第12話 退職への階段

高志は、早くも会社に嫌気がさしていた。会社だけでなく、仕事をすること自体が嫌になっていた。

入社後の始めての現場では、竣工を2ヶ月後に控え先輩が出社しなくなり、後を一人で任された高志は、とんでもないトラブルに巻き込まれることとなったのである。


平成6年10月。

市立文化会館の完成検査が市の担当者ら検査官によって行われていた。高志は、その日だけ会社から派遣されたベテラン職員や元請け会社の設計士や設備屋などの現場監督などと一緒に検査に立ち会っていた。

一通り目に付く箇所の検査が済み、通路の天井裏を検査していた検査官たちの動きがせわしくなって来た。やがて、検査グループの責任者らしき男性に報告し、確認を求めていた。その男性も天井裏に上がり、確認を始めた。


「なんや、これ。逆勾配やんか。しょうもない。」

「課長、吊りバンドの数もかなり削っていますね。」


降りてきた検査官は、高志たちを集め、宣告した。


「ここの排水管、逆勾配でっせ。なんで、こんなつまらんミスするんや。おまけに、バンドの数も違うし。やり直しやね。」


幸い他に問題はなかったが、排水管のミスで高志は、ベテランの職員や元請け会社の設計士から、厳しく責任を追及された。しかし、この区間は先輩が担当していたところで、高志としては全くの濡れ衣であった。


給排水工事を担当した設備屋に経過を確認したところ、スラブ入れの失敗で排水管を通す穴の位置がずれており、逆勾配になるのは分かっていたが、その時点で高志の先輩に相談した所、スケジュールの遅れと経費が嵩むからそのまま続けるようにとの指示だったということであった。

そのことを上司に伝えたものの、先輩はすでに退職しており、その責任は高志と設備屋にあるとのことで問題は決着したのであった。守ってくれる人もなく、やり場のない怒りに震える高志を慰めてくれる人もいなかった。

初めての現場で、一人で奮闘した挙句に、濡れ衣を着せられるという結末に終わったことで、高志は深い絶望感と誰に向けてよいかわからない怒りで一杯であった。


文化会館の工事が終わった後、高志は本社での内業を命じられていた。担当したのは、郊外型パチンコ店の新築工事だった。

設計担当の課長から指示されたのは、元請けから受けた金額の1割分をカットして現場用の図面を引くようにと言うことだった。高志は理解できなかった。元請けからは詳細な仕様書と図面が届けられており、誤魔化しようがないものだった。


「課長、仕様書も図面もありますから、カットは出来ませんよ。」

「あのな。それじゃ、商売にならんのや。お前ね、なんのために給料をもらっているんや?頭使いな。あたま!」

「・・・・」


高志は、言い返すことが出来なかった。会社の命令とあらば使用人としては、それを実行するしかないのである。

またしても残業の日々が始まった。


課長の指示は、高志には理不尽な要求と思えた。

どこをどのようにカット出来るのか、想像も出来なかった。数日で図面を仕上げ、工程表も仕上げた。しかし、その出来上がった図面では、1割カットなど到底出来ない内容となっていた。


「課長、図面出来たんですけど、でも、1割まではカット出来ませんでした。」

「俺は、1割カットした図面を引けって言うたんやで。何が、出来ませんだよ。やり直すんや!」

「あの~、図面を見ていただいて、アドバイスをいただけないでしょうか。」

「ほんま、手のかかるやっちゃな~。どれ、寄越してみいや。」


課長は、図面と工程表を交互に見ていた。


「お前、こんな図面引いて、工程組んで、やる気あるんか?」

「・・・・・・」

「見えへん部分を抜いて、工程を圧縮するんや。わかったな!」


初めての現場で先輩が出社しなくなった理由が、今になって理解出来た高志だった。


その後も、罵倒と侮辱に耐え続け仕事を続けていたが、入社3年目にあたる平成8年の春、高志は再び追い込まれていた。


「山村、ちょっと。」


呼ばれた高志は、小さな返事をして課長席の前に立った。


「お前さん、今年、1級合格してもらわんと、具合悪いで。」


課長の指示は、高志に1級建築士の資格を取るようにとのことだった。1級建築士の資格取得は、高志にとっても入社当初の目標であったが、いつの間にか忘れてしまっていた。

残業続きで勉強をする時間もなく、なにより、現在の仕事への意欲がなくなっていたのである。そこへ1級取得の指示が出たのである。結果は、待つまでもなかった。7月末の試験では、ほとんど解答が書けなかった。

1次試験の結果が発表された9月上旬。


「山村、試験、どうやったんや。」

「だめでした・・・。」

「だめやったんか。どうするんや。これ以上、2級程度でここに居られても使いもんにならんのや。経費のカットは出来ない、1級もとれない。使い道、あらへんやないか。」

「・・・・・」

「会社としては、使い道あらへんのや、言うてんねん。わからんか?他の社員の働きで給料もろうてて、ええんか?」

「・・・・・」

「お前がやっている図面引き程度なら、バイトの女の子かて出来るんや。社員なら利益を出すんが当たり前やんか。どうするんや、考えや。」


高志は、自分の机にも帰らず、そのまま帰宅した。課長からの数々の罵倒を、屈辱と感じる心すら失われていた。


次の日、高志は、会社には出社せず、退職届を郵送したのであった。


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