俺が、俺になるまで⑥

 俺の目の前には、あの日、前世の記憶を思い出した日に立っていた、葬式会場が広がっていた。

 けれど、花に囲まれた遺影はたった一つしかなくて、そこに映っていたのは……。


(……俺だ)


 神崎栄司としての俺じゃない。

 あの日の葬式で突如思い出した、30年分の前世の記憶の持ち主。

 30歳という若さで死んだ、神崎栄司になる前の俺の、なんの面白味もない証明写真が飾られていた。


 改めて見渡すと、そこは、叔父叔母夫婦の葬式が行われた場所より、もっと小規模だった。

 こじんまりとした家族葬用のスペース……そこに、顔の見えない参列者が座っている。


 そして、その一番前の列には、


(父さん、母さん……!)


 俺の両親が、涙を流して座っていた。


 そうだ。俺はあの日、会社からの帰り道、信号無視で突っ込んできたトラックに轢かれて……死んだ。

 あまりにも突然だった。自分に何が起きたのか混乱している間に、俺は意識を失い、あっさり生涯を終えたのだ。



 俺の訃報を聞いて、両親はどう思っただろうか。


 仕事の忙しさにかまけて、大学を卒業して以降、一度も実家には帰らなかった。

 母さんはまめに電話をかけてきて、変わり映えのしない近況を何度も聞いてきた。俺の声を聞くだけで母さんは喜んでくれて……それなのに、俺はそんなたまにの電話さえ面倒くさがった。


 突然知らない番号から電話が掛かってきて、俺が事故死したと聞かされ、二人はどう思っただろうか。


 その現実をすぐさま受け入れられただろうか。「もっとちゃんと話をしていれば良かった」と自分達を責めなかっただろうか。


 父さんは変わらず仕事を続けられているだろうか。母さんは趣味にしていたブログをやめてしまってはいないだろうか。



 二人のことを思うと、胸が苦しくなる。たった一人の息子を失い、父さんは、母さんはどう思っただろうか。


 死んでしまった俺には分からない。知る権利がない。

 幻影のように見えていた葬式だって、きっと現実のものじゃない。そんなの分かってる。


 もしかしたら両親はそれほど悲しんでいないかもしれない。さっぱり受け入れてくれて……もしもそうだったら、そんな人達だったら良かったのに。


 俺は二人に何も残せなかった。何もしてやれなかった。嫁さんも紹介してやれなかったし、孫も見せてやれなかった。

 電話だって、面倒くさがらず、ちゃんと「俺は元気でやってるよ」って伝えていればよかった。

 そんな些細なことさえ、後悔として浮かんできてしまう。今更どうしようもないのに。俺は、何も、何も…………!



「えい、ちゃん?」


 和奏が、心配するように俺を呼ぶ。

 気が付けば、俺は膝から崩れ落ちていた。


 惨めに手をついて、呻くように涙を溢れさせていた。



 俺は、死んだ。


 前世の記憶として理解していた筈なのに、俺は今初めて、ようやく、その事実を理解した。



 思えば、『転生』という言葉を、今まで意図的に避けていた気がする。

 よみがえった記憶を前世と、過去のものだと思ってしまえば、どこか他人事でいられた。もう終わったことだからと、何も考えなくて良かった。


 けれど……そう無意識に避けること自体が、俺の中にどうしようもない後悔が燻っていた証拠だ。

 きっとそんな逃げ腰の俺だから、ここが前世で遊んだゲームの世界だと知った時、俺はどこかで神崎栄司(今の人生)に見切りをつけ、諦めてしまった。


 所詮脇役だ。いなくてもいい端役だ。どうせ俺には何もできないし、何も変えられない。そう思えば気楽だった。


 何にも期待しないで、向き合わないでいられた。


(でも……それじゃあ俺は、顔向けができない)


 後悔に引っ張られて足が竦む。もうどうにでもなってしまえと自棄になる。目の前の壁から逃げ出す。

 そんなことを繰り返していたらもっと後悔が溜まって、やがて息もできなくなるくらい、胸を、喉を締め付けてくる。


(今の俺が何かしたところで、前世の何が変わるってわけじゃない。でも、こんなところで燻っていたら、本当に、全部意味が無かったってことになってしまう)


 父さんと母さん……前世の両親に俺は何も返せなかった。期待に応えられなかった。

 けれど、だからこそ、みっともない俺ではいられない。全て繋がっているのだから。


 後悔に気が付いてしまったなら、分かりやすい言い訳をつけて、逃げるわけにはいかない。


「……ごめんな、和奏」

「え、えいちゃん、ごめん! あたしこそ、思いっきり叩いちゃって……」

「違うよ。おかげで目が覚めたんだ」


 呼吸は苦しいし、頭はズキズキ痛むし、みっともない。

 涙は次から次へと溢れ出して、止まることを知らない。

 でも、おかげでゴミは流され、視界ははっきりした。


「和奏の言う通りだ。大人になった気がして、分かった気になってカッコつけて、ただうだうだ言い訳してるだけのクソガキだった」

「そ、そこまでは言ってないと思うけど……たぶん」

「でも、やめたっ!」


 涙を思い切り拭う。擦って、擦って、ヒリヒリ痺れるくらいに擦って、無理やり涙を止める。

 もう何もせず後悔するのは嫌だ。後から、「やっぱりやらなきゃよかった」って思うかもしれないけれど……そうなったら、死ぬほど後悔するんだろうけど、その時はその時だ。


 だから、今は――。


「脇役だろうがなんだろうが、関係ねぇ! 俺が鈴那を救う! あいつの最高の兄貴になってやる!」

「わ、わきやく……? よく分からないけれど、でも、やっとえいちゃんらしくなった」


 急にやる気になった俺に、和奏は一瞬呆然としたものの、すぐに笑顔になる。


「あっ! で、でも、ごめん、その、呼び名……!」


 しかし、すぐに困り顔になってしまう。俺なんかよりずっと大人びているくせに自信の欠けている、俺のよく知る彼女らしい。


「いいよ、呼び方なんて。えいちゃんでも、栄司でも、神崎君でも、バカでもアホでもヘタレでも」

「根に持ってる!?」

「ああ、一生根に持つ」

「あれは、その……だって、えいちゃんがぁ……」

「だから、一生掛けてこの恩は返す。絶対にな」

「一生って……それって、これからもえいちゃんと一緒にいていいってこと!?」


 驚きながらも、期待に笑顔を咲かす和奏。

 彼女と幼馴染みでいるという、ゲームで描かれた未来と矛盾した選択――確かにここが分岐点なんだろう。


 けれど俺は、もう一瞬だって迷わなかった。


「もちろん。ごめん、和奏。中学に入る前に俺が変なこと言ったせいで、なんか、ギクシャクしちゃって……」

「ううん、いいよ。えいちゃんとまた、一緒にいられるなら!」


 和奏はぎゅっと俺の手を握り、また涙を浮かべる。

 そんな彼女を見て、胸が熱くなった。



 まずは一歩。

 決して届かないと分かっていても、もう立ち止まってはいられない。


 俺は生まれ変わった。


 だから、俺は俺として、後悔なき人生を送るために踏み出した。


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