第1話 俺が、俺になるまで

俺が、俺になるまで①

 遡ること約一ヶ月前。

 俺――神崎栄司は、突然、前世の記憶を取り戻した。

 いや、今の俺と前世の俺の意識が突然溶け合ったと言うべきか……とにかく、これまでの人生で感じたことのない奇妙な感覚に、俺は最初何が起きたのか全く分からなかった。


「栄司っ」

「はっ!」


 母に肩を叩かれる。

 困ったような、叱りたいけれど声を荒らげられない、そんな感じ。

 すぐさま意識を、前世の記憶から目の前に戻すと、見覚えのある顔写真が二つ、花に囲まれて笑っていた。


(そ、そうだ。俺は今……ていうか、なんでこんなタイミング!?)


 今俺は、母と連れ立ってお焼香を挙げている真っ最中だった。

 その最中に前世を思い出すなんて……我が前世ながら、あまりに空気が読めない!

 こっちだって気が付いたらこうなってたんだ、と前世の自分からのクレームが聞こえた気もしつつ、俺は母に従い、振り向く。


 その先には、喪主を務める父と、女の子が座っていた。

 俺は慌ててお辞儀をし、自分の席へと戻る。


 今日は葬式だった。俺の叔父夫婦の。不幸な交通事故だったと聞いている。

 ……あれ? それじゃあ、さっきの女の子は。


(鈴那……そうだ、従妹の鈴那ちゃんだ)


 親戚の集まりで何度か会ったことがある。

 間に30年程の前世が差し込まれたこともあり、随分昔のように感じられるけれど。

 でも、気になったのは彼女の目が、あまりに虚ろで、人形みたいで――


(……いや、そりゃそうだよな。両親亡くしているんだから)


 亡くなったのは彼女のご両親だ。もしも自分が彼女の立場ったらと思うと、その悲しみは計り知れない。

 俺にとっても叔父さんと叔母さんが亡くなったことは悲しい……けれど、


(なんだか、すごくしんどい……)


 正直なところ、今すぐにでもぶっ倒れそうなくらい、頭が疲労を訴えてきていた。


 どういう原理かは分からない。

 けれど、突然30年分の記憶が蘇ってきたのだ。まだ14歳、中学三年生の俺にとって倍以上もの記憶が。


 元々の俺、神崎栄司としての記憶さえ曖昧になりそうなくらい、頭の中がぐちゃぐちゃして気持ち悪い。


 今、倒れずに済んでいるのは、ここが葬式という、決して失礼の許されない場だからだ。突然実の弟が亡くし、入院中の祖父に代わって喪主を務めることとなった父の顔に泥を塗るわけにもいかないというのもある。


 我ながら、なんとも大人っぽい考え方だ。どうやら既に、前世の記憶による影響をがっつり受けているらしい。


 というわけで、本来ならば状況を整理するためにも、色々考えこみたいところではあるけれど、なんとか意識を保つために、今は思考を停止することに決める。

 しかし、そこからが長かった。葬式だけでなく、火葬場にも行くこととなったからだ。


 正直、立っているのがやっとで、殆ど覚えていない。叔父さん、叔母さんには申し訳無く思うけれど、全ては間を弁えず蘇った前世の記憶が悪い。

 叔父さん達には後日、墓前に手を合わせなんとか許しを請おうと誓うのだった。


 ◇◇◇


 それから数日が経ち、けれども俺は、今までと大して変わらない生活を送っていた。


 幸いにも、前世の記憶を思い出したからといっても、俺、神崎栄司の14年間がリセットされたわけじゃない。

 今までの記憶はきちんと存在した上で、そこに30歳近く生きた前世の俺の記憶が差し込まれた感じとでも言うんだろうか。


 多少その経験や知識を受けて、考え方や人格に影響は出ているかもしれないけれど、俺の現実は変わらず、現在中学三年生で、この春、高校受験期に突入したばかりの神崎栄司のままであった。


 両親がさらに二人いるという感覚には違和感を覚えたし、社会人経験があるのに学ランを着て中学校に登校するというのは、若干ハードだけれど。

 でも、目下の問題は別にある。


「行ってきます。……あ」

「あ……」


 朝、登校のために家を出たところで、今俺を悩ませる最上位者であるそいつと出くわしてしまった。


「よ、よお、和奏わかな

「っ……!」

「って、おい!? 行っちゃった……」


 明らかに不機嫌な顔で、思いっきり顔を逸らして、走り去っていく彼女の後ろ姿を、俺はただ呆然と見送るしかなかった。


 彼女は天宮和奏あまみやわかな

 俺んちのお隣さんで、生まれる前からの幼馴染みだ。

 同い年で、物心ついてからほぼずっと一緒にいた兄妹みたいな相手……なんだけど、今はなぜか避けられてしまっているらしい。


 理由は……ちょっと思い出せない。

 いや、何か原因があったのは確かだと思う。和奏の性格は温厚で、世話焼きで、同級生から見ても「みんなのお姉ちゃん」って感じのやつだ。

 俺に対しては幼馴染みということもあり、もっと気安い感覚だけれど……どちらにしろ、意味も無く人を嫌うタイプじゃない。


 でも、こうなったきっかけが思い出せない。30年分の記憶が間に差し込まれてしまったせいで、細かいエピソード記憶が奥に追いやられたというか……まぁ、分かりやすく言えばど忘れしてしまったのである。


(できれば仲直りしたいんだけどな……)


 家が隣同士なのにケンカしているなんて気まずいし、男女関係無く頼りになる良いやつだし。


 正直なところ、ついこの間までの俺は、和奏と疎遠になっても別に良いみたいなスタンスだった……けれど、前世の記憶を思い出した今は違う。

 大人になると、交友の幅はどんどん狭まっていく。進路の違い、仕事、結婚、その他諸々。色々なきっかけによって、友達や知り合いがただの他人になってしまうなんてよくある話だ。


 今年は高校受験。学校がばらければ、和奏とも他人になることは優に想像できる。

 そして、何よりも!


(可愛い幼馴染みを失うなんて、もったいない!)


 ……と、前世の記憶は熱弁する。

 確かに、これもついこの間まで意識してこなかったけれど、和奏は可愛い。美少女だ。

 クラスで一番、いや、下手すりゃ学年、もしかしたら中学全体で見ても一番かもしれない。尋常じゃなく可愛い。

 さすがに知りすぎているし、前世の記憶が混ざったおかげで余計に、下心は抱いてはいないけれど。


 なんにせよ、このままケンカしていても損しかない。だから、なんとかしたいのだけど……。


(でもなんか、どこかで見たことあるような気がするんだよな……?)


 記憶の隅で違和感が疼く。

 俺は彼女を知っている気がする。それも、今の和奏じゃなくて、それよりもうちょっと大人になった彼女を。


「って、そんなわけないよな。誰か、和奏に似てる女優とかと被ってるとか、そんな感じだろ、きっと」

「……栄司」

「わっ!? か、母さん?」

「なんでまだここに突っ立ってるのよ。遅刻するわよ?」

「あ、やばっ!」

「そうだ。今日は絶対寄り道無しで、真っ直ぐ帰ってきなさいね」

「え?」

「ちょっと話があるから」

「う、うん。わかった」


 改まってなんだろうと気になったけれど、また考え込んでいたら本当に遅刻してしまう。

 俺は一旦疑念を押し殺し、学校へ駆け足で向かうことにした。

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