第26話 双子の誕生会

 幸い、帰宅するまでにシャーロットが渡してくれた契り貝を使用しなければならないような事態は起こらなかった。


「お帰り、ノア」

「お義父さん」


 出迎えてくれたのは甘いマスクの男性——義父のマーベリックだ。

 僕とシャルと入れ替わりで帰っていたらしい。


 両親はどちらも入浴済みという事だったので、僕も風呂に入る。

 シャワーを浴びながら、シャルについて考えを巡らせる。


「シャル、もしかして僕のこと好きなのかな……」


 普通に考えればまずあり得ないし、自意識過剰ではないかと笑う自分もいる。

 しかし、今日のシャルを見る限り、そうであってもおかしくないと思うのだ。


 アローラは別に、僕がシャルの事を嫌っていると言ったわけじゃない。

 僕にとっては特別な存在でも何でもない、と言っただけだ。


 それなのに、シャルは相当落ち込んでいた。

 もしも僕の事を何とも思っていなかったなら、あそこまでショックを受けるとは考えにくい。


 これまでシャルが見せてきた数多の恥じらいも、ピュアだからで済ませられるものではない気もする。

 そもそも、好意のない男に頭を撫でられて安心するだろうか。


「女の子ってそういうものなのかな。それとも、シャルがそうなだけなのかな……わからん」


 わからんと言えば、僕自身のシャルに対する気持ちもよくわからない。

 特別な人である事は間違いないが、それが恋心なのかと問われれば首を傾げてしまう。


「少なくとも、アローラに抱いてたのとは違うよねー……」


 かといって、恋情ではないとも断言できない。


「……まあ、いっか」


 僕は深く考える事をやめた。

 今すぐどうこうなりたいとは思わないし、今の関係は心地いい。

 もう少しあやふやなままでもいいだろう。




 それからも、僕とシャルの関係に変化はなかった。

 学校ではできるだけ一緒に過ごし、たまにお互いの家を行き来している。


 唯一変わった事といえば、シャルが自発的に掃除をするようになった事くらいだろうか。

 危機感を覚えたらしい。良い事だ。


 そんな何ともつかないシャルとの関係には相変わらず満足していたが、目下あやふやにしてはいけない問題に直面していた。


「エリアー。何か案ない?」

「うーん、別にノアのあげたものなら何でも喜ぶと思うけど……」


 シャルの双子の妹、エリアが困ったように眉を下げた。

 僕が相談しているのは、シャルへの誕生日プレゼントについてだ。

 一週間後に控えている。


 これまでは本のしおりなどを送っていたが、去年の今頃よりも確実に距離は縮まっている。

 一応表向きは恋人だし、色々お世話になったお礼も込めて、しっかりしたものを送りたい、というのが本音だ。


 しかし、実際に付き合っているわけではないので重いものは避けたいというのもあり、ちょうどいい塩梅がわからなかったので、女の子でシャルの事を一番知っているエリアに相談しているのだ。


「重すぎないものなら、アクセサリーとかはやめた方がいいと思うよ。でも、お菓子とかは軽いだろうし……あっ、ぬいぐるみとかは?」


 エリアがポンっと手を叩いた。

 彼女としてはしっくりきたようだが、僕はいまいちピンと来なかった。


「ぬいぐるみか……ちょっと子供っぽくない? それに、お世話になっている感謝にしては軽いと思うんだけど……」

「わかってないな」


 エリアが指をチッチッチと振った。


「まず前提として、女の子はいくつになっても可愛いものが好きなの。ぬいぐるみを貰って嬉しくない子はいないし、消え物でもないから軽すぎもしない。保存の手間もかからない。それにお姉ちゃんは一人暮らしだから、ぬいぐるみとかがいると寂しさも紛れると思うんだよね」

「なるほど……」


 僕が思っている以上に、女の子にとってぬいぐるみの価値は高いようだ。

 エリアの意見に納得できた部分も多いが、しかし、


「シャルが家で一人で寂しがっているのは、あんまり想像はできないけど」

「いや、ああ見えてお姉ちゃん、意外と寂しがりだと思うよ。最近は特に、ね」

「最近は特に? 普通、逆じゃない?」


 僕が疑問を呈すが、エリアは曖昧に微笑むのみだ。

 その顔が一転して真剣なものになった。


「そうだ。寂しがり繋がりで、ノアに一つ頼みたい事があるんだけど——」




◇ ◇ ◇




 シャルとエリアの誕生日当日。


 学校を終えた僕ら——僕とシャル、エリア——は、テイラー家の執事であるイーサンの車でシャルの住む家に直行した。

 普段は実家への直帰を命じられているエリアも、さすがに姉と自分の誕生会をする事は許してもらえたらしい。


 もっとも、自由時間は夕方までだ。

 実家でのお祝いがあるため、夕飯までには帰らないといけない。

 それが、一週間前にエリアがしてきた「お願い」にも繋がるのだが、それは今はいいだろう。


 お菓子を食べたり軽いゲームをしたりした後は、いよいよプレゼント贈呈だ。

 最初は、僕とシャルからエリアにプレゼントを渡す事になった。


「エリアー。目つむってる?」

「瞑ってるよー。楽しみだなぁ、ノアちゃんが何をくれるのか」

「ちゃん付けしないでもらっていいかな。あと、大層なものじゃないからあんまり期待しないでよ。はい、手出して」

「おっ」


 僕からのプレゼントはクッキーとハンドクリームだ。

 シャルのプレゼントを相談している時にエリアは何がいいのか聞いたら、センスに任せるという厄介な返事を寄越してきたため、無難だと思われるものを選んだ。

 それぞれをエリアの両手に乗せる。


「誕生日おめでとう、エリア」

「おおっ、二つも? ……クッキーとハンドクリームだ! ありがとう、ノア!」


 目を開けたエリアが、満面の笑みを浮かべた。

 花が咲くような、見ている側まで温かくなる笑顔だ。


「色々とお世話になったお礼も込めてね」

「うむ、いいセンスだ。誕プレ検定一級を授けよう」

「お褒めに預かり光栄です」


 あはは、とエリアが笑った。

 喜んでもらえたようで何よりだ。


「今度は私の番ですね。エリア、もう一度目を瞑ってください」

「はーい」

「誕生日おめでとうございます、エリア」


 シャルのプレゼントは入浴剤だった。

 見るからに高級品だとわかる品物だ。


 おそらく、魔道具の類だろう。

 高級品や高性能なものには、何かしら魔法的な要素が含まれている。

 というより、魔法的な要素があるからこそ高級で高性能になるのだが。


「わはっ、面倒な風呂がこれで楽しみになるよ。ありがとう、お姉ちゃん!」

「エリアは風呂嫌いですからね」

「面倒くさいだけだよ。嫌いじゃないもん」

「はいはい」


 エリアが頬を擦り付けるようにして甘え、シャルがそれをあやしている。

 男子的には大変ありがたい絵面だ。ご馳走様です。


 姉妹のたわむれが一段落すると、今度は僕とエリアがシャルにプレゼントを渡す番だ。


「ちゃんと目閉じててねー」

「はい」


 シャルがクッションに顔を埋める。

 先にエリアが渡す取り決め(エリアの提案)のため、僕のプレゼントを入れた袋はソファーの影に隠しておく。


「じゃ、お姉ちゃん。目を開けていいよ——誕生日おめでとう!」


 エリアのプレゼントは化粧品だった。

 こちらも、一目見て高級品だとわかった。


「ありがとうございます。毎日使います」


 シャーロットが目を細めた。

 言うまでもなく、喜んでいるのだ。


(やっぱり先に渡せばよかったー……)


 僕とエリアのプレゼントの原価の差は歴然だ。

 シャル、落胆しないといいけど……。


「じゃんじゃん使ってねー。それじゃ、次はノアの番だよ。お姉ちゃん、もう一回だけ目瞑って」

「はい……」


 シャルは先程よりもいくらか緊張している。

 今まで通りの軽いプレゼントでない事はわかっているのだろう。


 僕は袋から一つ目のプレゼント——二個セットのマグカップを取り出し、シャルの両手に一つずつ置く。


「はい。誕生日おめでとう、シャル」

「ありがとうございます……これはマグカップですか?」


 興味深そうな視線を手元に落としながら、シャルが尋ねてくる。


「うん。前に大きいやつが欲しいって言っていたからさ。二個セットで、デザインは独断と偏見で猫にしたけど、どう?」


 片方は空色、もう片方はピンク色を基調に、複数体の猫が様々なポーズをとっている。


「とっても可愛いです。ありがとうございます」


 シャルはこちらを向いて、へにゃりと相好を崩した。

 と思えば、すぐにカップを手に取り、猫の絵を眺めては小さな歓声を漏らし、口元を緩めている。


 その表情は、おもちゃをもらった子供に通ずるものがあり、いつもよりあどけなさが増している。

 想像以上の喜びようだ。僕はホッと息を吐いた。


「良かった。ええと、実はシャルにももう一つあるんだ」

「えっ、すみません。ありがとうございます」


 申し訳なさそうにしつつも、シャルの瞳からは期待の色がのぞいていた。


「そんな大袈裟なやつじゃないよ? どちらか一方だと味気ないかなって思っただけだから。はい、これ」


 僕が差し出したのは、茶色いクマのぬいぐるみだ。

 マグカップを机に置いたシャルが、おずおずと受け取る。


「……くま?」

「うん」


 最初はエリアの提案通り、ぬいぐるみだけにしようと思っていたのだが、シャルのお眼鏡に敵わなかった場合を考慮して、実用性のあるマグカップも添えたのだ。

 もっとも、シャルを見ればそんな心配は杞憂だった事は明らかだが。


 彼女はだらしなく緩ませた顔をぬいぐるみに擦り付け、幸せそうに目を閉じていた。

 猫のように無垢な表情で、大変可愛らしい。

 女の子はいくつになっても可愛いものが好き、というのは本当だったようだ。


「ありがとうございます、ノア君。とっても嬉しいです」


 ぬいぐるみに頭をもたれかけさせたまま、シャルがへらりと笑った。

 ——ドクッ。

 突然、心臓が高鳴った。


「っ……喜んでもらえて良かったよ」


 僕は何とか平静を装って答えた。


「エリア以外からこういうのを頂いたのって初めてで……本当に嬉しいです」


 シャルの目には光るものがあった。

 嬉し涙である事は明白だった。


 心臓の高鳴りが収まらない。

 羞恥によるものとも、嬉しさからくるものとも違う。


(これは一体、何なんだろう?)


 その正体はわからない。

 ただ一つ、僕の中でこれまでシャルに対して感じた事のない感情が芽生え始めているのは確かだった。




 夕方、約束通りの時間に現れたイーサンに連れられて、エリアは帰っていった。


「ノアさんは門限はよろしいのですか?」

「うん……シャル」

「はい?」


 僕は居住まいを正した。

 言うなら今だろう。


「一つ、お願いがあるんだけど」

「改まって、何ですか?」


 シャルの顔に緊張が走った。


「その……今日の夕食、一緒に食べてくれないかなって思って。もちろん、僕の奢りで」

「えっ——」


 予想だにしていなかったのだろう。

 シャルは目を見開いたまま、石像のように固まった。

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