第37話 男の逆恨み

 シャーロットとジェームズの婚約話は秘密裏に持ち上がり、秘密裏に消滅した。

 知っているのはテイラー家とブラウン家の一部の人間だけで、貴族界には一切漏れていない。


 しかし、当然ながらその当事者であるジェームズには、シャーロットが縁談を断った旨は伝わった。


「俺との縁談を断るだと……⁉︎ なぜですか、父上⁉︎」


 ジェームズは思わず報告をしてきた相手——父でありブラウン家当主であるムハンマドに詰め寄った。


「ブラウン家に嫁入りするにはウチのシャーロットは相応しくないから、だそうだ」

「そんなの——」

「それと、どうやらシャーロット嬢に意中の相手がいるそうなので、それを尊重したいらしい」

「なっ……⁉︎」


 シャーロットの意中の相手。

 思い当たる人物など一人しかいない。


(間違いなく、ノアの野郎だ……!)


 ジェームズはギリギリと奥歯を噛みしめた。 


「まぁ何にせよ、この話は破談になった。今後とも、シャーロット嬢との婚約はないだろう。ヨリを戻せるのであれば、スミス家長女のアローラ嬢と再びお付き合いしておけ。あぁ、婚約の話は他言無用だぞ」

「っ……わかりましたっ……」


 やっとの事でそれだけ答えて、ジェームズは自室に戻った。

 一人になった瞬間、それまで抑えていた怒りを爆発させる。


「シャーロットの野郎、俺との婚約を断ってノアを選ぶだと⁉︎ ふざけやがって……!」


 シャーロットに一度振られてから、ジェームズは彼女に嫌われないように立ち回ってきた。

 彼女と急接近したノアに手を出さなかったのも、そのためだ。


 しかし、もう我慢の限界だった。


「許さねえ……シャーロット……!」


 可愛さ余って憎さ百倍。

 もはやジェームズの中では、シャーロットは意中の相手から一転して、憎悪の対象に変わっていた。

 しかし、テイラー家の次期当主であるエリアと仲の良い彼女に手を出してはいけない事くらいはわかっていた。


 ——ならば、シャーロット以外に手を出して、彼女にもダメージを与えればいい。

 ターゲットはただ一人に絞られた。


「ノア……てめえとシャーロットの関係、終わらせてやるよ」


 ノアを痛めつけて、それとなくシャーロットにこちらの意図を伝えるのだ。

 ノアを傷つけられたくなければもう二度と奴と関わるな、と。


 ノアは巻き込まれ損だが、ジェームズにとってEランク魔法師は、そこらに落ちているゴミと変わらなかった。


「全く馬鹿なやつだ。身の丈に合わず、シャーロットと近づかなけりゃよかったのによ」


 Eランクの雑魚が、ちょっと趣味が同じくらいで高望みをするからだ——。

 ジェームズは口の端を歪めた。


 彼の頭の中では、すでにノアとシャーロットの関係は終わっていた。


「ククッ、俺様はレヴィなんぞと違ってしっかりと計画を立てるからな。失敗するわけがねえ」


 悪どい笑みを浮かべ、ジェームズはどうしたら明白な証拠を残さずに計画を実行できるか考え始めた。




◇ ◇ ◇




 シャーロットは、課題に取り組むノアの横顔に目を向けた。


 彼との関係は続いている。実家からの邪魔が入らない事も保証された。

 一時は奈落の底に突き落とされたが、実家からの突然の呼び出しは、結果として最高に近い形で幕を下ろしたと言えるだろう。


 けれど、一連の流れの中で、シャーロットは幸せな日々がいつまでも続くわけではない事を、当たり前が当たり前ではない事を学んだ。

 だから、一日一日を大切にしようと思った。

 具体的には、より積極的にノアと関わろうとするようになった。


「ノア君」


 休み時間にノアに話しかける。


「何?」

「明日、先週大量買いした子たちの読破会をしませんか」


 お家デートに誘ってみる。

 偽とはいえ、彼女の特権だ。

 明日は土曜日。当然、学校はお休みである。


「本を子供扱いしているのは放っておくとして、いいね。場所はどうする?」

「ノア君がよろしいのでしたら、私の家に来ませんか」


 シャーロットは頬が熱を持っているのを自覚した。

 これまでにも何度かノアを招き入れてはいるが、休日に特別な予定もなく誘うのは初めての事だ。


「うん。うちはどうしても人がいて落ち着かないし、シャルがいいならそうしようか」

「大丈夫です」


 シャーロットはよしっ、と心の中でガッツポーズした。


「時間は何時くらいが都合が良い?」

「午前十時はどうですか?」


 なるべく長く一緒にいたいため、シャーロットは常識的な範囲の中で一番早い時間帯を提案した。

 ノアの家からシャーロットの家までは、徒歩三十分ほどかかる。

 あまり早めの時間を設定しては、彼に迷惑だ。


「いいね。そうしよう」


 ノアが頷いたその瞬間、シャーロットは強烈な視線を感じた。

 ノアも感じたようで二人同時に振り返るが、こちらを見ている者はいなかった。


「気のせい? シャルも感じたよね?」

「はい……」


 視界にジェームズが映る。

 視線を感じたのか、彼は顔を上げた。

 間接的とはいえ彼を振った事に違いはないため、気まずさを覚えたシャーロットは慌てて視線を逸らした。


 疑問の視線を投げかけてくるノアには、何でもないと首を振っておいた。




◇ ◇ ◇




 ——翌朝。


「九時半……ノア君が来るまであと三十分ですね」


 シャーロットは時計を見ながら呟いた。

 それから部屋の中を見回して、角に落ちているゴミを拾う。

 ほんの少し前まではプリントや服が散らかっていても気にしなかったのだから、恋の力とはすごいものだ。


 ソファーに置いてあるクッションの位置を直し、カウンターにノアがくれたマグカップをさりげなくペアで並べておく。


「……よしっ」


 もう一度部屋を見回して、シャーロットは満足げに頷いた。

 ノアからもらったクマのぬいぐるみを抱えながら、これからの事を思い浮かべる。


「少しくらいはスキンシップもしたいですよね……」


 ノアに頭を撫でられたり抱きしめられたりするのは、もちろん恥ずかしさもあるが、それ以上に安心するのだ。

 ノアの暖かさやその感触、匂いを思い出して一人ニヤニヤしていると、ポケットから振動を感じた。


「えっ……まさかっ!」


 サァー、と血の気が引いた。

 浮かれた気持ちが一瞬で吹き飛ぶ。


 ポケットに入っていたのは、ノアが片割れを持っている契り貝。

 もし身の危険を感じたら、魔力を込めてください——。

 そう言ってノアに渡した貝は、振動しながら白く発光していた。


「ノア君……!」


 シャーロットは着の身着のままで家を飛び出した。

 身体強化を発動させ、懸命に足を動かす。


 契り貝は二つで一つ。

 ノアが魔力を込めている間は、何となくの場所は把握できる。

 ノアの家に程近い。

 ここから歩いて二十分ほどだ。


 少しずつではあるが、遠ざかっている。

 走っているにしては遅い。

 状況が読めない。


 全速力で駆け抜けるシャーロットのポケットで、断続的に契り貝が振動する。

 少なくとも、ノアには自力で魔力を込められるだけの余裕はあるという事だ。


 しかし、シャーロットは気づいた。

 振動が、回数を重ねるごとに徐々に小さくなっている事に。


「そんな……!」


 ポケットから契り貝を取り出す。

 発光も弱まっていた。

 そして、意識していなければ気付かないほど弱く振動したのを最後に、反応がなくなった。


「ノア君……!」


 すぐに行くから。どうか、私が着くまで無事でいて——!

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