第6話

 オーガ族が参戦しないことで、武器で劣り人口で勝るチトラ族と、武器で秀で人口で劣るゴルド族の戦力が拮抗することになった。結果、内戦が長引き、戦闘エリアは山岳地帯にまで拡大した。

 山岳地帯で戦闘が始まると、森林が焼き払われて獣が隣国に逃げた。そうした事態にオーガ族は立ちあがらざるを得なかった。彼らは、緑豊かな国土の再建を理想に掲げるチトラ軍に加わった。

 ミラージュはゴルド領内に潜伏して、軍の将校を殺し続けたという。その詳細は〝ゴルド紛争史〟にもない。当然だ。ジャーナリストでもない郷土史家が、どうしてスナイパーの行動を知りえるだろう。彼が確認できたのは、ゴルド軍将校の中で語られたミラージュの恐怖の物語と、三百六十五人といわれる被害者の数だった。

 紛争終結後、オーガ族の族長がチトラ族から賄賂を受け取って参戦したという噂が流れたが、社会が混乱していた時のことで証拠はなかった。そうした話で〝ゴルド紛争史〟は終わっている。


「ミラージュ、君はどこにいる?」

 再びファイルの新聞写真に語りかけた。

 耳を澄ましたところで返事が聞けるわけではなかった。エアコンの轟々と喘ぐような音と、階下で誰かが動く気配がした。

 ――タン、タン、タン――

 足音が徐々に大きくなる。

 誰かが階段を上ってくる。……剛史は緊張し、耳をそばだてた。

 ――ギシギシ、……床が鳴る。

 その軽い音で華恋だとわかった。ホッとため息をついて緊張を開放する。

 ――トントントン――

 「どうぞ」

 ノックをしたのが妻だと思って油断していた。彼女が仕事の邪魔をすることはないからだ。

「おはよう。徹夜したのね」

 ドアが開いた。開けたのは妻に間違いなかった。

「あぁ。おはよう……」

 ファイルを閉じる。背中で彼女が近づいてくるのを感じた。

 マグカップを持った腕が肩の陰から伸びてくる。コーヒーの豊潤な香りと景色をゆがめる水蒸気。

 ――コトン――

 マグカップが小さな音をあげる。

 ありがとう。……そう言おうとして言葉をのんだ。ゲッ、……のどが鳴った。

 目に留まったのは、ライフル銃を背負った妻に似た誰かだった。カーキ色のダウンジャケットが、彼女を女性ではない何者かにしている。……スナイパーだ!

 よほど可笑しな顔をしていたのだろう。彼女が目を細めた。

「私の顔に何かついてる?」

「エッ、どうしたの。そのライフル銃?」

 彼女の背中に目を向けた。

「やだ、猟に行くって話してあったじゃない。忘れたの?」

 寮? 漁?……ああ、猟か……。それは華恋の仕事の一つだった。

「そ、そうだったね」

 ゴルド軍の将校の首を狩りに行くのだろう。……頭の隅で誰かが言った。

 彼女の視線がモニターを走った。

 アッ!……モニターにあるのが編集者からのメールだということに気づき、慌てた。マウスを握ってそれを隠し、彼女の表情を窺った。

 彼女はメールのことには触れなかった。その時に限らず、普段から決して仕事のことを訊いてこない。無視されているような気もするけれど、だかといって、小説は出来上がるのか、本になるのか、と尋ねられるのはもっと怖く、辛い。彼女は訊かないが、彼女の両親には訊かれることが多かった。

「……それじゃ、行ってくる」

 一拍置いて彼女が言った。

「本当に大丈夫なのかい?」

 ゴルド軍に発見されたら、どうする?……頭の中で、別の誰かが訊いた。

「お父さんと一緒だから心配しないで。今日は大物が狩れる気がするの。……食事、忘れないでね。キッチンにあるから」

 彼女が背を向ける。背中のライフル銃は彼女を猛者に見せた。

 ――タン――

 小さな音がしてドアが閉まる。ギシギシギシ、……彼女の足音が遠ざかる。

ホッと息をつき、左手にマグカップを、右手にマウスを手にした。

【興味深い作品ではありましたが、本作の掲載は見送らせていただきます……】

 文字に目を走らせた。

 彼女は殺さなければならない。……剛史は確信した。

 ――ブォン……――

 窓の外から彼女が出撃する音がした。

 メールソフトの〝新規作成〟ボタンをクリックする。

〖早く殺してくれ〗

 キーを打つと、迷うことなく送信した。

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