第74話 ジェームズの末路
ブラウン家当主がわざわざ病院まで訪ねてきて、一体何の用だろう?
深く考える間もなく、ムハンマド・ブラウンはやってきた。
僕とシャルは、ベッドから出て彼を出迎えた。
挨拶はシャルに一任した。
実家とはほとんど絶縁状態だとはいえ、彼女は貴族だ。
平民の僕よりはよほどふさわしいだろう。
「ムハンマド・ブラウン様。本日はようこそお越しくださいました。私はシャーロット・テイラー、こちらはノアです。このような格好でお出迎えをいたす事、どうかお許しください」
おおっ、さすが。
何気にこういう改まったシャルを見るのは初めてだ。
新鮮でいいな。
「そんな畏まらずとも良い。押しかけてきたのは私で、二人とも入院患者なのだ。横になっていたまえ」
「ありがとうございます。それでは失礼します」
「失礼します」
シャルに続いてベッドに腰掛ける。
いくらいいと言われていても、流石に横になるわけにはいかないよね。
今のところどこも悪くない……というより、体調は普通に良いし。
「それでムハンマド様。本日はどのようなご用件でお越しになられたのですか?」
「愚息が色々と迷惑をかけた事について、謝罪に来たのだ。サター星人の刺客が襲来した際、息子のジェームズが故意にノア君を囮に使って逃げ出したそうだな。そして、ノア君を守るためにシャーロット嬢も無理をしたと聞いた。この度は本当にすまなかった」
ムハンマドが僕らに向かって腰を折り曲げた。
マジか。
貴族の、それもブラウン家ほどの名家の当主に頭を下げられるとは露ほども思っていなかったから、僕はテンパってしまった。
「い、いえ、顔をお上げくださいっ」
「お気になさらず。私もノア君も無事でしたから」
シャルも言い添えた。
「あぁ。本当に二人とも無事で何よりだ。それとノア君」
「はい」
「以前、君が人間主義者に襲われたのも、ジェームズの手引きだったようだ。私の監督不届きだ。重ねて申し訳なかった」
「いえ、シャル……シャーロットさんが助けてくれましたから」
「そうか。感謝する、シャーロット嬢」
「いえ。ノア君は私にとって、何よりも大切な存在です。守るのは当然の事ですから」
さっきから、シャルの言葉に若干のトゲがあるんだよね。
牽制の類かな。
「本当に大事に至らなくてよかった。だが、今回ジェームズが行った事は立派な犯罪行為だ。学校は退学し、次期当主の座も剥奪した。また、事態を重く見た
「はい」
退学になったんだ。まあ、そりゃそうか。
もはや殺人未遂だもんね、あいつがした事は。
「入院中に失礼した。なるべく早く謝罪をしておくべきだろうと思ったのだ。後に、それぞれの実家にお詫びの品も届けさせよう」
そう言い残して、ムハンマドは去っていった。
正直お詫びの品も辞退したいくらいだったけど、家に直接謝罪に来るとか言わなくてよかった。
「ふぅ……」
ムハンマドが退出すると、僕は思わず息を吐いてしまった。
「お疲れ様でした、ノア君」
「シャルもお疲れ様。僕、特に失礼な事はしてなかったよね?」
「はい。ご立派でしたよ」
「シャルがいてくれるっていう安心感のおかげかな。ありがと」
「お力になれたなら幸いです」
シャルが嬉しそうに笑った。
「にしても、わざわざ入院中に訪ねてきて頭を下げるまでするって、結構な待遇だよね? シャルがいたからかな」
「それもあるでしょうが、多分ノア君が思っている以上に、みなさんノア君の扱いに慎重になっているのだと思います。何せ、ノア君は国家魔法師の中で最強とも言われている師匠よりも強い可能性があるのですから」
「あぁ、まあそっか」
ルーカスさんはサター星の刺客のヘストスという男に少し苦戦したらしい。
もし仮にケラベルスがヘストスよりも強かったのなら、僕の方がルーカスさんより強い可能性もあるのか。
「ノア君の方が立場が低いうちに、というより自分たちの方が有利な立場のうちに謝罪しておこうというのが向こうの考えでしょう。その証拠に、露見すれば立場が悪くなる事は必至の人間主義者襲撃事件については謝罪をしたのに、確たる証拠のないこれまでのジェームズさんのノア君に対する仕打ちについては、一言も触れてきていませんから」
「なるほど……貴族って面倒だなぁ」
お義母さんとお義父さんが貴族じゃなくてよかった。
「そうですね……ですが、ノア君は結構腹の探り合いなどはお得意そうですけど」
「何でよ、やだよそんなの」
僕は苦笑いを浮かべた。
「そういえば、ジェームズはWMUで強制労働させられるって話だったけど、犯罪者でも全員が全員警察のお世話になる訳じゃないんだね」
「そうですね。ランクの高い犯罪者は警察ではなくWMUが受け持つ事も多いですから。警察の権威を守るためか、あまり公にはされていませんが」
「なるほど」
警察よりもWMUの方が魔法的な戦闘力は上だ。
関係性はイマイチわからないが、棲み分けはできているのだろう。
「強制労働って、どんな事させられるんだろう?」
「囚人と変わらず、肉体労働だと聞いた事があります」
「魔法も封印されたんじゃ、キツいだろうね。もしかしたらそれを機にジェームズが更生するかもよ」
「可能性としてないとは言えませんが、低いでしょうね。反省する機会はいくらでもあったでしょうから」
シャルが吐き捨てるように言った。
ジェームズの事はなるべく話題にしない方が良さそうだな。
「……すみません。少し苛立ってしまいました」
「全然いいよ」
シャルのベッドに腰かけ、上半身を起こしているその頭を撫でた。
彼女は気持ちよさそうに目を細めた。
「……ノア君って、私の頭を撫でるの好きですよね」
「うん。何か撫でたくなるんだよね。迷惑じゃない?」
「全く。私もノア君に撫でられるのは好きです……」
語尾が弱い。眠そうだな。
「日当たりがいいし、眠くなってくるよね」
「ずっとベッドの上にいるとどうしても眠気を感じますね……ふわぁ」
シャルがあくびを噛み殺した。
「少し寝たら?」
「はい……」
シャルがもぞもぞと布団に潜り込みながら、生返事をした。
もはや半分、夢の中のようだ。
「おやすみ、シャル」
もちもちスベスベのほっぺにキスを落とした。
シャルは何も反応しない。
寝ちゃったかな、と思っていると、その頬が赤色に染まり始め、口元が緩み出した。
シャルがゆっくりと目を開けた。
こちらを恨みがましそうに見てくる。
「眠気、一気に飛んだのですけど」
「ごめん。頬が目の前にあったから、つい」
「……別にいいですけど」
シャルがむくりと起き上がった。
言葉とは裏腹に不機嫌そうだ。睡眠を邪魔されたら、そりゃ機嫌も悪くなるか。
「ごめんね、寝るの邪魔しちゃって」
僕がわりと本気で頭を下げると——、
——ちゅっ。
柔らかいものが頬に触れた。
「……えっ?」
「仕返しです」
横を見ると、頬を染めたシャルが、イタズラが成功した子供のように笑っていた。
……また、キスされたんだ。
頬が熱を持つのがわかる。
僕は顔を背けた。
「ノア君って積極的なところもありますけど、意外と攻められると弱いですよね」
「うるさい」
「ふふっ、可愛い」
先程とは反対に、シャルが頭を撫でてくる。
悔しさもあるけど、それ以上になんだか無性に甘えたくなって、上半身を起こしたシャルの膝の上に寝転んだ。
髪を撫でられていると、今度は僕に眠気が襲ってきた。
「ふわぁ……」
あくびが漏れてしまう。
「完全に立場が逆転してしまいましたね」
「うん……」
「少し、お眠りになりますか?」
「うん……」
襲ってくる睡魔に身を委ねようとした、その瞬間。
——ちゅっ。
頬に柔らかい感触を感じるとともに、リップ音が聞こえた。
意識が一気に覚醒する。
頬が熱い。
「私の気持ち、おわかりいただけましたか?」
「うん……絶対嫌じゃないんだけど、なんだかモゾモゾする。大声で叫びたくなる感じ」
「ですよね」
「今後は、お互いが眠そうな時の不意打ちはやめよっか」
「そうですね。平和に行きましょう」
「うん」
こうして、僕らの間には「睡魔接近時不接吻協定」が結ばれた。
結局、その後も同じ体勢のまま雑談を交わしていたら寝落ちしてしまい、ハンナ先生に「そういう事は退院してからにしてね」と真面目な表情で忠告された。
居た堪れなかったけど、シャルの恥ずかしがる姿が可愛かったから良しとしよう。
◇ ◇ ◇
「クソがっ……!」
数多の作業員が働いている工場で、不機嫌さを隠そうともせずに悪態をつく少年がいた。
WMUにより強制労働を課された
「何で俺がこんな事しなきゃいけねえんだよ……!」
手を動かしてはいるものの、忙しなく動いているのは口だけで、作業に身が入っていないのは明らかだった。
「おい、新人。サボるな!」
「ああっ?」
自身を怒鳴りつけてきた工場長に、ジェームズはメンチを切った。
「てめえ、俺様に向かって舐めた口聞いてんじゃ——ゴフッ!」
工場長の拳がジェームズを襲った。
魔法が封印されたジェームズは、ただの少しばかり運動神経が良いだけの少年だ。
毎日肉体労働に従事している大人に勝てる道理はなかった。
「舐めてるのはてめえだ、ガキ。これまでどんないいご身分だったのか知らねえが、ここではただの新人だ。立場を
「くそっ……!」
ジェームズは唇を噛みしめた。
それもこれも全部、ノアとシャーロット、そしてクソ親父のせいだ!
見てろ、ここを出たらなんとかして封印を解いて——、
「何があったのかは知らねえが、取りあえず冷静になって過去を分析してみるんだな。他責思考じゃいつまで経っても成長はできんぞ」
「何……⁉︎」
ジェームズは工場長を睨みつけるが、工場長は意に介した様子もなく、言いたい事だけを言って自分の持ち場に戻っていった。
「……クソがっ!」
猛烈に腹が立ったジェームズは、拳を地面に打ちつけた。
それが、自らが深層心理で理解している事を言語化されたがゆえの怒りである事には、この時のジェームズはまだ気づいていなかった。
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