第42話 ジョギング

『はぁ……はぁ……ちょ、キツいですって河島さん!これ以上走ったら絶対死にます!』

ぜーはーぜーはーと、過呼吸になるみっちーの声をイヤホン越しに訊く。

 ───早朝。午前6時。

 山から漏れ出た朝日が全身に降りかかる。

 息を吸うと、澄んだ空気が肺を満たす。

 それを吐き出して、テンポよくまた吸って、また吐き出しての繰り返し。

 俺や河島さんのように慣れた者からしたら作業。

 みっちーのような運動不足には苦行。

 俺───いや、俺たちは、みんなで早朝ジョギングをしていた────────。



 ───事を遡ること昨日。

 何度目か分からない、河島さんの提案から全てが始まった。

『早朝ジョギングしようぜ!』

「え?普通に嫌ですけど」

『あ、すまん言い方間違えたわ。早朝ジョギングするぞ!』

「あ、提案じゃなくて命令なんですね。一応理由を尋ねても?」

『いやー、最近スポーツジム通い始めたんだけどな。これがまたハマっちまって。久しぶりにバスケ部の血が騒ぎだしてジョギングしてーな、って』

「それは何よりですけど、俺たちまで巻き込まないで下さいよ。ただでさえ練習で睡眠時間カツカツなのに、朝早く走るなんて拷問じゃないですか」

 こないだも無理し過ぎて少し体調を崩したのだ。

 これ以上睡眠時間を削られるのは、肉体的にも精神的にも厳しい。

『じゃあ多数決とる?ジョギングしたい人ー?』

『………』

全員が示し合わせたように押し黙る。

 当然だ。

 睡眠時間がなくなるのも痛いが、それ以上に、ここにいるのは河島さん以外インドアなメンツだ。

 余程の理由でもない限り、ジョギングなんて絶対しないだろう。

 過信とかではなく、もはやこれは確信だ。

 ただ、河島さんはこれをどう勘違いしたのか────、

『お、これが暗黙の了解ってヤツ?なんだよ、みんなシャイだな。全く。走りたかったらそう言えって』

 河島さんが満足げに頷く。

「そんなワケないでしょう!?てか、使い方間違ってますし!」

『あ、そうなの?ま、どっちにしろ拒否権はないがな。どうせお前ら引きこもって碌な運動してないだろ?オフライン大会は体力も精神力もいる。このまま、当日本チャンは絶対厳しい。ベストパフォーマンスを目指すんなら、体力づくりは必須だ。つまりは──走るのも練習の一環だ。強制だよ強制』

「酷い偏見ですね……。でも……一理ぐらいはあるかも……」

 また河島さんに付き合わさるだけかと思いきや、思いの外、筋の通った話だった。

 何より、大会を何度も経験した者の言葉だ。

 不要だと切り捨てるには議論の余地がある。

『フン、僕には必要ない。僕は毎日清掃バイトという力仕事をしている。精神力と体力なら十二分に有り余っている』

『えー、えー、えー。嫌だなぁ。走るの嫌だなぁ。あ!持病の腹痛がッ!』

『私も昨日靭帯切っちゃったんだよね』

『………ん、特に不調はないけどパスで』

………みんな断固として反発する姿勢だ。

(てか、kS1n大学行ってないと訊いてはいたけど、全日バイトかよ)

 本当にプロに人生を捧げるつもりらしい。

 どうやら、俺はkS1nの覚悟を見誤っていたようだ。

「………なんか、ごめんなkS1n」

『どうした?生まれてきたことを謝るなら相手を間違ってるぞ?親にでもしてやれ』

「……ほんっっとデリカシーないよなお前。結構ガチめにお前のために言っとくけど、プロになりたいならそれだけは本気で直しとけ」

『?何がだ?』

 kS1nが首を傾げる。

筋金入りのホンマモンだ。

 今まで本当にどうやって生きてきたんだろう。不思議でならない。

『はーい!閑話休題!とにかく明日朝6時から走るぞ!今日は早上がりだ!』

河島さんが仕切り直す。

「ちょ、河島さん!何の権限があるんですか!いくらなんでもそれは横暴じゃ………」

『コーチ兼マネージャー兼チームリーダー命令だ。ほら、これで絶対だ。じゃ、俺は寝るから。アディオス』

「ちょ、話はまだ────本当に落ちやがったよ」

画面から河島さんのアイコンが消えた。

 おそらく、これから河島さんに連絡が届くのは明日の6時以降だろう。

 河島さんが抜けた後のVCはまるで夜のしじま。

 俺たちは途方に暮れたまま、ただ翌日を憂うのみだった─────。

 

 ───そして、今に至る。

 ちなみに、もちろん同じ場所に集合して一緒に走っているわけではない。

 通話を繋ぎながら、それぞれ別の場所を走っている。俺に関しては、学校への登校も兼ねていつもの山を走っているので、実は一石二鳥みたいな状況だった。

『は?まだ走り出して10分だぞ?そんなんじゃ漢磨けねーぞ』

 河島さんは極めて余裕そうな声色だった。

 体力があるのは本当らしい。

『こんなキツイなら別にいいですって……』

『ナマ言ってんじゃねぇ玉無しが。お前らもコイツみたくへばってねェよな?』

「いや、まあ俺はいつも山超えてるんで」

『………ん、余裕』

俺にとっては自転車から走りに変わった以外はいつものコトだし、コトねこに関しては一重に体力も天才的だからと言う他ない。

 他のヤツらは───────、

『………ぜぇ……はぁ………』

『おえっ……。朝んモン全部出てきそう……』

 ───予想通り悲惨だった。

 kS1nはいつもの嫌味すら吐く余裕はなく、太郎は嗚咽を上げて限界そうだ。

『kS1nお前バイトで体力あるんじゃなかったん?』

『………走る、……のは専門が、…いだ』

『そうか、じゃあ新鮮な体験だろ。空気は澄んでて気持ちいいし、朝日はなんとも言えない独占感だ。最高だろ、ジョギング!』

 いつもより気分が昂っている河島さん。

 もしかしたら、学生時代の部活動でも思い起こしているのかもしれない。

 ───確かに、自分もこの感じは好きだ。

 早朝にしか見れない景色のせいか、溢れ出たアドレナリンのせいか、それとも、みんなと走るのが純粋に楽しいからか。

 分からないが、この時間は俺にとって、それほど悪くなかった。

 ───とは言え、だ。

「河島さん、kS1nたちはそれどころじゃないと思いますよ。それと、さっき倒れる音しました。多分さっきから喋らないみっちーです」

───結局、およそ半分のメンバーが途中でリタイアしたため、以降早朝ジョギングはこれっきりとなったのだった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る