第6話 シャーロットの葛藤

「うわー……最悪だ……」


 僕はトイレの個室に入り、頭を抱えた。

 なぜトイレなのかといえば、一人になれる場所がそこしかなかったからだ。

 屋上は鍵がかかっているし。


 触らなくても、頬が熱を持っているのがわかる。


「中三なのに、同級生の女の子の胸で泣くとか……」


 全身がむず痒い。

 思わず叫びたくなる衝動に駆られる。


 一方で、スッキリした気分になっているの事実だ。

 改めて客観視してみると、なかなかハードな数日だった。

 自分でも気がつかないうちに色々溜め込んでいたのだろう。


 全てを吐き出させてくれた会長には感謝しかない。

 恥ずかしさに耐えられずに生徒会室を飛び出してきてしまったが、後でちゃんとお礼をしよう。


 それにしても——、


「会長の胸、意外に柔らかかったな……」


 僕は決めた。

 今後二度と、会長のことを貧乳ネタでイジらないと。




◇ ◇ ◇




「やってしまいました……」


 シャーロット——お姉ちゃんが机に突っ伏してため息を吐いた。

 髪の隙間から覗く耳は、猿のお尻よりも真っ赤だ。


「お姉ちゃん、ため息吐きすぎ」


 エリアは苦笑した。


 ノアはすでに退室している。

 中学男子が同級生の女子の胸で泣いたのだ。

 泣き止んだ後も同じ空間に居ろ、というのは酷な話だろう。


「エリア」

「何?」

「私、嫌われていませんよね……?」

「そんなわけないじゃん。出て行く時のノアの顔、見た? 恥ずかしそうではあったけど、今までよりずっといい顔してたよ」

「知りませんよ……あんなことした後で顔なんて見れるわけないでしょう」


 はあー、と特大のため息を吐くお姉ちゃん。

 だめだ、こりゃ。


「大丈夫だって。色々溜め込んでいたものを吐き出せて、ノアもすっきりしたと思うよ。こういうのがきっかけで、お互い意識するようになっちゃったり——」

「それはあり得ませんよ」

「……えっ?」


 お姉ちゃんの声はそれまでのどこか浮ついたものとは違い、まるでとがったナイフのように鋭くて冷たいものだった。

 エリアは思わず言葉を詰まらせた。


「エリアもノアさんの現状は知っているでしょう?」

「まあ……なんとなくは」


 ちょうどその時期は休んでいたが、ノアがレヴィやイザベラたちに嫌がらせを受けていることは、噂程度には聞いている。


「彼がアローラさんと別れた日なんて、本当にひどいものでした。いじめという言葉だって生ぬるいと感じられるほどに……でも、私は何もしませんでした。見て見ぬふりをしたんです。そんな卑怯者に、ノアさんの心がなびくはずがありません」


 それは違う、と否定することは簡単だった。

 見て見ぬふりはいじめの助長だ、という論調がある。

 間違いではないと思うし、見て見ぬふりが正解だとはエリアも思ってない。


 でも、実際いじめを目の前にしたらどうだ。

 それも、クラスの半数が加担しているいじめだ。

 そこでたった一人、被害者のために声を上げられる人間がどれほどいるというのだろう。


 それに、お姉ちゃんは見て見ぬふりをしたわけではない。

 昼休みという限られた時間ではあるが、ノアに安全な場所を提供した。


 いじめられている人間をかくまうのは、とても勇気のいることだ。

 決して卑怯者なんかじゃない。


 そして何より、お姉ちゃんにいじめに立ち向かえというのは酷な話だ。

 あの事件をきっかけに人付き合いを避けるようになったお姉ちゃんには。


 それでも、簡単にお姉ちゃんを慰められなかった。

 中途半端な言葉じゃ、きっと心に響かない。


「今回だって、ノアさんがあそこまで追い詰められていることにも気づかなかった。ちょっとお話ししているだけで、彼の支えになっていると勘違いしていたんです。私は——」

「お姉ちゃん」


 エリアはお姉ちゃんの前に立った。

 お姉ちゃんが俯いていた顔を上げた。

 ひどい顔だ。迷子の犬みたい。


「お姉ちゃんがノアの支えになっているのは間違いないと思うよ。じゃなきゃ生徒会になんて入らないし、お姉ちゃんと話している時の彼の笑顔は嘘じゃないと思う」

「でも、結局はああやって溜め込んでしまっていたじゃないですかっ」

「そうだね。だけど、お姉ちゃんのおかげで吐き出すことができた」

「それは、そうですけど……」


 お姉ちゃんが唇を噛んだ。


「無理しちゃだめだよ、お姉ちゃん」

「えっ?」


 お姉ちゃんが目を見開いた。


「ノアは優しい人だから、自分が原因でお姉ちゃんに辛い思いをさせてるってわかったら、きっと心苦しく感じると思う。真正面から立ち向かうのだけが良いことじゃないし、それがかえって事態を悪化させることもある。お姉ちゃんはお姉ちゃんなりのやり方で、自分のできる範囲でノアを支えであげればいいんじゃないかな」

「そう……ですね」


 お姉ちゃんはうなずいたが、完全に納得はしていない。


 エリアは言葉を重ねなかった。

 おそらく、お姉ちゃんが完全に納得することは不可能だ。いじめが根絶でもされない限りは。


「ごめんなさい、エリア。あと、ありがとうございます。姉なのに、私は助けられてばかりですね」

「ううん。私もお姉ちゃんがそこまで思い悩んでいるって気づけなかったから、同罪だよ。それに——」


 エリアはお姉ちゃんの背後に回り込んだ。


「それに?」


 お姉ちゃんが首だけを回して見上げてくる。


「体の発達具合を見るに、私がお姉ちゃんっていう説もあるしね」

「ひゃあ⁉︎」


 胸を揉んでやれば、お姉ちゃんが可愛らしい悲鳴をあげた。


「まったく、こんなものに押し当てていたなんて……ノアの顔が凹んでなければいいんだけど」

「私の胸は壁じゃありません! 何ですか、ちょっぴり多く脂肪がついているくらいでっ」


 お姉ちゃんが、まるでビンタをするように胸に平手を喰らわしてくる。

 プリンのようにプルンプルンと揺れた。


「ちょ、痛い痛い! ごめんって!」


 本気で痛かったが、エリアは嬉しかった。

 お姉ちゃんの顔が、いくらか晴れやかになっていたから。


 決して姉に痛めつけられて喜ぶ特殊性癖を持ち合わせているわけではない。

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