第10話 天女のように綺麗な笑顔

 夕暮れ時の繁華街。

 俺はたかぶる気持ちを抑えながらに、前を行く男女二人組を尾行する。


 いくらか離れた場所からの追尾であったため、彼らがどんな会話をしているかは分からない。だがそれでも、挙動などで色々と分かってくることもある。


「……!」

「……っ……?」

「……」


 どうやら積極的なのは少女の方であり、一条先輩はやや消極的であるみたいだった。終始はしゃぎまわる彼女におされて、彼はときに苦笑を見せつつ往来を行く。


 彼らはウインドウショッピングを楽しんでいるのか、服屋に雑貨屋、書店をめぐり、最後にはテラスつきのカフェへと入店していった。そろそろ気候も夏場にさしかかっているため、この時間なら快適に談笑できるだろう。


「こりゃ間違いなくデートだな」


 俺は二人の様子を見て確信する。

 それは恋人がいる人間が行うには、あまり良ろしいこととは見なされない。程度の差こそあれ、浮気と呼称してもよい問題行為である。


 そして俺が一条先輩に求めている行為でもあった。


「けれどデートだけじゃ弱い」


 とはいえ、世の中には恋人ではない相手とデートをするやからは多くいる。また、その内容如何ないよういかんによっては許容される場合だってあるだろう。

 一条先輩の弱みを握るためには、もう少し決定的な情報が欲しかった。


「よし」


 よって俺は、覚悟を決めてカフェテラスへと進入する。

 気配を殺しながら、適当な座席へと──ちょうど一条先輩の背後のテーブル、二人の会話がきちんと聞こえる場所へと座った。そしてバケツのようにデカいカフェオレを注文し、長期戦に備える。


 黙って聞き耳をたてていると、二人の会話が聞こえてきた──


──

──


「あー楽しかったー。ね? 先輩も楽しかったよね?」

「あ、ああ」


 二人は今日のデートの感想を言い合っている。

 あの雑貨屋のぬいぐるみが可愛かった。本屋に並んだ新刊を買っておけば良かった。などと、他愛もない会話を続けていた。


 しかし少女の声は弾んでいて楽しそうであるが、一条先輩の声はなんだかぎこちない。どこか躊躇ためらっているような響きがある。


 俺がそのことを疑問に思い、理由を探っていると、少女の方が楽しそうに言葉を続けた。

 

「うふふ、でも帰ってきてよかったー。やっぱり彼氏彼女だったとしても会えない時間は辛かったもん。一年間か、やっぱり長かったね」


 そしてなんと、いきなり大きな手がかりとなる台詞せりふが発せられる。

 その口ぶりから察するに、二人は恋人関係にあるが、最近までずっと気軽に会えない時間を過ごしていたということになる。それはつまり、一条先輩は琴吹に告白した当初から、彼女のことを裏切っていたことを意味するのだ。


 俺は早々に重大な証拠を手に入れた気分になって歓喜した。

 しかしそれは、即座に一条先輩によって否定される。


「あの、そのことなんだけど……俺は君とは別れたつもりで──」


 ん、どういうこと?

 一条先輩と少女の言い分が一致せずに混乱してしまう。


「あー……先輩、私はそれ、認めてないですよ?」

「だって、俺は言ったじゃないかっ、遠距離になってしまうから、もう『チユ』とは一緒にいられないって──」

「だからこうして今年の四月から、この街に帰ってきたわけじゃないですか。私と先輩の愛のなせるワザですよねー。これでずっと一緒にいられます」

「……っ」


 どうにも、二人の関係性がつかみづらい。

 チユと呼ばれる少女の言葉を信じるならば、二人はずっと恋人同士であったということになる。だが、対する一条先輩からは全然、恋人と相対しているような甘い空気が感じられないのである。


 ──というかむしろ、恐れているような……?


「あ、そういえば聞きましたよー、センパーイ?」

「な……なにを?」

「私がいない間に、サブの馬鹿とヤスの阿呆アホを連れて『ナンパ』してたんですって?」

「どっどうしてそれを!?」

「サブに問い詰めたら親切にも教えてくれました。なんでも私が帰ってくるって知って、慌てて他の女を作ろうとしてたって……あーあ、ショックだなー。私はいっときだって先輩を忘れたことなんてないのに、先輩はそんなことするんだ?」

「い……いや、それは──」


 一条先輩の声は間違いなく震えていた。

 それはまるで、大蛇を前にして萎縮いしゅくしてしまった蛙のようである。窮鼠猫きゅうそねこを噛むとは言ったものだが、彼からは反撃を実行にうつせるような覇気はきをまったく感じ取ることができなかった。


 そしてチユと呼ばれた少女がおもむろに口を開く。


「それで、先輩? 私がいない間に『浮気』なんてしてないですよね?」


 俺の席からは彼女の顔が見えることはない。一条先輩の背中がさえぎっているからだ。だがけっして、その表情を拝みたいとは思えない。それほどのすごみが、その声音にはあった。


「も、もし俺が……チユ以外の誰かと付き合っているって言ったら……君はどうする?」


 一条先輩がすでにおびえの感情を隠さずに言う。


「そんなの決まっているじゃないですか──」


 すると少女は嘲笑あざわらうかのような気配をにじませて言うのだ。


? それはもう徹底的に」


 そのとき、一条先輩の背中がずれて、彼女の姿が垣間かいま見える。


 その顔は、それはもう美しい天女様のように綺麗な笑顔だった。

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