の光が差し込む超高層タワーマンションの一室で、ビール飲みながら365日好き放題小説を書きまくる日々!
やった……ついに。
やっぱ、調理器具擬人化恋愛ファンタジーは当たりだったんだ。
こんな大物ファンが……
「よく言えばシュール。悪く言えば意味不明」とか、フォローしようのないコメント書き込んでた京野とか言う小娘、ざまあみろ!
すぐにブロック解除して、思いっきりあの子の近況日記に自慢話書き込んでやろ。
「あ、あの……良かったら登録名を教えてもらってもいいですか? で、ファン登録してもらえば、ファン限定近況日記でやり取りできるので、そこで今後の式場予約も含めた2人の計画を……あ、私1人もファンがいないので見られる心配ないのです。ご安心を。で、どこのタワマン住んでます?」
「死ね。西明美海」
「あ、死ねですね、はい。じゃあ今からすぐにファン登録を……って、はへ?」
その直後、私の目の前に彼の右手……って言うか鎌!? が振り下ろされてきた。
……最近のウェブ小説の読み手さんって手を鎌に変えれるの?
と、そんなことをボンヤリと考えていたとき。
胸いっぱいに桜の香りが飛び込んできた。
いや、正確には桜の香りをまとった少女が飛び出してきたのだ。
見とれるような金髪をハーフアップにして、黒い軍服のような物を着ている。
そして、彼女は私のファンの鎌を素手で掴んでいた。
……って、書いてるけどこれはいずれ書籍化するであろう、私の才能のお陰で何とか活字に出来ているだけ。
実際は、脳内でクエスチョンマークが夏祭りの屋台のごとく密集していたのだけど。
「や、やめて! 私の玉の輿なんだから!」
少女は私の言葉が聞こえなかったかのように、鎌をもったまま右足でイケメンのお腹を蹴り……蹴り破った!?
は、はああ!?
そして、イケメンは平然と言った。
「ナンバーナイン。邪魔ばかりだね。ここは引くか」
ポカンとする私をチラリと見ると「じゃあまた、西明美海。次こそは殺す」と言い残すと右手をちぎり、お腹から少女の足を引き抜くとCGみたいなスピードで走って行った。
って書いてるけど、一体何……
イケメンの立ち去った後には沢山の部品が落ちていた。
え? え?
脳内フリーズ状態の私に向かって、少女は振り向いて私の顔をじっと見ていた。
美しい金髪をハーフアップにしたヤバいくらいの美少女……だけど、ヤバいくらいの美少女は普通他人のお腹蹴り破らないよね……
「美海様、お怪我は?」
「へ? えっと……無いです」
少女は無表情でこくりと頷くと、私の手を取り言った。
「申し訳ありません。エネルギーがいささか少なくなりました。補充をよろしいでしょうか?」
ほ、補充?
「あ、はい」
気の抜けた返事をした私に向かって、美少女は無表情のまま「では失礼します」と言うと、両手で私の両頬を包むように触れると、そのまま顔を近づけて……キスをした!
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