第5話 お兄ちゃんの横顔 後編〜双頭魔犬オルトロス、幼魔犬ミニトロス登場〜

 何回か休憩を挟みながら、私は順調に攻略を進め、いよいよ最下層に突入した。


 それにしても、正直ちょっと拍子抜けだった。


 これは、私が冒険者になることをお兄ちゃんに認めてもらうためのテスト。そう思ってたから、どんなにきつい試練が待ち受けてるのかなって思ってたんだけど…………。


 とか思いながら歩いてた、その時だった。 


「グガアアアアッッ!」

「⁉」


 どこからか咆哮が響き渡る。

 

「…………」

 

 私は周りを見回すけど、咆哮の発生源が確認できない。


「オルトロス…………」

「メスのようだな」


 別名、双頭魔犬。文字通り、首が2つある魔獣だ。

 獰猛な性格で、自分の縄張りに侵入してきた者に対しては、容赦することなくどこまでも追いかけるという。

 鋭い牙と爪、強い腕力と俊敏さを持つ、厄介な相手だ。


 とはいえ、逆に言えば長所はそれぐらいのもので、強力な攻撃魔法を放ってくるわけでもないし、回復魔法も使ってこない。お兄ちゃんの強さに慣れてる私なら、問題なく倒せるはずだ。


 でも、油断は禁物。


 私は、軽く息を吐いて、気持ちを整える。


「…………」

「…………ウーッ!」


 対峙し、睨み合う私達。

 ジリジリと距離を図り合う。


「…………」

「…………ヴーッ」


 火蓋を切ったのは、私だった。


「はあっ!」


 一気に距離を詰める。


「ガグウアアアアアッ!」


 オルトロスも、2つの首をうねらながら迎え撃つ。


「えあっ!」

「グオオオッ⁉︎」


 とはいえ、やっぱり私の方が一枚上手。


「グオオオッ⁉︎」


 お兄ちゃんの素早さを見慣れてる私からすれば、オルトロスの動きを見切ることは容易だった。


 高速で振り下ろされる爪。

 私の首元を狙う牙。


 だけど、それらは擦りすらしない。


 私は、いわゆるヒット・アンド・アウェイ方式で、安全かつ着実にダメージを与えていく。


「グゴオオオオオオッ!」


 長時間に及ぶ戦闘。10分くらいたった気がする。

 オルトロスからの猛攻は、なおも止まない。

 けど、向こうの疲労が蓄積していることは、目に見えて明らかだ。


「よしっ!」


 次で決める!


 私は、腰を深く落とし、大きく踏み込んで拳を————


 その時だった。


「クゥゥン…………」

「へ?」


 私の拳が反射的に止まる。


 どこからか聞こえた、可愛らしくもか弱い声。


「クゥゥン…………」


 岩壁の隙間から、一匹の子犬が、よちよちと近づいてきた。

 オルトロスと違って、首は一つしかないけど————


「あれは…………」

「ミニトロス。オルトロスの幼体だな」


 お兄ちゃんは、言った。


 オルトロスの幼体…………つまり、この子達は親子…………?


「クゥン。クゥン」

「グロォ……」


 ミニトロスが、オルトロスにテテテと駆け寄ると、それに応えて、母オルトロスは子どもの頬をスリスリとなぞった。


「…………」


 まるで、赤ちゃんをあやしてるかのよう。

 見てるこっちまで温もりを感じてくる。


 だけど。


「このタイミングで幼体まで狩れるのは、ラッキーだな」


 お兄ちゃんのこの言葉に、私は、はっと現実に引き戻される。


 そうだ。

 この子達は、魔獣。

 私は、この子達を倒さなきゃいけないんだ。


 でも。


「…………」

「フィア」

「…………」

「おい、フィア!」

「はっ」


 オルトロスに促され、再び奥に身を隠すミニトロス。

 我が子の安全を確保したオルトロスは、再び私に向き直った。


「アォーーーーーーン!」


 オルトロスは、天に向かって高らかに吠えた。

 そして。


「!」


 血眼になって、突進してくる。


 戦闘に慣れた私の体は、反射的に迎撃態勢に移————


「…………⁉︎」


 あれ。


 なんで。 


 体が…………動か————


「グガアアアアアアッ!」

「うあっ!」


 オルトロスは、私にのしかかってきた。


「しまっ————」

 

————ズザアアアッッ!


「うっ⁉︎」


 オルトロスの牙が、私の左右の肩に喰らいつく。

 吹き出した血が、視界を真っ赤に染めていく。


「くっ…………」


 押し返さなきゃ!

 オルトロスを早く…………!

 なのに…………!


「フィア、おまえ何やってんだ!」

「そ、その…………」

「そこまで強敵じゃないとはいえ、ボヤボヤしてたら死ぬぞ!」

「けど…………!」


 だめだ。

 力が入らない…………。


「…………」

「フィア!」

「ゴオオオオッ!」


 オルトロスはトドメを刺さんと、赤い牙を光らせた。


「ごめん。お兄ちゃん」

 

 諦めた、その時だった。


「グガアアアアッ⁉︎」

「へ」


 首元まで迫っていたはずの牙を収め、悲鳴を上げるオルトロス。


————ブシャァァァァァァッ!


 オルトロスの4つある目のうちの2つから、血しぶきが上がったのだ。


 一体、何が?


 だけど、すぐにはっとした。


「お兄ちゃん⁉︎」


 見ると、血濡れた短刀を握りながらうずくまるお兄ちゃんの姿が。


(助けてくれたんだ)


 でも。


「…………っ、ううっ」

「お兄ちゃん!」

「グロォォォッ!」

「⁉」


 短刀を投げたのが誰かを認識したことで、オルトロスは狙いを変更したようだ。

 既に怒りが頂点に達しているらしいオルトロスは、最大限のパワーとスピードでお兄ちゃんに向かっていく。


「お兄ちゃん!」

「グガアアアアッ!」


 気づけば、体が勝手に動いていた。


————ドガアアアアアアアアアアッ!


 私の捨て身のタックルが、オルトロスを弾き飛ばし、壁にぶち当てる。


 あれ…………体が…………?

 さっきまで、全然動かなかったのに…………。


 いや、それより!


「お兄ちゃん、大丈————」

「バカ! 余所見するな!」


 お兄ちゃんに怒鳴られて、視線を戻すと、今さっき突き飛ばしたばかりのオルトロスが、もう至近距離まで再び迫ってきていた。


「しまっ————」


————ズシャアアアアアアアッ!


「っっっ!」


 オルトロスの鋭い爪が、私の喉元を深く切り裂いた。

 

「フィア!」

「くっ⁉︎」


 私は、オルトロスを蹴り飛ばして、距離をとる。

 そして、急いで治癒呪文を唱える。


「ティーレ!」


 温かい光が身を包み、全身の傷が完全に塞がった。


「…………」

「フィア! 大丈夫か」

「…………」

「おい!」

「お兄ちゃん、逃げようよ!」

「はあ⁉︎」

「オルトロスは、ただ子どもを守ってただけなんだよ! だから、こっちが引けば、オルトロスも————」

「バカか、おまえは! ヤツの性質上、途中で逃げ出したらどこまでもしつこく追いかけてくるぞ! まして俺達は、子どもを狙う天敵として認識されてるんだ! 地獄の果てまで追われ続けるぞ!」

「そ…………」

 

 と。


「グロォォォッ!」

「フィア!」

「⁉︎」


 戻ってきたオルトロスが、またも私に迫り来る。


「…………」


 燃える瞳。


 爪に牙に。持てる全てを尽くして、私の命を刈り取ろうと。


「…………。…………ごめん」


 私は、震える拳を強く握り締める。


 そして。


 腰を深く落とし、全身に力を込めて正拳突きを叩き込んだ。


「うああああああああっ!」


 拳は鋭い旋風を生み出し、無数の風刃となってオルトロスを切り裂いていく。


「グロォォォォォォォォォォォォッ⁉」


 オルトロスの断末魔が響き渡り、飛び散った血や肉片が、私の顔や服を染めていく。


「はあっ、はあっ、はあっ…………」

 

 目の前に広がる、血の海。その真ん中には、さっきまで戦っていた相手の屍が転がっている。


「…………」

「フィア、無事か?」 

「…………」

「フィア」

「あ。う、うん…………」


 と。


「クゥン! クゥン!」


 ミニトロスが、屍に駆け寄っていった。

 冷たくなった母親の匂いを嗅ぎながら、鳴き声を上げ続ける。


「…………」


 一方の私は。


「…………」


 手足が震えて、動悸も止まらない。

 全身の汗が、ぐっしょりとして気持ち悪い。


「残るは、そいつだけか」


 ビクッ。


「お兄ちゃん…………?」


 なんだろう。いつものお兄ちゃんの声とは、違うような…………なんだか凍てついたものに感じられて。

 恐る恐る、横顔を覗く。


「やれ、フィア」


 私の知らない顔が、そこにあった。


「…………」


 その表情からは、血も涙も感じ取れない。


「…………」

「どうした、早くやれ」

「っ…………けど…………!」

「子どもだからって、見逃すわけにはいかない。今は、まだクンクン鳴くだけの可愛らしい赤ん坊でも、2、3年後には人間を襲う猛獣になってるんだぞ」

「それは…………」

「それに、この洞窟からは、貴重な鉱石が大量に産出される。魔獣の脅威が排除されれば、天然資源に乏しいフェルタ市にとって、数少ない一次産業の一つになり得るだろう。今回の依頼は、その一歩を築くためのものでもあるんだ」

「…………」


「はあっ、はあっ、はあっ…………」


 やっぱり、私にはできない。

 そう思って、顔を上げる。

 でも————


「…………」

「…………っ!」


 お兄ちゃんは、表情一つ変えず、無言で私を睨んでいた。



「…………くっ、はあっ、はあっ…………」


 なんで。

 こんなこと、しなきゃいけないんだろう。

 こんな…………気が狂いそうなほど非人道的な行為に、何の意味があるんだろう。


 そう思うと。


「…………うっ! オェッ! ケホ、ケホッ」


 嘔吐が抑えられなかった。


「はあっ。はあっ…………」

「言っておくが、吐いたら許されると思うなよ?」

「!」

「冒険者になるにせよ、ならないにせよ」


「救えるはずの命を救おうとしないヤツのことを、俺は最も軽蔑する」

「っ!」


 今までに聞いたことのないくらいの強い口調。


「はあっ、はあっ…………」

「クゥン」

「…………」

「ワフ」

「……………………」

「クゥ」

「…………ごめんね」


  ***


「んんっ…………」

「起きたか」

「ここは…………?」

「地下2階層の中間地点あたりだ」

「…………」


 そうか。

 私、気絶しちゃったんだ。

 最深部までたどり着くことなく。


「えっ。じゃっ、じゃあ、ここまで…………」

「運んだ」

「ご、ごめん」

「気にするな。それはそうと、今日は、もうこれで引き上げるぞ」

「えっ…………で、でも、まだ最深部には…………」

「そんなこと言ってる場合か。今おまえは、体力も精神も大きく消耗している。その状態で主に挑むのは危険すぎる」

「…………っ!」


 目の前が真っ暗になった。


「そんな顔するな」

「だっ…………だって」

「そもそも、俺がヤツに短刀投げつけた時点で、おまえはミッションに失敗してるんだよ」

「!」



『今回は、おまえ一人でダンジョンをクリアしてもらう』


『最下層の最深部にいる魔獣——いわゆる、主とかいうヤツだが——こいつを倒すことができれば、クリアと見なす』



 そうだった。


「…………」


 クリア…………できなかった…………。

 てことは…………私は、もう冒険者は…………。


「今は、二人とも無事に帰還することを最優先に考えるべきだ。余計なことは考えるな」

「…………」

「わかったな」

「…………。うん」


 私は、なんとか首を縦に振る。

 と。


「とにかく、おまえが無事で良かった」


 お兄ちゃんは、ふいに、私の背中をささってきた。


「…………!」


 顔を向けると、そこにあったのは、ふっと微笑むお兄ちゃんの顔。


「…………!」


 それは、今まで見たことないくらいに、まぶしくて。


「…………」

「どうした?」

「う、ううん…………」


 なんだろ。

 急に…………胸が熱くなって————


「疲れただろ?」


 お兄ちゃんは、そう言って、アイスティーの入ったマグカップを差し出してきた。


「あ、ありがと…………」


 私は、マグカップを受け取って、一口すする。


「…………」


 2年間の旅を通して、お兄ちゃんのこと、わかったつもりになってた。

 だけど、ほんとは。

 お兄ちゃんのこと、私、何も知らないのかもしれない。


 マグカップに口をつけるお兄ちゃんに目をやりながら、私は考え込む。


(それに…………私自身のことも…………)



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


次回、「お兄ちゃんの失踪」

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