第20話 怪しい商人


「食べ物買ってくる……」

「あら、もう身体に力が入るようになったんですのね」

「いや……」


 手をにぎにぎと動かしてみるが、解され切って寝起きの様に力が入らない。しかし辛うじて立つことはできる。ミューカのスライム風呂によって、なぜか聖女の白いドレスまで、綺麗にされていた。


 本当にあらゆる汚れをミューカは吸い取ったらしい。かといってミューカの見た目に変化はない。むしろ肌に張りが出ているようにさえ思えた。


 分解して栄養にでもしたのだろうか。微生物みたいな奴だな。スライムだから、そういうものなのか?


「ミューカは大人しく待ってて。絶対ここから出ないこと」

「えぇ~? 私も行きますわ! 外に出たいんですのよぉ!」

「駄目! ミューカは人の言うこと聞かないって、今分かったからね。これは罰です。ここで待っていなさい」

「ひどいですわ、ひどいですわ! メイティアのためにお風呂してあげたのにぃ! 綺麗になってよかったじゃない!」

「同意の無いスライム風呂は……よくないよ!」

「むぅ~っ! メイティアの分からず屋! 私とはお風呂だけの関係だったの!?」

「聞いたこと無いわそんな関係! とにかくミューカは留守番!」


 まったく……あんなことされて、しばらくミューカの顔を正面から見れそうにない……わけではなく。

 本当に、言うことを聞かない魔物娘を人前に連れていくのは危険というだけだ。


 目立たないフード付きのマントを羽織って、フードを目深に被る。ララが置いていってくれた硬貨の入った袋を手にして、準備は完了。


 ララはどこからか潤沢な資金を手に入れてきたが……その入手法は怖くて聞いていない。残念ながら自分たちも、手段を選んでいられる状況ではないからね。


 ミューカは枕に顔面を押し付けて泣き喚いていて、何を言っているかさっぱりわからない。


「っ~~~~~! っ……っ……~~!」

「はぁ……しょうがないな。ミューカ、美味しい物買ってくるから。何か食べたいものある?」

「おにくぅ……」

「お肉ね。お利口さんで待てるよね?」

「まつぅ……」

「よろしい。じゃあお留守番よろしくね」


 顔面を枕に押し付けたまま、最低限の返事をしたミューカの頭を撫でる。全くしょうがないな、私の、可愛い、子……


 ……? 軽く頭を振って、頭に響いた妙な声を追い払った。まだスライム風呂のリラックス状態から、しっかり目が覚めていないようだ。


 俺はミューカが少し落ち着いたのを見て、部屋の外へと出た。


 二階から階段を下りて、不愛想な宿の主人に軽く礼をして宿から出る。久々に通りの人々の喧騒に晒されて、いつも以上にその音をうるさく感じた。


「生肉買ったって焼けるわけでもないから……屋台とかで焼いているものを買うか」


 通り沿いには露店も出ていて、香ばしい匂いも漂ってくる。決して観光名所では無いが、魔物退治を生業とする傭兵や冒険者相手によく売れるのだろう。彼らのおかげで自分たちのように宿屋に長期滞在する流れ者も多く、目立たず滞在することができている。


 香りを頼りに幾つかの露店を流し見しながら、街を歩く。やはり人通りが多く、時折ぶつかりそうになる。ならず者が多いのか、誰も周りに気を使って歩いたりはしていない。


 そんな時、目の前に飛び出してきた若い男が、一人。

 右に避けようとすると、同じように避けようとしたのか、道を塞ぎ合ってしまった。もう一度左に避けようとすると、また同じタイミングで道を塞ぎ合ってしまう。


「すみません」


 小さくそう言い、顔を見せないように俯いて通り過ぎようとすると、若いのに珍しく白髪の男は、笑顔で話しかけてきた。


「いえいえ! こちらこそすんません! 綺麗なお嬢さんに道を譲らせたとあっちゃ、この先、だぁれもうちの商品なんか買ってくれへんわ」


 男は笑顔で言った、というより、終始笑顔で目を細めていて、商売柄、表情が癖になっているようだ。身なりを見るに傭兵などではなく、それでいて革のベルトにポーチをいくつも着けている所を見ると、行商人か何かだろうか。


「うち、珍しい物ぎょうさん売ってますねん。よかったら見てかへん? 見たところ旅のお方でっしゃろ?」

「は、はぁ……」


 立板に水でも流したようにすらすらと話す割に、どの地方の訛りかはわからないが取ってつけたような感じもする。


 召喚されてすぐに、なぜか理解できたこの世界の言語の、その地域性に明るいわけではない。しかし王都の言葉よりアクセントが少し後方に流れるような喋り方だ。


「お安くしときまっせ! 心配ご無用! いらんかったら見て帰っても、冷やかしなんて言わへんて!」

「えっと……」

「あっちゃー! すまんすまん。気ぃつかへんかった。おなか減ってるんやろ。顔に出とる。ほな保存食もおまけしたる! なぁええやろ? すぐ済むてぇ……」

「じゃ、じゃあ見るだけ……」

「決まりや! ほなこっちこっち! 離れんようについてきてや!」


 自分の喋り方からすれば、倍速に近い。感情表現豊かだし、頭の回転も速いのだろう。ほとんど誘われるままに、ついて行くことになってしまった。まあこの男の言っている通り、別に見るだけ見て、帰ればいい話だ。

 

「僕、テレス言いますねん。元々は西の方で商売やっとったんやけど、どうも儲からんくなってしもて。東の方が危ない分、稼げる聞いて、はるばるこっちまでやって来たんです」

「はぁ。西の方からですか」

「せやせや。西はええで! まず活気がある! 人が明るい! こっちは確かに稼げるけど、陰鬱や。そこらじゅうに死が転がっとる。笑顔でも見せたら、それだけでタコ殴りされてもおかしない」

「明るい雰囲気ではないですね」

「そらそや! みぃんな東から逃げて来とんねん。家族も家も家財も置いて、逃げてきたら邪魔な移民扱いや。いがみ合うとる。世知辛いなぁ!」


 そう言うテレスの口ぶりは世知辛いという感じではなく明るいことこの上ない。

 テレスは大通りを抜けると、小さな路地に入り、店など無い路地に歩を進めた。


「あの、本当にこっちにお店が?」

「何言うとんねん、近道や! 時は金なり、金で時間は買えん、やろ?」

「それはそうですが……」


「まぁ。そろそろいいかな。人もいないし、素直に喋りましょう」

「え……?」


 テレスの雰囲気が、というか、口調と喋り方がはっきり変わった。

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