俺が、俺になるまで⑤

「それ、本気で言ってるの?」


 和奏は一歩距離を詰め、プレッシャーを与えてくる。


「いつかって、何。えいちゃんは、それでいいの? 本当にそれでいいって思ってるの?」


 いや、ただ怒ってるわけじゃない。

 和奏の目は不安げに揺らめいていた。


 俺が一緒に過ごしてきた、しっかり者で、みんなからお姉ちゃんのように慕われているくせに、妙なところで自信が無い女の子。


 そんな彼女の、ダムが決壊する直前、今にも泣き出してしまいそうな目だ。


「あたしのことは嫌いになってもいいよ。うっとうしいって思ってもいいよ。でも今、一人きりで寂しくて、押しつぶされてしまいそうな女の子が、えいちゃんの妹が傍にいるのに、見て見ぬフリなんてやめてよ! そんなの……えいちゃんじゃない!」

「和奏……」


 苛立ちを曝け出すように、和奏が俺の胸を拳で叩く。「えいちゃん」と、子どもの頃のあだ名で呼びながら。


――中学生になったら、こんな風には過ごせなくなるな。

――え?

――だって、お互い損だろ。幼馴染みなんてガキくさいっていうか。


 そんな会話が頭の中で再生される。制服を試着した、あの日の会話。

 制服を着て、大人になった気がしていた。だから、物心ついてからずっと続けてきた関係が足枷になるように感じた。


 周りからからかわれる、「かな」、「えいちゃん」なんて子どもっぽく呼び合う関係を気恥ずかしく思ってしまった。


 え、と固まる和奏の反応を見ていなかった。


 これが今日まで続く和奏との不和の原因だったのか。

 そして、ずっと疑問に思っていたものの答えでもあった。


――ゲームでは、天宮和奏も神崎栄司も、お互いが幼馴染みだなんて一言も言わなかった。絡みも無かった。俺は二人が幼馴染みだなんて思ってもいなかった。


 栄司が作ってしまった亀裂が修復されないまま、疎遠になって、他人になったのが、ゲームに描かれた未来。


(だとしたら、ここが分岐点なのか……?)


 俺の頭が嫌なくらい冷静に思考する。


 ここで彼女の叱咤を受け入れれば、もしかしたら幼馴染みとしての関係は修復されるかもしれない。

 しかし、それでは天宮和奏に神崎栄司というイレギュラーを加えることになる。

彼女のストーリーを考えたとき、それはシナリオの根幹さえも崩壊させる事態を起こしかねない。

 そしてそれは彼女の、和奏の幸せを奪うことに繋がってしまうかもしれない。


(じゃあ、結局俺のやれることなんて何も……)


 俺はあくまで端役。ヒロイン達の幸せな未来を奪うなんて許されない。分不相応だ。だから――。


――パシンッ!


「……え?」


 頬に鋭い痛みが走った。

 思わず見返すと、和奏が手を振り抜き、必死に睨み付けてきていた。

 大粒の涙を流しながら。


「えいちゃんのバカ! アホ! ヘタレ!!」


「え? えっ!?」

「なんでそこで黙るの!? 迷っちゃうの!? えいちゃんの言う『大人になる』ってそういうこと!?」

「わ、和奏……?」

「鈴那ちゃんは……お父さんとお母さんを亡くして、苦しんでて……なのに、家族のえいちゃんが助けてあげなくて、誰が助けられるのよ……」


 じん、と打たれた頬が熱くなる。


 どうして和奏がここまで熱くなっているのか分からなかった。

 だって、和奏にとっては鈴那も、言ってしまえば俺も、家族じゃない他人だ。

 怒る義理なんかない。助ける義理なんかない。必死になっても、傷つくのは自分ばかりなのに。


(……違う。正しいのは和奏なんだ)


 頬の痛みが、なぜか胸を打つ。

 まるで頭の中にかかった霧が晴れていくみたいな、錯覚を覚える。

 そして……。


(あ……?)


 そして俺は……『その幻』を見た。

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