第46話 異星人の襲来

「おはよう、シャル」

「お、おはようございます」


 僕の差し出した手を、シャルがおずおずと握って車から降りてくる。

 その瞳はうるみ、頬は上気している。


 登校時の恒例行事なので、今さら行為自体が恥ずかしいわけではないだろう。

 イヴの事を意識しているがゆえの反応だと、容易に想像がついた。


 向こうも意識してくれているという事実が嬉しいし、恥ずかしがっているシャルは大変可愛らしい。

 彼女が初々しい反応をしてくれるおかげで、恥ずかしさよりも愛おしさを感じられるため、僕は精神的にゆとりができるのだ。

 色々な意味でシャル様様である。


 車の中で呆れたような表情を浮かべているエリアにウインクをして見せれば、彼女は半眼になってため息を吐いた。




「二人がヤったんじゃないかって噂になってるよ」


 昼休みの生徒会室。

 シャルがいなくなったタイミングで、エリアはおかしそうに言った。


「あー、そりゃ、僕たちが付き合ってると思い込んでる人から見ればそうか」

「イヴにデート誘ったんでしょ? よく告白我慢できたね」

「す、まで口から出た」

「あぶなっ」


 エリアが苦笑した。


「いっその事、告白しちゃってもよかったと思うけどね」

「一瞬思ったよ。けど、やっぱり一大イベントだからさ。シャルにとっても最高の思い出になるようにしたいんだ」

「いい彼氏さんじゃん」

「まだ違うけどね。それに、付き合う前が一番楽しいとも言うし、純粋にシャルが恥ずかしがってるのを見るのって楽しいし」


 僕がフフフと笑うと、エリアが頬を引き攣らせた。


「……お姉ちゃんもとんでもない人に捕まったな。やりすぎて嫌われないようにね」

「そこは頑張る」


 僕が親指を立てると、エリアが「不安だなぁ」と笑った。




 放課後は、シャルの家に遊びに行った。

 一緒に宿題をしていたのだが、トイレに立って戻ってくると、シャルはペンを握ったままボーッとしていた。

 僕は忍び足で背後から近づき、


「——わっ!」

「ひゃああああ!」


 ……想像以上に反応が良かった。


「きゅ、急にびっくりさせないでください!」


 シャルが真っ赤な顔で胸を叩いてくる。

 いつもより力が強い。


「痛い痛い。心臓破裂するよ」

「それはこっちのセリフですよ……」


 シャルがはぁ、と息を吐いた。


「ごめんごめん。何をボーッと考え込んでいたの?」

「それは……」


 透き通るような白色に戻りかけていたシャルの顔が、再び赤みを帯びていく。


「の、ノア君には関係のない事ですっ」

「へぇ」


 僕は目を細めてシャルを凝視ぎょうしした。

 彼女は真っ赤な表情で膝に置いていたクマのぬいぐるみに顔を埋め、視線だけをこちらに向けて、


「……意地悪」

「っ〜!」


 だめだ。

 僕のあげたぬいぐるみを使ってのそれは、破壊力が高すぎる。

 照れを誤魔化すために、シャルのノートに視線を落とした。


「あっ、シャル。こことここ、間違えてるよ」


 数学の問題で、簡単な移項のミスをしていた。


「えっ……本当ですね。ありがとうございます」

「ううん、シャルが二つも凡ミスするなんて珍しいね。集中できてないんじゃない?」


 揶揄からかうように言うと、シャルがキッと睨みつけてくる。


「そういうノア君はどうなのですか」


 シャルの手が、素早く僕のノートを奪い取った。


「いやぁ、僕はちゃんと集中していたから——」

「こことここ、シンプルな掛け算のミスをしていますし、角度計算に至っては引き算を間違えていますよ。これだと、三角形の内角の和が百九十度になっちゃいます」

「えっ……本当だ」


 めちゃくちゃミスをしていた。

 シャルがニヤニヤ笑って顔を覗き込んでくる。


「珍しいですね。堅実なノア君がこんなにも初歩的なミスを犯すなんて……何か、気が散ってしまうような事でもありましたか?」

「べ、別に」


 僕はサッと視線を逸らした。

 君への告白のセリフを考えていました、なんて言えるはずがない。


「ふふ、可愛い」


 頬をつつかれる。


「ぷにぷにです」

「ぷにぷにしてて可愛いのはシャルだよ」


 僕は仕返しとばかりに、シャルの頬をつまんだ。

 すごい。美人って何しても美人なんだ。


「ふぉ、ふぉっとふぉあふんっ。ひゃめふぇふふぁふぁい!(ちょ、ちょっとノア君っ。やめてください!)」

「……ぷっ」


 耐えきれずに、僕は吹き出してしまった。

 シャルは不満気に唇を尖らせていたが、やがて一緒に笑い出した。


 お互い変なツボに入ってしまい、落ち着いたと思ったら顔を見合わせて笑い合う、という事を幾度か繰り返した。


「……双方火傷したところで、勉強に戻ろっか」

「そうですね。私、氷属性の基本の魔法だけ習っているので、もしも火傷がひどかったら言ってくださいね」

「その時はお願いするよ」

「お任せください」


 笑みを交わして、問題集に目を戻す。

 こんな幸せな日々が、ずっと続けばいいな——。

 心の底からそう思った。




◇ ◇ ◇




 その日、学校中が目に見えて浮き足立っていた。

 明日から冬休み——というわけではない。

 今日、十二月二十二日は木曜日なので、明日も学校はあるし、イヴとクリスマスの土日を挟んだ月曜日が終業式だ。


 にも関わらず、皆がソワソワしている理由。

 それは、今日の昼頃にサター星が接触してくると予想されているからだ。

 互いに一番接近するのが十二時二十分過ぎで、そのタイミングで扉を開くのがもっとも効率的だ。


 サター星が非友好的である可能性が高いため、前に別の惑星が接近した時よりも緊張感はある。

 それでも、学生にとっては対岸で起こっている興味深いイベントに過ぎなかった。


 僕は、他の生徒たちよりも少しだけ深刻に捉えていた。

 明後日のイヴにシャルに告白する予定なのに、何かがあってはそれどころではなくなってしまう可能性がある。


 だから僕は、安心材料を求めてシャルに尋ねた。


「ねぇ、シャル。ルーカスさんってどれくらい強いの? シャルと戦ったらどうなる?」

「瞬殺されますね」

「……マジで?」

「えぇ。師匠が氷属性魔法を使わなかったとしても、結果は変わらないでしょうね」


 魔法師にはそれぞれ、得意な魔法の属性がある。

 シャルとルーカスは、ともに氷属性が得意だ。

 というより、シャルと同じ属性だったから、テイラー家の当主であるオリバーが師匠になってくれとルーカスに打診したらしい。


 一般的な火や水、風、土、氷などではない属性は、総称して無属性と呼ばれる。

 エリアの感知魔法も無属性なので、彼女の得意魔法は無属性魔法という事になる。


 ちなみに、僕も一応無属性魔法らしい。

 覚醒したら、何かしらの特殊な魔法でも使えるようになるのだろうか。


 属性魔法は攻撃性の高い技が多いため、学生のうちは習得できる技のレベルに制限が設けられている。

 シャルが氷属性の基本技しか使えないのも、そのためだ。


「シャルを瞬殺できる人っていたんだ」

「普通にいますよ。上には上がいますし、師匠に関しては個人戦最強魔法師などと呼ばれてもいますから」

「何それ格好いい」

「男の子ですね」


 シャルがクスッと笑った。


「なので、そもそも相手になるわけもないのです。よしんば【統一とういつ】を使ったとしても、まず勝てないでしょうね」

「えっ、【統一】使えるの?」


【統一】は、人間が無意識のうちに自身に設けているリミッターを全て解除する事で、使用者の潜在能力を全て引き出す事ができる究極の技だ。

 しかし、その反動は大きく、長時間使用したり激しい戦闘を行えば、死に至る可能性すらある。

 まさに命懸けの最終手段だ。


「まさか。あれは意図して使えるものではない……んん、そうですし」


 シャルが途中、喉にものが引っかかったような咳をした。


「大丈夫? 風邪?」

「いえ、大丈夫です」


 シャルがにっこりと笑った。

 無理をしているようには見えなかった。


 僕は二重の意味で安堵した。

 元気そうなのはもちろんの事、シャルが【統一】を使えない事にも。

 いざという時になったら、シャルは躊躇ちゅうちょなく命を懸けてしまうように思えたから。




 四時間目が二分ほど早く終わると、教室中の生徒がこぞって窓際に詰めかけ、視線を右に向けた。

 そちらに特定来訪区域があるからだ。


「マジでぼちぼちくるよな」

「空に裂け目ができるんだっけ?」

「確かその向こうは紫色なんだよな」

「紫ってなんかワクワクするよな」

「わかる」


 男子を中心に話が盛り上がる。

 僕とシャルは、一歩引いたところから空を眺めていた。


 しかし、十二時二十分になり、更にそこから二分が経過しても、特定来訪区域上の空に変化はなかった。


「おい、方角って向こうで合ってるよな?」

「間違いねえよ」

「距離が遠過ぎて見えないんじゃね?」

「うわー、それはあるかもな。特定来訪区域って、周囲に人がいないところに設定されてるし」


 徐々に皆の関心が薄れてきたところで、一人の女子生徒が「あっ」と声を上げた。


「どうした?」

「あ、あれ……何?」


 女子生徒はそろそろと指を上げた。

 その指先は特定来訪区域のある方角ではなく、僕たちのいる場所——学校のほぼ真上を差していた。


 ——空が裂けて、その向こうには紫色の空間が広がっていた。


 僕も、シャルも、クラスメートも、先生も、誰しもが無言でそちらを見つめる中、緊張感のない声が空から響いた。


「あれ、学校じゃん。この星で一番強いやつがいる場所に繋がるように設定したはずだけど、もしかしてミスった?」


 空に浮かんだまま、腕を組んで困惑した表情を浮かべるその仕草は、スーア星の人間と何一つ変わらなかった。


 しかし、僕たちは瞬時にソレが自分たちと同じ種族ではない事を理解した。

 ソレの指からは犬のように鋭利なツメが生えており、口元からは狼のごとく鋭いキバが覗いていたからだ。

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