俺が、俺になるまで③

 そのゲームは、『恋色に染まる空』という名前だった。今思うと、中々胸焼けしそうなタイトルだ。


 泣きゲーと呼ばれるジャンルの、恋愛ゲームブームの渦中に発売されたこのゲームは、有名作から影響を受けた王道ストーリーながら、世間の評価は凡作止まり。

 むしろ大量の同ジャンル作品とのもみ合いの中で、知る人ぞ知るニッチな作品、といった感じだった。


 けれど、俺の中では思い出の一作として強く残っている。

 なぜなら、このゲームは俺にとって、初めて遊んだ恋愛ゲームだったからだ。


 俺がこの作品をプレイしたのは、大学生の頃だった。

暇を持て余し、なんとなく入ったゲームショップで偶々手に取ったのがきっかけだ。

 複数のエンディングが用意された恋愛ゲームなら時間が潰せそうだと思ったこと、持っているPCで遊べそうだったこと、そしてイラストが好みだったこと。

 そんな理由で手にし、プレイし、酷く感銘を受けた。


 表情豊かなキャラクター達。魅力的な声。感動的なBGMや演出。自分で選んだ選択肢に合わせて分岐する読み応えのあるストーリー。

 それらは恋愛ゲームというジャンルにある程度共通した要素なのだけれど、そんなことを知らない素人丸出しな俺にとっては、全てが新鮮で楽しかった。

 暇つぶしという目的は当然果たされ、それどころか寝食も忘れてのめり込み、当然ヒロインは全員攻略した。


 大学を卒業し、会社に勤めるようになって、忙しさからゲームも殆どやらなくなって……『恋色に染まる空』は思い出のひとつとなっていたけれど、まさか、ここがこのゲームの中で描かれた世界だったなんて!



 神崎鈴那、そして天宮和奏は、どちらもこのゲームのメインヒロイン、つまりは攻略対象だった。

 ゲームだと、神崎鈴那は高校一年生、天宮和奏が高校三年生だったから、今から三年後が舞台になるのか。


 物語は、高校二年生の時に転入してきた主人公がヒロイン達と出会い、仲を深めていく……という、実にオーソドックスな学園物で、当然、超能力だの怪異だのといったファンタジー要素は無い。

 ヒロインはそれぞれ大なり小なり問題を抱えていて、主人公はそれを解決していく中で恋仲に発展していくといった感じ。


 問題の深刻さはヒロインごとにまちまちで、全編通して問題と向き合っていく場合もあれば、踏み台的に解決しつつ殆どイチャイチャするだけみたいなものもあった。

 そして、ヒロイン・神崎鈴那のルートは、前者だった。


「……全然眠れなかった」


 鈴那がこの家に引き取られてきて、この世界が前世で遊んだゲームの世界だったと気付いて。

 昨日から今日になるまでに掛けて、ずっとゲームのことを考えていたおかげで、一睡もできないまま朝を迎えてしまった。

 頭痛はすっかり引いたけれど、寝不足のせいでぐちゃぐちゃした感じがする。今日は土曜日で学校は休みだから、しんどい思いをして学校に行く必要がないというのは救いだけれど。


――コンコンッ。


「へ?」


 ベッドに座り、ぼーっとしていると、不意にドアを叩く音が聞こえた。

 父さんは基本部屋を訪ねてこない。母さんはノックをせず無遠慮に入ってくる。

 となると、残る候補は一人しかいない。


「栄司さん」

「鈴那っ!? ……ちゃん」


 やはりというべきか、ノックの主は鈴那ちゃんだった。


「おばさんが、朝ご飯食べて、とのことで」

「あ、ああ、うん。分かった。わざわざありがとう」

「……いえ」


 ドア越しに会話をしていると、どうにも余計無感情に聞こえてしまう。

 本当に必要最低限の会話だけして、鈴那ちゃんは去って行った。

 なんというか、色々な意味でドキドキしてしまう。

 相手はあのヒロインの一人、神崎鈴那だ。ゲーム越しに見て、恋仲になった、あの。


 ……いや、今となっては主人公と鈴那の恋愛を眺めていた傍観者、と言う方が正しいか。

 というのも……。


「俺、『神崎栄司』だからなぁ……」


 神崎栄司は、主人公ではなく脇役の一人だった。

 主人公のライバルと言えばライバルだし、違うと言えば違う。

 色んな場面で登場するが、最も出番があるのは、やはり鈴那のルートだ。


 一言で表すと、ゲーム内の神崎栄司は『超絶シスコン変態野郎』。


 鈴那を天使と崇め讃え、気持ち悪い絡みをし、時には校舎の三階から飛び降りて平気な顔してたり、バスの上に乗って登場したりと、いかにも創作らしいギャグ特化の賑やかなキャラだった。

鈴那ルートのクライマックスでは彼らしからぬシリアスな面も見せはするけれど……。


「本当に俺、あれなのか……?」


 陽気なBGMを背負い神出鬼没する、高笑いが似合う残念イケメンの姿を思い浮かべ、絶句してしまう。

 というか、あの奇行を自分がやると思うと、顔から火が出そうになる! 明らかに纏っている空気がギャグマンガのそれだったし!

 中には物理的に無理そうな描写もいくつもあって、それこそ三階から飛び降りたりとかは普通に考えて無理………………なんだろうか。


 正直、こうなっては俺自身のハイスペックぶりにも納得がいくというか……頑張ればできてしまうんじゃないかという恐怖も僅かにある。高校三年生になれば、体格的にももっと成長しているだろうし。


「……いや、そんな細かい話、どうだっていいんだ」


 ゲームで描かれた『神崎栄司』の細かいディテールなんて、大した問題じゃない。

 なんたって『神崎栄司』は脇役だ。ルートによっては登場さえしない。その程度の存在。

 だから、考えるべきはそんなことじゃなくて……。


「俺が脇役であることを認められるかどうか、だよな……」


 この世界が本当にゲームで描かれた世界なら、脇役の俺は筋書き通りに回るよう、見守る義務がある。

 『恋色に染まる空』は、全ルートハッピーエンドのゲームだ。バッドエンドは主人公が彼女を作れなかった時だけで、それ以外のエンディングは全て、幸せな未来に繋がっている。

 俺はあくまで脇役。主人公じゃない。

もしも俺が勝手に動いて、結果的に主人公の邪魔をしてしまえば、約束されていたはずの誰かの幸せを奪い、壊してしまう危険性もゼロじゃない。


「ギャグキャラに徹するかはともかく……どちらにせよ、大人しく見守るのが一番だよな」


 かつて感銘を受け、没頭したゲームの世界。もしも本当にここがその世界ならば、自分の手でヒロイン達を幸せにしたい……そんな気持ちが多少なりともあるのは確かだ。

 けれどそれ以上に、かつて愛した――と、今になって言うのは面映ゆいけれど、そんなヒロイン達に幸せになってほしいという気持ちが強い。


(その邪魔にならないためにも……俺は、何も余計なことをしないよう気をつけるべきなんだ)


 眠気を訴える頭を必死に回し、そう答えを出す。


「これが正しい……正しいはずだ」


 そう自分に言い聞かせるようにつぶやきながら、しかし、言い聞かせようとしている時点で、どこかで納得できていない気もして……。


「……ああ、くそっ」


 寝不足も相まって、妙にイライラしてしまう。

 そもそもこの答えなんて、一晩中悩まずとも出ていたんだ。

 これが正しいって、なのに……どうして疑心暗鬼になってしまうのか、自分でも分からないのが余計に苛立ちを助長させる。


「……とりあえず飯食おう。そんで、寝る!」


 鈴那を介して母さんからせっつかれてしまっているんだ。いつまでもうだうだしていたら、俺が怒られるだけでなく、鈴那にも迷惑をかけてしまう。

 そういうわけで、俺は一旦蓋をし、無理矢理思考を打ち切るのだった。

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