中年B級冒険者、子育てを始める

ドスター・ミーナツ

01

 夢を見ていた。


 迷宮『燻る石壁』最下層。見渡す限りに広がるのは灰と煤にまみれた石材。吹きすさぶ風は肺の底まで焼くように熱く、石の継ぎ目から漏れ出す炎は何もかもをおどろおどろしく演出している。


 視線の先にいるのは巨大なコウモリのようなモンスターたち。迷宮上層に現れるものの上位種に当たるそれらは、一匹で並のパーティーならば壊滅させるだけの力を持っている。


 加えて、無数のそれらを従えるように立つ一体の魔神。


 だがこちらも一人きりではなかった。自分の傍には信頼できる仲間たちがいた。


「領界掌握。早めにケリをつけましょう。存亡の危機にある地上の皆様のため、そして何より私の天才的な頭脳の健康のため」


 そういったのは『十息』ジズ・ミラアンゲール。迷宮構造へと浸透した魔術が呪いを始めとした不利な効果を退け、祝福をもたらしていく。


「飛んでる雑魚は全部落としてやる! 俺んとこまで雑魚をよこしたりしたら、後頭部に誤射してやっからな!」


 これは『星落とし』ラーネル。いつものように堂々と、身を隠すのも面倒だとばかりに身の丈を超える弓を引き始める。


 そして何よりも、彼女がいた。

 彼女の周りに漂うのは凍てつく冷気。この迷宮の熱気ですら、彼女には一歩たりとも近づけなかった。

 死と終わりの気配が色濃く漂う寒さ。それと相反する快活な笑顔。片手に携えた杖剣がまばゆく輝く。


「よぉし! アタシは突っ込む! 真正面からまとめてぶっ飛ばしてやろうぜ!」


『霜』のアンジェリカ・ベイノンはそう笑った。


「いつも通りフォローは頼んだぜ、ネイト!」


 そうして自分もまた駆け出した。

 片手に剣を、もう片手には勇気だけを握り締めて。


 迷宮と人類の果てしなく続く争い。冒険者たちはその先兵であり、防人であり、何よりも英雄であった。

 ネイト・リバーはS級冒険者としてその最前線を駆け抜けていて、永遠にそうあり続けられるのだと信じていた。


 今はもう絶えた、夢の話だ。






「……んあ?」


 目が覚めた。

 夢を見ているとわかっていたので、寝覚めはそれほど悪くない。しかし夢の内容が内容だけに、気分は最悪だった。


「あー、クソ。腹減った……」


 この街での拠点として酒場の二階を安く借りられたのはよかったが、毎朝のように仕込みの匂いで腹を空かせて起きることになるのは痛し痒しといった感じだ。


 小迷宮『四足徘徊骨塚』はかつて隆盛の忘れ去り、終わりを迎えようとする迷宮だ。迷宮の周囲にある街も、さらにいえばその街にある酒場の規模もそれ相応である。

 ネイトは古ぼけた階段を踏んで、どう頑張っても二桁のテーブルは並べられない一階へと降りた。


「よう、おはよう。今日も嫌になるくらいいい匂いだな」


 今まさにキッチンで肉に焼き目をつけていた店主が、寝起き丸出しのネイトの顔を見て苦笑いをする。


「おはよう。顔くらい洗ってきたらどうだ?」


「あ? 別にいいだろ。冒険者の顔なんて誰も気にしねぇよ」


 腹をボリボリと掻きながらの返事に、しかし店主は首を振る。


「ちょうど起こしにいこうかと思っていたところだ。あんたに客だよ」


「客? 誰だ?」


「さあね。聞いてない。だが正装をしろとまではいわないが、目ヤニくらいは落とした方がよさそうな雰囲気だったな」


「ふぅん……」


 曖昧に頷いて、くみ置きしてある甕から手桶一杯分の水をすくう。揺れる水面をのぞき込むと、自分の顔がこちらを見返してきた。


 若さを失った顔だ、と思う。


 老いのにじみ始めた目元に、疲れて濁った両目。ボサボサの髪は茶色で、肩に着くぐらいに伸ばし放題。顔の右半分を縦断するように三本の傷が走り、傷口周りの引き攣れのせいで、普通にしていても表情はどこかアンバランスだ。

 三十歳も半ばという歳のせいだけではない、気力や精力がすっかり抜け落ちた顔。小迷宮にしがみついて冒険者をやっているような男にはふさわしい顔かもしれない。


 両手でざぶりと水をすくえば、疲れ切った男の顔は波紋の中に消えていった。


「しかし、あんたに客なんて初めてじゃないか? 珍しいこともあるもんだ」


 かつて、ネイト・リバーはS級冒険者だった。彼の下を訪れる客は引きも切らず、その中には王族や貴族すらもが名を連ねたこともあった。


 けれどその肩書きを失ってからもう随分と経つ。


 今のネイト・リバーはしがないB級冒険者であり、彼の過去を知る人もほとんどいない。小迷宮に赴き、枯れかけたモンスターを倒しては日銭を稼ぐだけの男を、わざわざ訪ねてくるものなどいない。


「……まさかなんか悪いことをしたとかじゃないだろうね?」


 不安そうに視線を向けてきた店主に、笑いかけてやる。


「俺がそんなタマに見えるか?」


「ま、確かにそうだな」


 しかし、本当に何の用件だろうか? どこかでツケを作ったり、宿にまで押しかけられるようなトラブルは起こしていないはずだ。


 いぶかしみながら服の裾で顔を拭い、髪の毛を後頭部でひとくくりにする。訪れてきたという客は店先にいるらしい。


 ネイトは店主に断ってから、開店前の酒場の入り口を押し開けた。


「おはようございます。早くからすみません」


 果たして、店先に立っていたのは一人の男だった。


 年齢は自分よりも少し上くらいか。清潔な服装。糊のきいたシャツにベスト。武装はなし。失礼にならない程度に素早く男の全身を眺めてから結論づける。

 少なくとも知った顔ではない。それに冒険者でもない。


「あんたは……?」


「申し遅れました。私、冒険者ギルド職員のカルロ・レナルズです。B級冒険者、『灰の手』ネイト・リバー様でいらっしゃいますね?」


 ギルド職員が一体何の用だというのか。

 普通に冒険者として過ごしている上で、職員が向こうから訪ねてくることなどまずない。


 ネイトは眉間に皺が寄るのを感じながら、とりあえず首を振る。


「『灰の手』は昔の称号だ。S級だった頃のな。今はその肩書きは使ってない」


「おっと、失礼いたしました。では、ネイト様。本日は一件のご連絡と、一件のご依頼を携えて参りました」


 そこで気づいた。戸口に立っているのは男一人だけではない。


 男の背後に半ば隠れるようにして、一人の少女もまたいた。キツく唇を噛み、こちらを睨みつけるようにして見つめている。

 十歳になるかどうかという見た目は、明らかにギルド職員のものではない。まさか娘連れで仕事というわけでもないだろうが……とネイトはいぶかしむ。


 そんなネイトの前で、ギルド職員は静かで厳粛な表情を浮かべた。


「冒険者、『霜』のアンジェリカ・ベイノン様が任務中消息不明……すなわち亡くなられました」


 呼吸が、詰まった。


「……………………」


 脳裏をよぎったのはたくさんの記憶。

 毎日が発見と冒険と挑戦に満ちていて、今のように一日も一月も一年も同じように過ぎ去っていく前。何もかもが濃密で、呆れるほどに忙しくて、どうしようもなく楽しかった頃。


 その頃の記憶には彼女と、彼女の笑顔がいつも傍にあった。


「……そうか。あいつ、死んだのか」


 どうにか絞り出せたのは、そんな間の抜けた一言だけだった。


「はい。アンジェリカ様の逝去に伴い、彼女の遺言とギルド協定を執行させていただきます」


「遺言……? まさか形見分けだなんていわねぇよな」


「彼女の遺産につきましては、既に正規の手続きで処理を行っています。私の目的は――」


 半ば呆然としたまま会話をしていたネイトだったが、しかし職員の次の言葉で意識を取り戻すことになった。

 そうならざるを得ない、衝撃的な言葉だった。


「こちらにおられますアンジェリカ様の子女、キャサリン・ベイノン様。彼女の身柄を、彼女の父親であるあなたにお届けすることです」


 数秒、ネイトは硬直した。

 それから反射的な大声が飛び出す。


「……あいつの娘!? そんで、俺の子供!?」


「はい。アンジェリカ様の遺言にて指定されておりました。自分が亡くなった際にはかつての恋人であり子供の父親であるネイト・リバーの下まで娘を届けるように――と」


「いやいや、待て待て! 心当たりがねぇ……とはいわねぇけど! 少なくとも別れたときにはガキなんていなかったぞ! 産んだって話も聞かなかったし!」


「直接的な血縁関係があるかどうかを、ギルドは重視いたしません。遺言であなたが後見人として指定されており、あなたは協約において義務がある。それが大事な点です」


「だからってよぉ……」


 ちらりと少女の方に視線をやる。


『霜』のアンジェリカ・ベイノンの娘。キャサリン・ベイノンといったか。こうして話している間も、彼女は硬い表情のまま何もいわずこちらを見つめ続けている。


「……俺にガキを育てろって? マジでいってんのか?」


「協約の義務を果たさないということですか? その場合、いくつかの手続きを踏んでいただくことになりますが……」


「う、ぐ……」


 嫌になるほど平静なギルド職員の前で、ネイトは歯がみをする。

 彼が何もいえなくなったのを察して、職員は爽やかにいった。


「では、よろしくお願いいたします。一週間後に様子を見に来ますので」

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