名前のない青と、喰い尽くされた桃。
水飴 くすり
0-私の罪
自分の罪は何か。
机の上に置かれた白紙のコピー用紙を、私は黙ったまま無感動に見下ろした。
十二畳の室内では、私を含めた六人の女がそれぞれ指定された机の前に正座している。全員の前に同じ用紙が置かれており、既に鉛筆を走らせる者もいれば、私のようにぼんやりとしている者もいる。
この紙は『謝罪の手紙』だ。自分が迷惑をかけたと思う人に宛てた手紙を書くように、という指示を聞いたときも、私の頭には誰の顔も浮かばなかった。これを書くように指示されるのは初めてではない。今まで一度も、私はこれに宛名の一筆めさえ記入できた試しがなかった。
鉛筆を持つ事もしないでいると、室内にあるスピーカーが聞き慣れたチャイムを鳴らした。消灯の時間だ。全員黙ったまま、ロボットのように机を部屋の端に寄せ、押し入れから出した布団を並べた。
畳の上に敷かれた薄い敷布団にいつまでも慣れる事はなく、ただ指定された時間に機械的に横になって目を閉じる。やがてそれにも飽きてぼんやりと天井を見上げた頃、六人部屋の端の布団から衣擦れの音が聞こえてくる事に気付いた。閉鎖空間に入れておけば、虫でさえ同性間で交尾を始める。女ばかり何十人もいたら、こういう事も起こるのだろう。初めの頃は動揺する事ばかりだったが。
耳につく情事の音から意識を逸らすように、目を閉じてじっと布団の中で縮こまる。毎晩これでは、こちらが可笑しくなりそうだ。
何か違う事を考えよう。そう思っても、微かな水音に自然と意識が向かってしまう。私は眠りの訪れを待って強く目を瞑った。瞼の裏側、肉の色を纏った暗闇の中が見える。そこから滲むように、いやらしさのない色彩が次々と浮かんできた。
私には理解できない基準で重ねられた、明度の違う青。人間は――私は、心が動いた時、相応しい言葉を紡ぐ事は出来ないのだと知った。
ここに来てから、あの日の事を何度も繰り返し、擦り切れそうな程反芻する。思い出さない日がない程に。
私の罪とは、あの日、猫を汚してしまった事だ。
ふと、そんな風に思った。まるで天啓のように。私は息を詰めて思わず目を開けた。
これが、私の罪。――その発想は驚く程しっくりと馴染み、私を納得させた。あんなに気になった情事の音さえ、既に意識の外だった。
愛を持って私を育てただろう両親を失望させ、どれだけ世間に責められようと。例え、私に救いを求めた彼女に恨まれようとも。彼女に抱いたのはきっと愛ではない。
美しい猫を、汚らしい血で汚してはいけなかった。
あの日以来、石になってしまったように何に対しても心が動かなくなった。
きっと、それが私への罰なのだろう。
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