第12話

「久能久門はどうっすか?」

 虎夫は、505号室に四カ月前から滞在している人気作家の名前を挙げた。その名前は本を読まない虎夫でも知っていた。映画化された作品はいくつか見ている。推理ものだが笑えるエンタメ作品だった。ところが、彼の新作は政府を侮辱しているとSNSで炎上した。それが彼をスナイパー候補に上げた理由だった。

「ああ、〝腐った権力者〟が炎上しているな」

「先輩、あれ、読んだッすか?」

「読んだよ。今までのエンタメ作品とは違ったな。どちらかといえば社会派の小説だった」

「社会派ッすか……。ネットでは反日小説だって……」

「そんなふうに矮小化わいしょうかするのはどうかなぁ。世界で起きている富の偏在と民主主義の衰退、独裁政権の誕生……。そうした現代社会を批判する小説だった。反日に見えるのは舞台が日本に設定されているからだ。……実名こそ使っていないが、確かに登場人物の多くは現政権の関係者だろう。主人公は社会を批判し、権力者とその周囲で利益を貪る者たちを次々と殺していく。それで政権に批判的な人々には支持され、右翼的な政権支持者からは痛烈な批判を浴びている。……そういえば、小説の中で国家公安委員長も殺されていたな」

「そうなんすか?」

 悠一の話は難しい言葉が並んでいて理解できなかった。彼はいつもそんな話し方をする。本をたくさん読んでいるし、実際、頭が良いのだ。だから、彼の話はできるだけ真面目に聞いて、自分もそんな言葉が使えるようになりたいと考えていた。

その時、確実に理解できたのは最後の一節、その小説の中で国家公安委員長が殺されたということだけだった。

「トラ、そんなことも知らないで容疑者に挙げたのか?」

 指摘され、エヘヘと笑ってごまかした。

「確かに、作品が著者の政治信条に基づくものなら、阿鼻委員長を殺害する動機があるといえるのかもしれないな」

「そうッすよね」

 少し得意な気持ちだった。

「で、久能久門はその時間帯、外出しているのか?」

「今、チェック中ス」

 映像を確認すると、彼はその日、一歩もホテルを出ていなかった。その日だけではない。前日も彼がホテルを出た形跡はなかった。

「ずっとホテルから出ていないッす。これが缶詰というやつかぁ」

「なんだ、疑っておいて。事件とは無関係じゃないか」

 悠一が呆れていた。

「すみません。……どれだけ稼いでいるのかわからないけれど、かごの鳥のような生活はまっぴらッすね」

「ものを書いてから言え」

 彼が笑った。

 その後も調査の手を止めたのは虎夫だった。やはり、寝不足がこたえた。目がしょぼしょぼしてリストの氏名がダブって見える。

「名簿、半分になりましたよ」

 目頭をマッサージした後に両手を上げて背筋を伸ばした。

「まだ終わっちゃいないぞ。動向調査もある」

「しんどいッすね。でも、スナイパー、見つけたいなぁ。そうしたら有名になるかなぁ」

 テレビ番組のインタビューを受ける様子や、街中で若い女性に声をかけられる場面を想像した。

「そんなのヤダね。ダサいだろう」

「そうかなぁ」

 コーヒーを飲んで一息ついた。それから作業の続きに取り掛かる。出張で海外からやって来たビジネスマン、愛人を連れた紳士、退職後の旅行を楽しむ老夫婦、有名芸能人やスポーツ選手……。モニターに映る宿泊客は、老若男女に関係なく誰もかれも裕福そうな身なりをしていた。見れば見るほど、スナイパーというより狙われる側の人物に見えた。

「同じ人間ですかね?」

 声を上げると、悠一が無言で首を傾げた。

「モニターの向こう側の人間ッすよ。みんな金持ちそうだ。オレと全然違う」

「当たり前だ。同じ人間じゃないんだよ。学校にスクールカーストがあるように、社会人の世界にも見えないカーストが存在する。俺たちの上にいるのはホテルの正社員。その中でも大空部長は、ずっと上だ。更にその上にいるのが、今見ている連中さ。向こう側の人間と俺たちとでは人種も生まれも育ちも違うんだ」

「そのくらい、オレも分かっているつもりッす」

 学校では、人間は平等で対等だと教わってきた。とはいえ、中学生ぐらいから実はそうではないと薄々感じていた。それを悠一に明言されると、作業を投げ捨てたくなった。

「殺された阿鼻も、カースト上位の国民だ」

「そんな奴のために、オレが睡眠時間を削って犯人捜しに協力しなければならないなんて理不尽じゃないッすか……」

「そんな奴だから捜査に協力させられているんだ。撃たれたのがトラなら、誰もこんな風に捜査はしないぞ」

 悠一が笑った。

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