第5話 シャーロットの励まし

「ノアって本当に頭いいんだね」


 書類の整理をしていると、ふとエリアがそんなことを言った。


「どうしたの? 急に」

「いや、初めて見る資料だらけのはずなのに、まとめ方とかがすごい的確だからさ」

「そう? 迷惑かけてないなら何よりだけど」

「迷惑じゃないよ、大助かり。ねえ、お姉ちゃん……お姉ちゃん?」


 エリアの声が少し低くなった。

 会長はいつの間にか手を止め、一つの資料に見入っていた。


「お・ね・え・ちゃ・ん?」

「あっ、いえ、エリア。私は別にサボっていたわけではありませんよ」


 一言一言区切るように言ったエリアの言葉で、自分が妹になじられている事に気付いたようだ。

 逆にいえば、最初の二回の呼びかけには気付いていなかったという事。


「会長。本でもないのに何をそんなに熱中していたの?」

「人を本以外興味のない女に仕立て上げないでください」

「……えっ、違うの?」

「なっ……!」


 会長がガーンという効果音でも聞こえてきそうな、ショックの表情を浮かべた。

 エリアが吹き出した。


「……私、魔法学にも結構興味あるんですよ。でなければ、テストで上位に食い込むくらい勉強しません」

「たしかに」

「納得されるとそれはそれでムカつきますが」

「難しいな」


 苦笑しつつ会長に近づく。

 見やすいように資料の角度を調整してくれた。


「……なるほど」

「えっ、もう理解できたの?」


 いつの間にか、反対側からエリアが覗き込んでいた。


「なんとなくは」

「……私は全然理解できなかったのに」


 会長が悔しげに呟いた。


「私も全然わかんない。これ、どういう事?」

「僕もざっくりとしかわからないけど——」


 そう前置きして、本当にざっくりと説明した。


「説明を聞いても半分くらいしか理解できないですね……」

「私なんか八割わかんないよ。二人とも凄すぎ」


 眉を寄せる会長と、お手上げポーズで笑うエリア。

 性格の違いがよく現れているな。


「でもノアってマジで天才じゃん。学者さんとか目指せば?」

「学者は無理だよ」

「えっ、何で?」

「魔法が使えない、ロクに実験も検証もできない落ちこぼれが学者になったって、誰も信じてくれないよ——あっ」


 しまった。

 僕の中で抱えていた劣等感と、自分に対する怒り。それらをぶつけてしまった。

 エリアは純粋に褒めてくれただけなのに。


「ご、ごめ——」

「ノアさんは落ちこぼれなんかじゃありませんっ」


 いつの間にか握りしめていた拳が温かくなる。

 会長の白い手が、僕のそれを包み込んでいた。


「会長……?」

「確かに今の社会において、魔法の才能やランクは重要なファクターです。でも、それが全てじゃない。どの時代においても、一番大切で一番重要なのは努力し続ける事です。どんな才能があっても努力を続けられなければ大成はできないし、努力し続ければ何かしらの結果はついてきます。ノアさん、私たちが仲良くなったきっかけを覚えていますか?」

「えっ? うん、もちろん。会長から話しかけてきてくれたんだよね」


 当時、すでにアローラとは付き合っていたが、彼女以外に話しかけてきてくれた唯一の女の子が会長だった。

 当時は、何か裏があるんじゃないか、レヴィやイザベラが仕掛けてきたハニートラップの類じゃないかと疑ったものだ。


「私があなたに話しかけたのは、ただ読書仲間が欲しかったからではありません。腐らずに努力できる人柄も含めて、仲良くなりたいと思ったから声をお掛けしたのです」


 僕の拳を握る会長の手に、一段と力がこもった。


「ノアさんは頭がよく、真面目で誠実で努力家です。何事にも全力で頑張れる人です。絶対に落ちこぼれなんかではありません。たとえノアさんでも、私の尊敬するノアさんをけなす事は許しませんから……って、ええ⁉︎」


 会長が驚いたように目を見開いた。

 どうしたのだろう。


「な、何で泣いていらっしゃるのですか⁉︎」

「……えっ?」


 僕は目に手をやった。

 少しひんやりとした、液体の感触。


「あ、あれっ? な、何でだろう?」

「こっちが聞いているんです! な、何か傷つけるような事を言ってしまいましたかっ?」


 会長が珍しくわたわたしている。


「い、いや、それはないよ。凄く嬉しかったっ、けどっ……」


 僕は鼻をすすった。

 おかしい。悲しくないのに、全然涙が止まってくれない。

 会長にもエリアにも迷惑をかけてしまう。早く止まれよ。


 止めようとすればするほど、天邪鬼あまのじゃくな涙は溢れ出してきた。


「ご、ごめん。すぐ収まるからっ……えっ?」


 頭上に影が差した。

 そう思った時には、顔に柔らかい感触があった。


「泣いていいんですよ」


 頭上から、会長の優しい声が降ってくる。

 僕……抱きしめられている。


「涙は悲しい時だけに出るものではありませんし、我慢しなければいけないものでもありません。泣きたい時は好きなだけ泣けば良いのです。大丈夫。全部受け止めますから」


 背中を優しく叩かれる。

 ポンポンと、ゆっくりなリズムで、まるで子供をあやすように。


 恥ずかしい状況であるはずなのに、なぜか凄く安心した。

 僕は会長の胸に顔を埋め、幼子のように泣きじゃくった。

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