第118話 合宿二日目④ 〜かすかな気配〜

 シャーロットとエリアがヘンリーの実験の手伝いに向かったとハーバーから報告があったのと、ノアのバッグの中でエリアの使い魔が消滅したのは同時だった。


「実験の手伝いってんなら俺らも手伝いに行くか……って、ノア。どうした?」


 最初にノアの異変に気づいたのは、テオだった。


「いや……ちょっと出てくる。皆はここにいて」

「はっ?」

「……何かあったのか?」


 テオが疑問符を浮かべる中、サミュエルがノアに尋ねた。

 彼もまた、ヘンリーの突然の申し出に違和感を覚えていたのだ。

 だからこそ、ノアの言葉の意味にすぐに気づけた。


「まだわからない。だから、一人では行動しないで。皆でいれば安全なはずだから」

「おい、どういう事だよ?」

「ごめん。説明してる時間はない」


 エリアの使い魔が消えたという事は、少なくとも彼女は安全ではないという事。

 ノアは友人への説明を放棄して、その場を駆け出した。


「おい、ノア!」

「待て、テオ」


 追いかけようとするテオの肩を、サミュエルが掴んだ。


「ノアは俺らにここにいろ、と言った。従うべきだ」

「でも、今のままじゃ訳わかんねーだろっ」

「訳がわからないからこそだ。おそらく、ノアは俺たちよりもずっと多くの事を知っている。あいつの指示には従うべきだ」

「でも、あいつは『皆でいれば安全だから』っつったぞ。エリアやシャーロットが危険な事に巻き込まれてるんじゃねーか⁉︎」

「だから俺たちはここにいるべきなんだよ、テオ君」


 サミュエルに掴みかかろうとするテオの腕を、アッシャーが掴んで言った。


「はっ……? どういう事だよ」

「ノア君の切羽詰まった態度を見ても、事態は深刻である可能性がある。俺たちが着いて行った方が足手まといだ」

「っ……」


 テオが唇を噛んだ。

 自分たちとノアの実力がかけ離れているのは、この合宿で散々実感していた。


「そういう事だ。俺だって焦りがない訳ではないが、今は待つしかない」

「……そうだな。すまねえ、取り乱した」

「気にするな——ハーバーもな」

「……えっ?」


 サミュエルに声をかけられ、ハーバーはワンテンポ遅れて返事をした。


「たとえシャーロットとエリアに何かがあったのだとしても、お前に一切の責任はない」

「うん……ありがとう」


 ノアが飛び出して行ってから初めて、彼女は表情を緩ませた。




◇ ◇ ◇




 エリアたちを包んでいた結界が消滅していく。


「——わっ⁉︎」


 エリアの読み通り、結界は木の上にあったようだ。

 足場がなくなり、浮遊感を覚える。


 それは一瞬だった。

 落ちる、と思った時には、エリアは抱き止められていた。

 結界を消滅させた張本人であるノアに。


「間に合ったみたいだね、エリア」

「う、うん。多少走り回って疲れたけど、全くの無傷だよ」

「良かった」


 ノアは、エリアが無傷である事を確認して安堵の息を吐いた。

 素早く、しかし彼女に負担がかからないように地面に立たせてくれる。


「来てくれてありが——」

「お、お前っ、どうやってここがわかった⁉︎」


 エリアのお礼は、彼女を監視していた男の声にかき消された。


「ま、まさかっ、最初から木の上を探したのか⁉︎」

「いや、エリアが使い魔で誘導してくれたんだ。おかげさまで、真っ直ぐ到着できたよ」

「使い魔で……? そんな馬鹿な! あの結界は魔力どころか、魔法の気配すらも遮断する! 使い魔を送り出す事も、操作する事も不可能なはずだ!」

「たしかに苦労したよ〜? 疲弊ひへいするまで走り回りながら、結界の強度が一番低いところを探すのは」

「なっ……⁉︎ そ、そんな事できるはずがない! 僕は結界の強度をその都度変えていたっ、それも少しずつだ! 読み取れるはずがない!」

「それができたから、こうしてノアが助けに来てくれたのよ」

「ぐっ……!」


 男がエリアを睨みつける。

 出し抜かれたのがよほど悔しいのだろう。

 人生論を語っていた先程までの涼しげな表情は、すっかり影を潜めてしまっている。


 エリアはただひたすら結界内を走り回り、魔法を放っていると見せて、本当は感知魔法で結界の強度を隅から隅まで探っていたのだ。

 その結果、エリアが動くたびに男が都度結界の強度を変えている事、そして彼女から距離が遠くなるほど強度を弱めている事がわかった。


 結界による魔法や感覚の遮断は、ザルの網目みたいなものだ。

 強度が高ければどんな情報も通さないし、逆に強度が低ければ極小のものなら通り抜ける事ができる。


 エリアは諦めたふりをした瞬間に、自らの使い魔の中で一番小さいアリを、一番強度が低いところから脱出させた。

 あとは適当に会話を引き延ばしながら、使い魔を操ってノアを結界まで誘導したのだ。


 しかし、それは本来の感知魔法の範疇はんちゅうを超えた能力だった。

 グレースに師事したからこそ可能になった芸当だ。男が信じられないのも、無理のない事だった。


 しかし、納得するまで説明してやる義理はない。


「ノア、ハーバーとは会った?」

「うん。彼がエリアを拘束していたの?」

「そ。あいつは私の監視役」

「シャルとヘンリー先生は?」

「居場所はわからない。お姉ちゃんは多分アローラと戦ってる」

「なるほど……状況は何となく理解した。僕は彼を倒す。エリアはシャルとアローラの位置を探って」

「了解」


 エリアは数歩下がった。


(ノアが守ってくれてるんだ。私がやられる事はない)


 彼女はノアへの絶大な信頼を元に、感知魔法に全ての意識を集中させた。




◇ ◇ ◇




「僕を倒すだって? どうやって結界を消滅させたのか知らないが、あんまり舐め——」

「うるさい」


 僕は身体強化を発動させ、笑みを浮かべて余裕を見せようとする男の懐に飛び込んだ。


「っ⁉︎」


 目を見開いた男のみぞおちに、拳をのめり込ませる。彼は声も発せずに崩れ落ちた。

 サター星人との混血の証拠であるキバやツメがギリギリ出ない、ほとんど本気の一撃だ。

 当分、目を覚ます事はないと思う。


 僕はエリアを見た。

 彼女は目を閉じていた。集中しているんだろう。下手に声はかけないほうがいいな。


 それから少しして、彼女は突如として目を見開いた。


「そ、そこ! かすかに魔法の気配があるっ」

「どこ⁉︎」

「ここ!」


 エリアが僕の腕を引っ張った。

 花壇の上。二本の木の間。何かにぶつかる。


 見たところの景色に違和感はないが、間違いない。

 ここにもエリアが囚われていたものと同じような、視覚と聴覚、嗅覚や魔法の気配を遮断する結界がある。


 エリアはおそらく、「結界の気配を消す魔法」の気配を感じ取ったんだろう。

 本来、とても難しい作業だ。

 修行の成果が現れているな。


 木々の間のスペースは、とてもシャルとアローラが戦いを繰り広げられるものじゃない。

 エリアたちを囲っていた結界だって、彼女が走り回れるほどのスペースは陣取っていなかった。

 どうやら、結界の中は現実世界よりも広いみたいだ。


 先程、エリアたちを包む結界を消滅させた時と同じように、僕の得意魔法である吸収を発動させる。

 しかし、先程とは違い、何も起こらなかった。


「……ノア?」

「……ダメだ。干渉できない」

「ノアでもっ? まさか……諸刃もろはの術式⁉︎」

「多分ね」


 諸刃の術式。

 魔法師本人、またはその仲間に大きな制限を受けるかリスクを課す事で、魔法の強度を高める術式だ。


 吸収に対抗されているのではなく、そもそも結界に魔法的に干渉できてすらいないから、おそらくは特定の術者以外の干渉を受けないようにしているのだろう。


 厄介だな——。

 思わず舌打ちが漏れた。

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