第三十七話

「アリシア。あなたはエレナとリリアの監視役を命じます。離反は許しませんが、教会に所属したまま着いて行くことは許可します。二人と教会の間の橋渡しをしてもらいましょうか」


 ヴェロニカの提案に、エレナたちは驚きを隠せなかった。まさか、こんな形で許可が出るとは思っていなかったからだ。


「どうしました? 嫌なのですか?」


 ヴェロニカが不思議そうに首を傾げる。エレナは慌てて答えた。


「い、いえ! そうではありません! ただ、こんな簡単にお許しが出るとは思っていなかったので……」

「簡単、とは失礼な。私としては大きな譲歩のつもりですよ」


 ヴェロニカは眉を顰めた。確かに、聖女を手放すことへの抵抗感は相当なものだったはずだ。それでもエレナたちの願いを叶えてくれたのは、ヴェロニカなりの配慮なのだろうか。


 あるいは、何か別の意図があるのかもしれないが、それを詮索しても仕方がない。今は、目の前の現実に向き合うことだ。


「申し訳ありません。感謝します」


 エレナが頭を下げると、ヴェロニカは満足げに頷いた。


「ただし、条件があります」

「なんでしょうか?」

「アリシアには定期的な報告義務を課します。あなた方の行動を逐一知らせてもらう。また、行き先も指定させていただきます。加えて、付近の浄化も担ってもらいます。いかがでしょうか?」


 ヴェロニカの言葉に、三人は顔を見合わせた。他はともかくとして、エレナには一点だけ特に気になるところがあったので、確認する。


「その場所とは、どこでしょうか?」


 するとヴェロニカは、戸棚から地図を持ってきた。机の上に広げ、エレナたちに見るように促す。そして、「この辺りです」とある一箇所を指差した。エレナが目を見開く。


「ここって……」

「そうです。エレナ、あなたが開いた土地です。ここには今、新しく村が出来つつあります。この地に新しく教会の支部を建立する指示を出しますので、アリシアはそこで暮らすように」

「わ、私ですか……?」

「それはそうでしょう。〝聖女〟はあなたしかいないのですよ? 聖女――いえ、高位聖女アリシア」


 ヴェロニカの言葉に、アリシアが息を呑んだ。ここにきての突然の昇格辞令。きっと聖女では一支部を預かるには格が足りなさすぎるということなのだろう。


 とはいえ聖女になったばかりのアリシアではとても力も経験も足りない。アリシアは不安げに視線を泳がせた。


「あ、あの……浄化も私一人でやらなければならないのでしょうか……?」

「ええ、そうですね」


 ヴェロニカの言葉に、アリシアが愕然とする。そこに、ヴェロニカが付け足した。


「表向きは、どうしてもそうなるでしょう」

「表向き……?」

「監視の目はつけないということですよ」


 言わなくてもわかりますね、と言わんばかりに、ヴェロニカは言葉を切った。エレナもいるし、ましてやリリアもいる。〝うまくやれ〟と言いたいのだろう。アリシアにも伝わったようで、恐る恐る頷いた。ヴェロニカがエレナを見る。


「高位聖女としての振る舞いについては、エレナに習ってください。エレナ、引き受けてくださいますよね?」

「はい」


 エレナが首を縦に振ると、ヴェロニカが「そうそう――」と思い出したかのように話を切り出した。


「あなた方は新しい生活で何をするのか、決めているのですか?」


 そしてエレナとリリアを見る。二人は顔を見合わせて困惑した。


「特に決まっていませんが……」


 すると、ちょうどいいとばかりに、ヴェロニカは手を合わせる。


「でしたら、子供たちに学問を教えるのはどうでしょう?」

「学問……ですか?」

「ええ。村は現在開拓中です。また、付近の山は鉱山資源も豊富との調査結果も出ていますので、これから開発が進むでしょう。するとどうしても、子供の教育は疎かになる。そこであなた方が教会を利用して学舎を開くのはどうかと思ったのです。なんなら、そのための予算もつけましょうか」


 明らかにエレナに向けたヴェロニカの提案に、エレナは目を見開いた。


「よろしいのですか?」

「ええ。せっかく学んだことは無駄にしない方が賢明でしょう。私どもとしても教会の見聞を広めることに繋がります。それに、あなた方を縛る鎖は、多い方がいいですから」


 ヴェロニカは「わかるでしょう」と言わんばかりに、にっこりと微笑む。一方で、エレナは苦笑いを浮かべた。ヴェロニカの狙いが読めない。とはいえ、エレナに適した仕事を斡旋してくれたのは正直言ってありがたかった。


 リリアはどうだろうと隣に目をやったが、じっと見つめ返された。エレナの判断に任せるということなのだろう。


 教会の思惑に乗ることに対する不安はある。しかし、決して悪い話ではない。エレナは聖女をやめたが、その特性が変わったわけではない。目的のない日々を送るよりも、アリシアを手伝い、リリアと生き、未来を育てる。むしろ上々の門出と言えるのではないだろうか。


 エレナはアリシアとリリアの二人に目配せしてから、ヴェロニカに告げる。


「わかりました。条件、承知しました。よろしくお願いします」

「よろしい。では、くれぐれも約束は守ってくださいね」


 その後、アリシアの新しい徽章と修道服は後日送ること。また細かな打ち合わせのため、官吏が赴くことを伝えられた。


 三人は会議室を出ようと、ヴェロニカに向かって一礼する。アリシア、リリアの順に会議室から出て、最後尾はエレナだ。エレナが歩き出そうとしたとき不意に、ヴェロニカが髪を掻き上げて隠れていた耳を露出させた。気付いたエレナが息を呑む。


 リリアほどはっきりとしていないが、ヴェロニカの耳はほんの少しだけ、ウンディーネを思わせる形に変容していた。ヴェロニカは「内緒ですよ」と言わんばかりに、口に人差し指を縦に渡し、意味深な笑みを浮かべた。


「――エレナ?」

「あ、はい。今行きます」


 足を止めたエレナに、リリアが不思議そうに呼びかけた。エレナはリリアを一瞬だけ振り返り、そしてヴェロニカに視線を戻す。だがヴェロニカはすでに耳を隠してしまっていて、何も言おうとしない。


 詳しく訊ねたい気持ちを堪え、エレナは後ろ髪引かれる思いで会議室を出た。


 教会は、エレナが思っていた以上にいろいろなことを知っているのかもしれない。もしかして、ヴェロニカが時折見せたエレナに対する同情的な態度は、共感だったのだろうか。


 わからないことだらけだ。


 ウンディーネとは何なのか。なぜ魔物である自分にも浄化ができるのか。そもそも魔物とは。精霊とは。そして聖女とは――。


 そんなことをエレナは考え、そしてかぶりを振った。もう考えても仕方のないことだ。エレナはもう、教会の人間ではないのだから。


 一先ずの問題は解決した。これからは新しい生活が待っている。リリアと、アリシアと一緒の。想像すると、心が前向きになっていく。


 三人は、希望に満ちた表情で足取り軽く浄瀧殿を後にした。太陽の照らす光が優しく感じられる。


 ――新たな日々の始まりだった。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 


 これにて第一部完です。毎日更新もここまでとなります。第二部開始時期は現在のところ未定です。


 一旦、ステータスを「完結」とさせていただきます。再度、更新する際は「連載中」に変更します。


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 ここまで長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

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【異世界百合奇譚】水に祈りを、血に口付けを 金石みずき @mizuki_kanaiwa

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