第39話 シャルの後悔と決意

 いずれシャーロットが姿を見せる事は、ジェームズにも予想できていた。

 しかし、そのタイミングは彼が想定していたよりも大幅に早かった。


 雇った人間主義者の一人がノアを気絶させたという報告に来るのと、通信機からシャーロットが近くに来ているという情報がもたらされたのは、ほとんど同時だった。

 人間主義者たちにはすぐにその場を離れるように告げてから、ジェームズは通信機越しに密偵と状況を確認した。


「それは確かにシャーロットなんだろうな。偶然か?」

『いえ、かなりの速度です。おそらく、ノアのおおよその位置が割れているのではないかと』

「なんだと……⁉︎ 近くにテイラー家の者の姿は⁉︎」

『確認できる範囲では見当たりません』

「くそっ、どういう事だ……!」


 通信機の向こうの密偵は、貴重な通信機を持たせるほどには優秀な男だ。

 その彼でも見つけられないという事は、本当にテイラー家の者は関わっていないのだろう。

 だとすると、シャーロットはどうやってノアの位置を割り出したのかという疑問が残るが、今はそれどころではない。


『争いの形跡や血痕から辿られるでしょう。数分以内には間違いなく追いつかれます』

「クソッ、どうする……!」


 ジェームズは頭を掻きむしった。


「どう対応なさるにせよ、ノアには近づいておいた方がよろしいのではないですか?」

「そうだな」


 唯一連れてきていた側近の言葉に頷き、ジェームズはシャーロットと鉢合わせしないようなルートを選びながら、ノアを乗せた荷台に接近した。

 その途中で思いついたほとんどの案は、どこかにほころびが生じた。


 ジェームズが手を回していた明白な証拠を残さないために、取れる選択肢は一つしかなかった。


『シャーロット、接近! 木を登ろうとしています!』


 通信機からの情報。

 木に登ってしまえば、ノアの現状もバレる。

 ジェームズに迷っている時間はなかった。


「クソが……!」


 悪態を吐きつつ、ジェームズは魔法の槍で人間主義者と彼らが雇った用心棒の全員を串刺しにした。

 目を見開いて固まっているシャーロットと視線が交差する。


 あえてそれを無視して、ジェームズは荷台に近づいた。

 全員の息の根が止まっている事を確認し、荷台に登ろうとする。

 ジェームズより一歩早く、シャーロットが荷台に降り立った。


 ノアを背に隠し、警戒心を隠そうともせず鋭い視線を向けてくる。


「ノア君をどうするつもりですか?」


 扱いの差にはらわたが煮えくり返りそうになりながら、ジェームズは手を挙げて抗戦の意思はない事を示した。


「誤解だ。俺にそいつをどうこうするつもりはねえ。そもそも、そいつがいる事も今知ったからな」

「では、あなたの目的は何ですか?」

「俺はこいつらを追っていただけだ」


 ジェームズは周囲の死体に目を向けた。


「逆に、シャーロットはなぜここにいる?」

「ノア君がピンチだったからです」

「お前が一緒にいてこんな奴らにノアを引き渡すはずがねえ。よくノアの事を見つけられたな」

「えぇ」


 シャーロットは短くそう言うのみだ。

 現状を把握できていない体で話さなければならないため、ジェームズはそれ以上、詰問できなかった。


「追っている相手を皆殺しにして良かったのですか?」


 再び問うてくるシャーロットの瞳には、疑念が浮かんでいた。

 彼女は賢い。ノア襲撃にジェームズが一枚絡んでいて、口封じのために皆殺しにした可能性も視野に入れているだろう。

 実際、その通りだ。


「あぁ。こいつらは見せしめだ。情報はもっと上の連中から取る」

「そうですか……」


 シャーロットが目を細めた。

 疑いは全く晴れていないようだが、それでいい。

 あとは雇った人間主義者団体との繋がりさえ露見しなければ、問題はないのだから。


 シャーロットの解釈や考え次第では、当初の予定通り、ノアとシャーロットの仲を引き裂ける可能性も残っている。


「こいつらの身柄は俺がもらっていくぞ」


 シャーロットは何も言わなかった。了承の合図だ。

 死体を魔法の縄でひとまとめに括って、ジェームズは側近を連れてその場を立ち去った。




◇ ◇ ◇




 僕が最初に感じたのは、頭の下にある柔らかさだった。

 ゴロリと横を向く。


「ひゃっ……!」


 誰かの声が聞こえた気がする。

 いい匂いだ。その人の匂いだろうか。


「あ、あの、ノア君っ。その体勢は少し……」

「えっ?」


 自分の名を呼ばれた事で、脳が覚醒する。

 視線を上げると、水色の瞳と目が合った。


「シャル……わっ⁉︎」


 ソファーでシャルに膝枕をされており、腰に抱きつくような体勢になっていた。

 僕は慌てて起き上がった。

 見覚えのある内装が目に飛び込んでくる。シャルの家だ。


「あ、あのっ、そんなに激しく動いて大丈夫ですか⁉︎」


 シャルが血相を変えて尋ねてくる。


「えっ? うん、大丈夫だよ……あぁ、そうか」


 僕、人間主義者の一団に襲われて、それで——、


「っ……!」


 意思とは関係なく、体が震えた。

 死ぬかもしれないという恐怖がよみがえってくる。


「はぁっ、はぁっ……!」


 息が上手く吸えない。


「ノア君、落ち着いてくださいっ」


 シャルに抱きしめられる。

 顔に柔らかい感触。

 背中を優しく叩かれる。


「大丈夫。もう大丈夫です。ゆっくりと息を吐いて……そうです。吸って……吐いて……」


 シャルの言葉に合わせて呼吸をすると、息が楽になった。

 ゆっくりと顔をあげる。

 心配そうにこちらを見つめるシャルと目が合う。


「大丈夫ですか?」

「……うん、おかげさまでね。また、シャルに助けてもらっちゃったんだ」

「いえ、駆けつけるのが遅くなり、申し訳ありません」

「謝る事じゃないよ。シャルがいなければ、僕はどうなっていたのかわからないんだから。本当にありがとう」


 僕が重ねて感謝の言葉を述べると、シャルはなぜか辛そうに顔を歪めて視線を逸らした。


「シャル?」

「……私に、ノア君から感謝の言葉をいただく権利はありません」

「どういう事?」

「今回の一件、おそらく原因は私なのです——レヴィの時と同じように」


 シャルは拳を握りしめながら、事の顛末を語り始めた。


 僕を襲ったのはジェームズも目をつけていた団体で、シャルが僕を助けようとした寸前にジェームズが全員を殺して、死体を回収した——。

 簡単にまとめると、そういう事だった。


「ジェームズさんの追っていた一団にたまたまノア君が目を付けられるのは出来すぎていますし、全員を皆殺しにしたのも不可解です」

「でも、ジェームズは上から情報を取るって言っていたんでしょ?」

「もし情報が取れると確信しているのなら、下っ端の始末に次期当主自らが出てくるはずはありません。それに、昨日の視線の事もあります」

「あぁ、今日シャルの家に集まるって約束した時?」

「そうです。あの時の視線はジェームズさんだったのかもしれないし、私たちの会話が聞こえていたのは間違いないでしょうから、ノア君を襲う計画も立てやすかったはずです」

「確かに……」


 言われてみれば、色々と疑わしい点は多い。


「けど、僕は確かにジェームズに嫌われていると思うけど、今更狙ってくる事ある?」

「あるのです。詳細は言えませんが……今思えば、プライドの高い彼なら、ノア君を狙う可能性は十分に考えられました。でも、私は自分の思い通りに事が運んだ喜びに囚われ、その可能性に気づけなかったんですっ……」


 シャルが唇を噛んだ。

 その表情には悔しさと怒りが滲んでいる。


 責任感の強い彼女の事だ。

 きっと、自分自身に腹を立てているのだろう。


「今回の件もまた、私の読みの甘さが招いた事なのです。本当に申し訳ありませんでした……」


 シャルが泣きそうな表情で頭を下げた。

 僕は咄嗟とっさにその頭に手を置いていた。


「謝らないでよ。シャルはしっかりと助けてくれたんだから、感謝しかしてないって」

「それでも、私が万全の対策をしていなかった事に代わりはありません」


 シャルが顔を上げた。

 瞳には強い意志の光が感じられた。

 まさか、また関わりを拒絶されるんじゃ——、


「だから、今後は私にノア君の送り迎えをさせていただけませんか?」

「……えっ?」


 予想外の言葉に、僕の思考はフリーズしてしまった。


「シャルが、僕の送り迎えを?」

「はい。今回の対応を見ても、ジェームズがノア君を狙ったのだとしたら、まず間違いなく彼は目立たないように行動しています。人目のつかないところでノア君が一人にならない事を徹底すれば、襲われる可能性はまずありません」

「それはそうかもしれないけど……シャルに迷惑じゃない?」

「まさか。私としてはむしろ、ノア君と長くいられるので嬉しいです。それに私なら、身体強化を使えばノア君の家からここまで五分ですから、全然問題ありません。どうでしょうか?」


 シャルの主張が正しい事は理解できた。

 しかし、僕は素直に首を縦に振る事はできなかった。


 彼女が本当に迷惑だと思っていない事は、見ればわかる。

 問題は僕自身の心だった。

 シャルに守られる事に抵抗があるのだ。


 男尊女卑だなんだと言われるかもしれない。

 それでも、男として好きな子の前では格好つけたいし、僕がシャルを守れる存在でありたかった。


 それが、取るに足らないくだらないプライドである事は自覚していた。

 悔しさはあるが、シャルに心配をかけたくないし、断ると逆に迷惑がかかるという事も理解していた。


(つまらない意地を張るな。せっかくのシャルの好意を無駄にするんじゃない)


 そう自分に言い聞かせるのに、どうしても迷ってしまう。

 言うまでもなく、ノアの葛藤かっとうは伝わったのだろう。


「ノア君」


 シャルが、身を乗り出して顔を覗き込んでくる。

 その瞳は、思わず目を逸らしたくなるほど真っ直ぐだった。


「抵抗はあるかもしれませんが、ノア君の安全が最優先です。私に、あなたの護衛をさせてください」

「……うん、わかった。お願いするよ」


 いつになく強引なシャルに押し切られる形で、僕は彼女の提案を受けた。

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