第30話 ご褒美

 ——夕方。


 僕が筆記試験の勉強をしていると、シャルがリビングに入ってきた。

 彼女は今まで風呂に入っていた。


 魔法の修練をが終わった後の日課である。修練は必ず汗を掻くのだ。

 僕も、是非と勧めてくれるシャルの好意に甘えてお風呂を使わせてもらう事が多い。


 風呂上がりの彼女はいつもより薄着で、肌はかすかな赤みを帯びている。

 シンプルに色気があった。


 その状態で隣にやってくるものだから、たまったものではない。

 うなじや鎖骨、むき出しの手足。

 少しでも気を抜くとそういったところに視線をやってしまうため、僕は全力で勉強に意識を向けた。

 元より、シャルが僕の隣にきたのも、誘惑するためでなく勉強するためである。


 テスト期間中の放課後、僕らは毎日のように彼女の家で勉強会をしていた。

 シャルと過ごせるし、他人の目があった方が勉強もはかどるので、僕としては一石二鳥だ。


 向こうから誘ってくれているので、シャルも迷惑はしていないと思う。

 思うのだが、僕はどうしても気後れを感じざるを得なかった。


「ごめんね、魔法の特訓の相手になってあげられなくて」


 僕とシャルではレベルが違いすぎて、彼女の実技の練習の相手をしてやれないのだ。

 エリアも頻繁に来れる立場ではないため、必然的にシャルの修練は自分一人でできるもの限定されてしまっている。


「そんなの気にしなくていいですよ。こうしていろいろ教えていただいていますし、アドバイスも的確ですし。むしろ、成長を実感しています」

「でも、修練室を使わせてもらって、風呂まで入らせてもらっている身としては、申し訳ないというか」

「汗をかいたままは良くないですし、こちらもお菓子などを作っていただいているのでトントン以上だと思うのですが……それなら一つ、お願いをしてもいいですか?」


 シャルがおずおずと尋ねてくる。


「何?」

「もし私が総合順位で五位以内に入ったら、ご褒美をください」

「ご褒美?」

「はい。たとえば……何でも一つだけ言う事を聞いてくださる、とか。もちろん、無茶な要求はしません」

「そこは信頼しているけど、そんなのでいいの?」

「それがいいのです」


 シャルの表情は真剣そのものだった。


「もちろんいいよ」

「ありがとうございます」


 僕が快諾すると、シャルは小さく拳を握って微笑んだ。

 それから、さらにやる気を出して勉強を再開する。

 微笑ましく思う一方、何を命令・・されるのかと少しだけ怖くもあった。




◇ ◇ ◇




「……あんたら、キモ」


 エリアが僕とシャルを交互に見て、うへぇと口元を歪めた。




 魔法師養成第一中学校では、定期テストの実技、筆記、総合の三部門で、学年の上位三十名までの順位表が廊下に張り出される。

 僕はシャル、そしてたまたま廊下で会ったエリアとともに見に行った。


 そして、冒頭の台詞を頂いたのだ。

 なぜかといえば——、


「お姉ちゃんが総合と実技で一位、筆記で二位。ノアが筆記で一位って、どういう事よ⁉︎」


 そう。僕らはこれまで以上に良い順位を取ってしまったのだ。


「いやぁ、頑張ったね、シャル」

「ノア君もすごいです。私も頑張ったのに、差は詰まりませんでした」

「まあ実技ではボロ負けだし、筆記くらいは勝たないとね」

「おいコラ、無視すんな」


 エリアに肩を小突かれ、僕は順位表に目を向けた。


「エリアだって全部でランクインしてるじゃん。僕なんて総合ではランク外だよ?」


 言うまでもなく、実技が足を引っ張ったのだ。

 ちなみにエリアは筆記では七位、一桁順位にまで食い込んでいる。


「そうだけど……やっぱり一位はキモいよ」

「頑張った人に対する言葉じゃないよね、それ」


 僕は肩をすくめた。

 もちろん、エリアも本当にけなしてきている訳ではないとわかっているので、腹は立たない。


「シャーロットさん、すごいねー」


 シャルがクラスの女子から話しかけられている。

 僕へのいじめにも参加しなかった、比較的良識的な子たちだ。

 だからこそ、シャルも仲良くしているのだろう。


「一位、二位、一位ってやばくない?」

「名実ともに学年トップじゃん」

「そんな事はありませんよ。今回はたまたま、運が良かっただけです」


 シャルは謙遜しつつも嬉しそうだ。


「えー、本当かなぁ」


 シャルとは一番仲が良いであろうオリビアが、ニヤニヤしながら僕にチラリと視線を送ってくる。

 そして、


「これぞ、愛の力ってやつなんじゃないの?」

「なっ……⁉︎」


 シャルが頬を真っ赤に染めた。


「確かに、ノア君も筆記一位だし〜」

「絶対そうじゃん!」

「うわぁ。愛の力、恐るべし……」

「ち、違いますよ!」


 シャルが顔を赤くさせながらブンブン手を振っている。

 口元がにやけそうになるのを抑えながら、僕はそっとその場を抜け出した。




 ——放課後。


「……ノア君は私を見捨てました」

「ごめんって」


 僕はシャルの家で、順位表の前で囲まれていた彼女を見捨てた事を責められていた。

 もっとも、シャルも本気で怒っているわけではない。

 その証拠に、ポカポカと二の腕を叩いてくる拳にも、全く力はこもっていない。


「許しません……頭を撫でてくれないと」


 シャルが肩にコテンと頭を乗せてくる。

 あまりにも可愛らしいに、僕の口元は自然と緩んでしまった。


「それくらいなら全然いいよ」

「……何だか馬鹿にされている気がするのですが」

「気のせいだって」


 優しく頭を撫でてやれば、最初は不満そうだったシャルの表情も柔らかくなってくる。

 気持ちよさそうに目を細めている姿は、本当に猫みたいだ。


 十分ほど撫でていると、シャルが上体を起こした。


「もういいの?」

「はい、十分です。今度は私が撫でてあげます」

「えっ、僕はいいよ」


 嫌ではないが、恥ずかしい。

 むぅ、とシャルが不満げに頬を膨らませた。


「私が撫でたいのです。撫でさせてください」

「お返しに見せかけるとは巧妙な……それ、一位だった報酬としてのお願い?」


 試験期間中お世話になったお礼として、僕はシャルに「総合五位以内なら何でも彼女の言う事を一つだけ聞く」という約束をしていた。

 シャルはいいえ、と首を振った。


「これはただのわがままです。ただ、一位だったので少しくらい色をつけて欲しいなー、なんて思ったりもします」


 シャルがちろりと舌を出してふふ、と笑った。

 そんな可愛らしい仕草を見せられて、僕に拒否するという選択肢はなかった。

 シャルが自分の膝を叩く。


「では、どうぞ」

「……えっ?」


 どうぞって?


「えっ、ではありません。ノア君の方が大きいので撫でづらいですし、寄りかかられてもきついですから」

「いや、まあ、それはそうだけど……」

「それとも嫌、でしたか? 男の人は膝枕をされると喜ぶと聞いたのですが……」


 誰が吹き込んだ。

 十中八九、エリアだろうな。

 ニマニマとした顔が頭に浮かぶ。


「もちろん嫌じゃないよ。ただ、恥ずかしいというか……」

「なら大丈夫ですね。ほら、ノア君もたまには甘えてください」

「……では、失礼します」


 僕は大人しく体を倒し、太ももに頭を乗せた。

 そこには少なからず男としての欲望があったが、すぐに後悔した。


 こんなの、生殺しもいいところだ。

 まだ、生足ではなくてよかった。

 きっと理性を抑えきれなくなっていただろう。


 頭を撫でるシャルの手つきは優しく、心地よかった。


「ふふ、もふもふです」


 頭上から嬉しそうな声が降ってくる。

 気を紛らわすために、僕は自分から話しかけた。


「そういえばさ、何でも言うこと聞くってのはどうするの?」

「それなんですけど、一日ノア君の休日をいただく、というのはどうでしょうか?」

「僕は全然構わないよ」


 構わないどころか、むしろ僕のご褒美でもある気がする。


「ありがとうございます」


 シャルが頭をポンポンと叩いてくる。

 子供扱いをされているようでむず痒いが、嫌な気持ちはしない。


 そのまま撫でられ続けていると、まぶたが重くなってきた。

 あれ、まずい。このまま寝たらシャルにも迷惑がかかる。起きないと……


「ノア君もお疲れでしょう。眠っていただいて構いませんよ」


 シャルの優しい声が耳元で聞こえる。


「うん……」


 素直に甘える事にして、僕は襲ってきた睡魔に身を委ねた。




◇ ◇ ◇




「ん……」


 僕は薄らと目を開けた。

 最初に感じたのは、枕とはまた違う柔らかさだった。


「目が覚めましたか?」


 頭の上から聞こえたその声で、シャルに膝枕されたまま眠ってしまった事を思い出す。


「僕、どれくらい寝てた?」

「そんなにですよ。三十分くらいです」

「そっか……」


 名残惜しいけど、さすがにこれ以上はシャルも辛いだろう——。

 そう思って体勢を起こす。

 首を回すと、コキコキと音が鳴った。


「ごめんね、寝ちゃって。足、辛くなかった?」

「大丈夫です……と言いたいところですが、少しだけ足がしびれました」

「そうだよね。ごめん」

「いえ、その分もふりたい放題でしたから、許してあげます」

「男の髪の毛って、触ってて楽しいもんなの?」


 純粋な疑問だった。


「楽しいですよ。ノア君の髪の毛はサラサラもふもふですし、ほっぺはぷにぷにですし」

「……そっか」


 頬も触られたのか、恥ずかしいな。

 シャルの頬に目が吸い寄せられる。

 あちらの方がはるかにぷにぷにしているだろう。


 ……触りたい。

 少し不埒ふらちな欲求が顔を覗かせたため、僕は慌てて頭を切り替えた。


「そういえば、順位見ている時にジェームズがすごい顔でシャルの事を睨んでいたけど、あれは大丈夫なの?」


 ジェームズはこれまでは実技で常に一位を取っていたから、相当悔しかったのだろう。

 チヤホヤされるシャルに、鋭い目つきを向けていた。


「大丈夫ですよ。彼も貴族ですから、そこら辺の分別はあるでしょう。私にちょっかいを出せばエリアに、ひいては将来のテイラー家に嫌われますから。リスクが大きすぎます」

「そっか。ならいいんだけど」

「心配してくださってありがとうございます」


 シャルが小さく頭を下げた。


「実際、何か事が起きても僕には何もできないと思うけどね」

「心配してくださる事自体が嬉しいのですよ」


 シャルが再びぽすんと二の腕に頭を預けてくる。

 もはや条件反射で、僕はそのサラサラの髪を撫でていた。




◇ ◇ ◇




 ——ブラウン家。

 テイラー家と同等の影響力を持つ、国内有数の名家だ。


 金銀の装飾が張り巡らされたゴージャスな様相の屋敷の一室で、二人の男が向かい合っていた。

 現当主のムハンマド・ブラウンと、その息子で次期当主のジェームズ・ブラウンだ。


「よく来たな、ジェームズ」

「今回の定期テストに関する説教ですか? 父上」


 ジェームズは胸の内に湧き上がる屈辱感を押し留めて、言った。

 テストでシャーロットに完全敗北を喫し、ノアに筆記で負けた彼の心はかなりささくれ立っていた。


「いいや、お前の成績は多少降下したが、今回に関してはテイラー家の長女、シャーロットをたたえるべきであろう。呼び出したのは確かにテストに関わる事だが、説教ではない。お前に一つ、頼みがあるのだ」

「珍しいですね。父上が俺に頼み事とは」


 ジェームズは鼻を鳴らした。

 これまで幾度となく命令された覚えはあるが、頼み事などされた記憶はない。


「そう皮肉るな。これはお前の協力なしでは成し得ない事なのだ」


 だろうよ、とジェームズは心の中で毒づいた。

 ジェームズの協力が必至でなければ、父が頼み事などするはずがない。


「それで、頼み事とは何でしょう?」

「今回のテストで、私が思っている以上にシャーロットは優秀であるという事がわかった。実家に干されているためこれまでは放っておいたが、才があるのならば話は別だ。元々Aランクであるし、テイラー家の次期当主であるエリアとの関係は良好と聞く。ならば——」


 ムハンマドが「頼み事」についての説明を始める。

 話が進むにつれて、ジェームズの瞳は輝いていった。

 ——はっきり言って、願ってもない話だった。


「引き受けましょう、その話」

「ふむ、それは良かった。だが、お前は確かスミス家の長女と交際していたであろう? アローラ、と言ったか。あそこは規模は小さいが、勢いのある家だ。敵に回すのは得策ではないぞ?」

「ご心配には及びません。俺にお任せください」

「そこまでいうなら一任しようか。子供同士の事は私にはよくわからんしな」

「えぇ」

「急ぐ必要はないから慎重にするのだぞ」

「わかっていますよ」


 父の忠告に頷きつつも、ジェームズはうまくいった後の展開に想いをせて口の端を吊り上げた。

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