第14話

 虎夫の頭に、ポンとアイディアが浮かんだ。

「この映像は不倫の証拠ッすね。週刊誌に売ったら、金になりますよ」

「昔から日本人はゴシップが好きだからな。需要があれば商品は売れるさ」

「世の中には不倫なんて掃いて捨てるほどあるのに……」

 ホテルで働いていると、それっぽい男女を見かけることが多かった。

「不倫が問題なんじゃない。誰がやっているかが問題なんだ」

「そうなんッすか?」

「一夫一婦制なんてものは、近代人が決めたものだろう。本来の男は、自分の子孫を残すために手当たり次第に女とやりたがるものだ」

 さすが先輩は物知りだ、と感心した。同時に疑問も感じた。

「それが人間らしさ、ッすか?」

「かもな」

「それなのに、今では不倫だといってたたく……」

「一夫一婦制の法律を作ったやつが悪いのさ。まぁ、社会の変化がそうした倫理観を生んだのだろうけどな」

「だからって……」

「マウントさ。他人の不適切な行動をたたくのは、自分が正しい人間だと証明するようなものだからな。自分ができないことを誰かがしている。そんな、嫉妬もあるかもしれない」

「ヨッシ、売ろう」

 虎夫は不倫をする政治家に鉄槌をくらわせようと決めた。引き出しからUSBメモリーを取り出してパソコンに指そうとすると、その手を悠一に握られた。

「止めておけ。守秘義務違反も犯罪だ。ばれたらクビだぞ。仕事中に居眠りをしているのとは、わけが違う」

 彼の警告に虎夫は膨れた。正義を行使するのに不利益をこうむるなんて、理不尽な世の中だ。……感情がグツグツ沸騰したが考えた。噓つきの政治家は表舞台から消えるべきだが、そのために自分がクビになるのは困る。

「正義の告発ッすよ」

 そう言ったのは素直に負けを認めたくなかったからだ。

「その告発で俺たちの生活は良くなるのか? テレビやネットでこいつがたたかれるだけで終わりだ」

「それはそうだけど……」

「政治家の不倫なんてものは珍しくない。年単位で部屋を押さえている政治家はチェックインの手続きさえ不要だ。そんな連中は、秘書や後援会名で契約しているから、俺たちが気づかないだけさ。さあ、続きをやろう」

 悠一がリストにある政治家の不倫相手の名前を線で消した。

 自分の席に戻ったものの、虎夫の中のモヤモヤは消えなかった。それで政治家と愛人が映るデータにアクセスし、悠一に気づかれないようにコピーした。……これはオレの秘密兵器だ。有効に使える機会に行使しよう。そう決めてUSBメモリーを握ると強くなった気がした。


 二人は黙々とモニターを見続けて宿泊客の行動を追った。

 作業に慣れてストレスが減ると、虎夫はモニターに映る他人を見ることに不思議な喜びを覚えるようになった。同時に、使命感にも似た内的な力に強く駆り立てられた。自分の手で犯人を見つけようと、フロントだけでなく、ロビー全体を見渡すカメラや土産物売り場、裏口に続く廊下、展望レストランの入り口の映像にも目をやって宿泊者の行動をチェックした。

 作業を続ける間、時折チャイムが鳴った。隣接する社員通用口を、通行パスを持つ関係者が出入りする音だ。二人は壁面のモニターに目をやって、通り過ぎる人物の顔だけを確認した。皆、見知った顔だった。通行パスを持たない者がドアの外でベルを押した時は、悠一が窓口に立って対応した。レストランの食材やアメニティーを納入する業者だ。

 ――ピンポン、ピンポン――

 チャイムが鳴ってモニターに清掃係の高齢女性が映った。彼女は通り過ぎなかった。

「おーい。いないの?」

 通路に面した窓口から声がする。

「おばちゃんだ」

 彼女は佐藤晶子さとうあきこ、しばしば差し入れをしてくれる気のいい女性だった。

「今日は何かな?」

 空腹を覚えていた虎夫が足を運んだ。晶子が紙袋を窓口から突っ込んでぶらぶらさせていた。

「お疲れさま。これ食べて。私が作ったパンケーキ」

 思わず笑みが浮く。

「いつもすんません」

「どうしたの? 奥に引きこもって」

 事件のことは口止めされている。それで、「あぁ、ちょっと」と誤魔化した。

「彼女を隠しているんじゃないわよね?」

 晶子がニヤッと笑った。

「まさか……」

「そうよね。あんた、女に冷たそうだし」

「そんなことないッすよ」

「それじゃ今度、私とデートしてみる?」

「あー、それは……」

 返事に困って口ごもると、晶子は冗談だと笑って職場に向かった。

 部屋に戻ると悠一がにやけていた。

「先輩、パンケーキの差し入れっス」

「聞こえたよ。おばちゃんの話を真に受けやがって……。あんな時は、行きます、と応えて喜ばせてやるもんだ」

 二人はコーヒーを淹れ、手づかみでパンケーキを食べた。

「あんまり味がないなぁ」

 虎夫が感想を言うと、悠一がカラカラ笑った。

「本来、シロップとバターなんかを付けて食べるものだ。トラも女とデートして注文してみろ。生クリームやフルーツなんかも付いてくるぞ。それを教えたくて、おばちゃんはデートに誘ってくれたんじゃないのか?」

 そう言うと、再び笑った。

 虎夫は面白くなかった。デートはしたいが恋人はいない。だからと言って、母親より十歳以上も年上のおばちゃんとデートなどできるものか。そんな感情が眠気をどこかにやった。パンケーキを胃袋に流し込み、目の前のモニターに集中した。

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