第23話

 久門はスマホを取り、電話を掛けた。相手は〝悩み相談サイト〟の運営者で、おぼろと名乗っていた。

「もしもし、九九です」

 九九はネット内での久門のハンドル名だ。久門は彼に、ある人物の殺害を依頼していた。

『……九九さん。不要不急の電話はご遠慮願えますか。……お互い、リスクを負っているのですよ』

 変声機を使った迷惑そうな声がした。その声から想像できるのは身長二メートル、体重一五〇キロの巨漢だが、そんなはずはないと確信している。目立ちすぎる肉体は、暗殺者に向いてないからだ。おそらく正体は極普通のビジネスマンのような人物だろう。植松孝平と一緒にいた中年男性の姿が思い出される。彼なら都会の雑踏に紛れて多くの仕事ができそうだ。

 悩み相談サイトに参加した当初の目的は、小説のネタ探しだった。三カ月ほどは当たり障りのない愚痴を吐きながら、世間の人々がどんな相談をしているのか探った。ある時、殺したい人間がいると言ってみた。すると朧は応じた。

『報酬は一億円。……ターゲットの行動を一週間ほど調査し、その後の一週間で殺してやりますよ』

 彼の言葉は力強かった。

 久門は数日検討したうえで、正式に殺人を依頼した。証拠金として五百万円を払った。だまし盗られたところで彼にとっては端金はしたがねだ。六日前のことだった。

「計画は進んでいるのかい?」

『もちろん。彼の行動は99%掌握済みです。期限は明日でしたね。こちらは、いつでもやれますよ。……まさか、怖気づいてキャンセルというのではないだろうね?』

「とんでもない。逆だよ。この世はカオスだ。一刻も早く殺してほしい」

『酔っているのか……』

 怪しむ声だった。

「少しね。でも意識は正常、正気だよ」

『ずいぶん急ぐのだね』

「ああ、決めたら早い方がいい。時間をかけて熟考したところで、答えは同じになるのが世の常だ。直感というのは、思考の結晶だからね。それを疑ってみたところで疲労が増すだけだ。具体的なやり方は任せるが、できるだけ派手な方法で頼むよ。……どんな風にやるつもりなんだい?」

 朧がどのように殺そうとしているのか興味があった。

『派手なのがいいなら、爆弾を巻き付けて公園にでもさらそうか?』

「それは止めてくれ。命乞いをしたり小便を漏らしたり、情けない姿を晒しかねない。彼には、恐怖も同情も不要だ」

『ならば、ビルの屋上から落とそうか? 落ちるさまを誰かが見るかもしれないし、お天気カメラの記録に残れば、ネットに流出するかもしれない』

「それはだめだ。下を歩く通行人がいたら迷惑をかける。前にも言ったが、自殺や事故に見えるようなやり方ではだめだ。、ということが肝要だ」

『悪意ねえ……、標的を善意の存在に見せたいのかな?』

 久門は机の上のフォトフレームに眼をやった。愛妻が生まれたばかりの娘を抱いた写真が入っている。

 妻は多情な女性だった。その情の強さにほだされて結婚に至ったのだが、その情は久門が何カ月も缶詰めでいる期間、耐えることができなかった。ホテルを訪ねて仕事の邪魔をしてくるうちは笑い話で済んだが、やがて自宅へ見知らぬ誰かを呼ぶようになった。今頃、旅先のホテルか、夫婦のベッドで自分の知らない誰かと寝ているかもしれない。

 そうした想像をするだけで絶望してしまう。彼女を殺すことも考えたが、それは現実的な解決策とは思えなかった。子供には母親が必要だ。その父親が誰であれ……。

〝腐った権力者〟を書いたのは、作家としての自分の生き方を変えたかったからだが、それを理解している者は少ないだろう。フォトフレームを伏せた。

「……そういう理由ではない。自殺では家族が哀しむ。事故では管理責任を問われる関係者がいるかもしれない。私の依頼による第三者への影響は、極力排除したい」

『注文が多いですね。。死とは……、そう、空間までも歪め、光をも閉じ込めるブラックホールのようなものです』

 彼が哲学的なことを言って沈黙した。怒って仕事をやめると言い出すのではないか、と久門は案じた。それで提案した。

「阿鼻委員長と同じ殺し方がいい。きっと話題になる」

『誰かの仕事をまねるなど悪趣味ですが、それが望みならそうしよう』

「復讐なのだ。この腐った世界に対する。たとえ悪趣味であろうと、ものまねであろうと、インパクトが重要だ」

『インパクトですか。……いいだろう。実に現代的です。数日のうちに結果を出そう』

 朧が電話を切った。

 久門は、身体の中心から創作意欲が湧きだすのを感じた。パソコンに向かうと結界が解けたように創造力が躍動し、物語が走り出した。心臓がバクバクと音を立てて血液を押し出し、血潮がスピードを増してキーをたたく勢いを速めた。

「出来る。僕は出来る……」

 久門はキーをたたきながら、同じことを何度もつぶやいた。そうして物語は終焉を迎えた。

「これは世界を震撼させる絶望の書だ」

〝了〟の文字を打ったころには夜が明けていた。夜食を食べるのを忘れていたことに気づいた。しかし、脳はカッカと興奮していて、空腹は感じなかった。

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