第90話 ナンパを撃退する
シャーロットは、カミラとマーベリックより一足先に会計を終えた。
「ふふっ」
ノアに選んでもらった服が入っていると思うと、ただの入れ物であるはずの袋すらも大切なものに思えてくる。
店から出たすぐのところは人がいたため、少し離れた場所で、通行人の邪魔にならないように端に寄っておく。
「ねえ君。一人?」
三人の男がシャーロットに近寄ってきた。
軽薄そうな男たちだ。少し年上、高校生だろうか。
(明らかにナンパですね。適当にやり過ごしましょう)
「連れがいるのでお気になさらず」
「何、友達? あっ、それとも彼氏?」
シャーロットは、無意識に漏れそうになるため息を必死に堪えた。
別に喧嘩になっても勝てるし、正当防衛なら魔法で攻撃しても構わないのだが、穏便に済ませられる可能性があるのならそうすべきだろう。
幸い、カミラとマーベリックからは見えていないのだし。
「……彼氏ですけど」
「えー、君みたいな可愛い彼女を一人にするなんて酷いね。そんな気を遣えない奴なんて放っといて、俺たちと遊ぼうよ。退屈はさせないからさ」
「っ……」
ノアを悪く言われ、シャーロットは苛立ちを覚えた。
(我慢です、我慢。こんな人たちに何を言われても関係ありませんから)
怒りを
手を伸ばしてくる。
「ほら——」
「僕の彼女に何か用ですか?」
シャーロットの視界がカラメル色で覆われた。
「ノア君っ」
「ごめん。遅くなった」
シャーロットを振り返り、ノアが申し訳なさそうな顔をした。
「いえ、ありがとうございます」
怖くはなかったが、やはり彼氏に助けられるというのは嬉しいものだ。
「あぁ? てめえがそいつの彼女か?」
「そうです」
三人組が急にオラオラし出した。
格好つけているつもりなのだろうか。
(だとしたら二重でダサいのですけど……)
シャーロットに
「もう一度聞きますけど、僕の彼女に何か用ですか?」
ノアの口調は淡々としていたが、少しだけ怒りが滲み出ていた。
それが、シャーロットには嬉しかった。
「おうおう、ヒョロガリの割には度胸あるじゃねーか」
「彼女の前だから頑張ってんだろ? 格好いいねえ」
ヒューヒュー、と男たちが馬鹿にしたような笑みを漏らした。
それでもノアは全く表情を変えない。
相手にされていない事がプライドに障ったのだろう。
三人組は不機嫌さを隠そうともせずノアに詰め寄った。
「何か用かって? 簡単だ。お前の彼女、俺らに貸せよ」
「お断りします」
「……あっ?」
男たちは、ノアの顔を覗き込むようにガン付けた。
「何スカしてやがんだてめえ、あぁっ⁉︎」
「調子乗ってんじゃねーぞ、ガキ!」
「痛い目見たくないなら消えな。安心しろよ、借りるだけだ」
「そうそう。用が済んだらちゃんと返してやるよ。まあ——そいつがお前よりも俺らを選んだら別だがな」
「確かにな!」
男たちがギャハハハハ、と下品な笑い声を上げた。
そして、声を低くして言う。
「これが最後のチャンスだ。痛い目に遭いたくなかったら、黙ってそいつを貸せ」
ノアが
「もう一度言いますが、お断りします。迷惑なので他を当たってください」
「ってめえ!」
元々こういう連中は沸点が低い。
はっきりと拒否されて、自尊心が傷ついたのだろう。
一人の男がノアに掴みかかった。
軽々しく避けたノアは、男の手首を掴んで捻った。
「いててててっ……は、離しやがれっ!」
「はい」
ノアはあっさりと男を解放した。
男に怯えたのではなく、余裕があるからこその行動なのは明白だった。
「てめえ……舐めてんのかっ!」
「舐めてんのかはこっちのセリフだよ。これ以上僕たちに関わるな」
敬語をとっぱらったノアから、背後にいるシャーロットでも恐怖心を覚えるほどのプレッシャーがあふれ出した。
三人組の顔に恐怖が浮かぶ。
しかし、それを認められるほど、男たちの器は大きくなかった。
彼らは自分たちが怯えた事を誤魔化すように、大声を出した。
「な、何だよその目はっ!」
「やんのか⁉︎」
「別にやってもいいけど、大勢の人が見てるよ」
ノアが周囲に目を向けた。
三人組はちょくちょく大声を出していたので、周囲の注目を集めていた。
上手いな、とシャーロットはノアのやり方に感心した。
恐怖心を与えた後に、逃げ道を提示した。
この三人組のような連中は、心のどこか劣等感を抱いているため、本当は怯えていても素直に引き下がれない場合が多い。
それでも、周囲の目を集めているこの状況なら、「ノアにビビったから」ではなく「警備員に捕まったら面倒だから」という理由でその場を離れる事ができる。
「……ちっ、行くぞ」
「あ、あぁ、そうだな」
「覚えていろよ!」
あまりにも定番の捨て台詞を残して、三人組はそそくさと立ち去った。
「ノア、シャーロットちゃん!」
「二人とも、大丈夫かい?」
カミラとマーベリックが駆けてくる。
ちょうど買い物を終えたようだ。
店内にいた彼らからは見えない位置だったので、シャーロットたちが絡まれていた事には気づいていなかったのだろう。
「はい。ナンパの類でしたけど、ノア君に助けていただきましたから。ありがとうございます、ノア君」
「ううん、ごめんね。一人にしちゃって」
「いえ、お手洗いまで一緒に行くわけにはいきませんから」
「そりゃそうだけどさ」
ノアが苦笑いを浮かべた。
「私たちが一緒にいればよかったね。申し訳ない」
「ごめんね、シャーロットちゃん」
「い、いえ!」
頭を下げるカミラとマーベリックに対して、シャーロットは慌てて手を横に振った。
「お二人には何も責任はありませんから、お気になさらないでください」
「そうはいかないよ。いくら強いとは言っても、シャーロットちゃんは子供で、私たちはその保護者だからね。なるべく一人では行動しないようにしようか」
「っ……はい、ありがとうございます」
親からの愛情を与えられていないシャーロットにとって、マーベリックの言葉は涙が出るほど嬉しかった。
まるで、本当の子供のように扱ってもらえたから。
こんなところで泣いても迷惑をかけるだけなので、せり上がってきた熱いものは必死に飲み込んだが。
「ノア、お手柄だったわねぇ」
「父親として鼻が高いよ」
「彼女を守るのは当然の事だからね」
両親に褒められ、ノアが照れ臭そうにしている。
(本当、私の彼氏は格好良くて可愛いです)
男たちを怯えさせた時の威圧感などかけらも感じないノアを見て、シャーロットは小さな笑いをこぼした。
「それにしてもノア君」
「何?」
「先程助けていただいた事は本当に嬉しかったのですが、なぜAランク魔法師カードを見せなかったのですか?」
ノアは
本来なら魔法師養成学校の生徒は学校でもらう決まりがあるが、ノアをEランクのままにしておく方が問題だという結論になったらしい。
あれさえあれば、ナンパ男たちをもっと簡単に撃退できたのではないか——。
シャーロットの頭にふと浮かんだ疑問に対するノアの答えは、単純明快だった。
「忘れたんだよね、家に」
「何をやっているのですか。しっかりしてください」
「いやぁ、うっかりうっかり」
苦笑いを浮かべながら頭を掻いていたノアは、「ん?」と何かに気づいたように声を上げた。
「ていうかさ、それを言うならシャルだって、カード見せれば一発だったじゃん」
「非現実的な事を言いますね」
シャーロットはニヤリと笑い、胸を張って答えた。
「忘れたに決まっているでしょう」
「いや、そっちもかーい」
ノアのツッコミを受けて、シャーロットはクスクス笑った。
「自分も忘れたくせに、よく僕の事をなじれたね君」
ノアがこのやろう、とでも言いたげに肩を揉んでくる。
シャーロットは肩が凝りやすい。
気持ちいいだけなのでされるがままになっていると、背後から不満げな声が聞こえた。
「……気持ちよさそうにされると複雑なんだけど」
「だって気持ちいいんですもん」
シャーロットはノアを振り返ってにへらと笑った。
ナンパに絡まれた事など、彼女の頭からはすでに消え去っていた。
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