洒落た言葉が必要だった。


【洒落た言葉が必要だった。】



「いくのか」


 目の前の男が発した言葉は震えながら僕の耳に届いた。くしゃりと潰れた顔。日に焼けて黒くなった皮膚は傷がケロイド化してでこぼこと波打っている。赤く腫らした目の周りは元の造形の良さの見る影がないほどで、僕を見るたびぽろぽろ涙を流すから「ここは戦場だぞ。泣いてる暇あるのか」と笑ってやった。


 ブカブカしていた学生服の首もとの、詰襟が苦しくなるほどの年月が経った。僕らはそれだけの時間を共に過ごした。


 行く先が決まったのは学校を卒業する少し前のことだ。同じ部隊を希望していた。僕は泳げないから海が無理で、あいつは目が悪いから空が無理だった。ならば共に陸を選ぼうと話した。希望がまかり通る世界ではないと先輩方からは何度も聞かされた。情に訴えるような願いもすげなく却下されたと聞く。だが僕らは天の采配により同じ地に向かう部隊に配属された。


 郷里の土は二度と踏めない。

 帰ることなど考えてはならない。

 一人でも多く殺すこと。

 敵が全員死ぬまでは終わらないこと。

 国の勝利は親兄弟の生死に繋がると思え。


 聞いた言葉のどれも非現実的で僕には想像が難しかった。僕が生来楽観的だからなのか、ただの阿呆だからなのか。そうは言っても実際は思うより安全で、戦いとは無縁のまま終われる気がしていた。




 目の前にいる無二の友がずっと泣いている。バカだなあ。ここじゃろくすっぽ水なんて飲めないのだから、それは大事に大事に体に閉まっておかなきゃダメだろう。しょうがないなあと頬を拭いてやりたかったけど、今の僕にはハンカチを入れていたズボンが無いから、やっぱりしょうがないと笑ってやるしか出来なかった。


「元気でな」


 振り絞って声を出した。地雷で吹っ飛んだ僕の足はどこにいったのだろうか。千切れた体の先っぽから温かな血が垂れ流れていく。敵地の土が接着している僕の体から直接血を吸っていく。ああ。ここが生まれ故郷じゃなくて良かった。あの美しい山里に似合うのは紅葉の紅で、血の赤じゃない。こんな地獄みたいな景色が流れていい場所じゃない。


 僕から離れようとしない友に胸ポケットの名札を持っていけと言う。出来たら髪の毛も一緒に託したかったが、剃られた坊主頭には託す毛がない。僕の身元を証明する体の何かを。ああ、そうだ。指を、僕の指を持っていってくれ。最後の最期に願い事ばかりで迷惑を掛けるが、ここまで連れ添った腐れ縁だ。笑って許してくれ友よ。


「はやくいけ」


 もう一つ言葉を託す。ここは戦場。敵地で最前線だ。命僅かな人間にかまけている場合ではない。地雷が爆発した時に周囲に人影は無かったが、あれだけの爆音だ。駆け付けるやつがいてもおかしくはない。


 色んな人が言う。国のために死ねと。そうして大切な人を守れと。逃げるのは恥であり卑怯者、臆病者だと。


 この命一つで一体戦いの何が変わるのだろうか。時勢の濁流に飲み込まれ、アリを踏み潰して殺すように簡単に潰される命で。


 命あっての物種だ。この戦いの何になれなくても、生きて帰ることが一等大事だ。そう思ったから僕は地雷を踏んだんだ。きっとこいつは大義名分がないとそんな気持ちになりもしないから。僕を連れて帰るという大役をこなすために、きっと文字通り一生懸命になってやり遂げてくれるだろう。


 僕の欠片と、大事な名前。今のお前には重いだろうがどうかよろしく頼んだよ。お前を生かす命綱だ。しっかり離さず持っててくれよ。


「……っ」


 だっ、と地面の土を蹴って森の中を走っていく。目線の低くなった僕は背の高い草木に阻まれてあっという間にあいつを見失った。


 走れ、走れ。僕に構わず振り返らず、さっさと走っていなくなれ。格好つけた僕の、そのメッキの下をどうか見ないでくれ。


 友よ。ありがとう。僕と一緒にいてくれてありがとう。今際の際まで見送ってくれてありがとう。故郷の土は踏めなくても、知らない余所の地で死に絶えても、僕の魂が宿っているのはその欠片だ。




「一緒に帰らせてくれてありがとう」




 やり遂げてくれる友の姿が、目蓋の裏に見えたから。僕は帰れたと胸を張って言える。




【終】

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