第6.5話 情(ウルフガルム)

 あったけぇ。


 なんだこれ……すっげぇキモチイイ。

 

 俺は夢でも見てんのか?


 ……あぁ、そうか。俺は、ついに消滅しちまったってことか。


 そりゃそうだよな。シャイニングナイトの野郎に致命傷を喰らわせられちまったんだから。


 それにしても、消滅することが、こんなに心地良いもんだとは思わなかった。


 ほのかにシトラスのような爽やかでみずみずしい香りがする。甘やかさもあるそれは、正直嫌いじゃない。

 

 そして、あたたかく柔らかなものに包まれているような、どこか懐かしい感覚がする。まるで、全身を大量のフレドルカが駆け巡ってるようだ。強い輝きのそれは、太陽の光のように温かく、やんわりしているくせに力強い。


 俺の耳の先から爪の先、尾の先までを巡り、満たしていく。


 ……いや、待て。これ、マジで身体じゅうにフレドルカが満ちてんじゃねぇか?


 なんでこんなにも自分の鼓動が強く聞こえる? あの強烈な痛みはどこへ行った? さっきまで鈍っていく一方だった感覚が、戻ってきているのはなぜだ?


 徐々に穏やかな雨音がはっきり聞こえてくる。同時に、湿った毛並みの不快感も全身に広がってきた。


「ぐ……ぅ……」


 身体に力を入れてみると、俺自身の唸り声が漏れた。


 俺は……まだ生きている、のか?


 ゆっくりと目を開ける。薄暗い空間が視界に広がった。

 

 ここは……そうだ。シャイニングナイトの前で無様に消えたくなかった俺は、フレドルカをありったけ使い駆けたのだ。ひと気のない公園のドーム遊具の中で、あとは消滅するのを待つのみだったはずだ。


 しかし、どうしたわけか俺は生きていた。


「……な、んで……だ?」


 長時間コンクリート製の壁にもたれていたせいか、後頭部と腰が痛い。

 

 しかし、シャイニングナイトから受けたはずの胸の傷からは、なぜか痛みが引いていた。


 おかしい。


 右手を一度グーパーと動かしてから、刺されたはずの胸の傷に手を置いた……はずだった。


「……あ゙?」


 馴染の毛並みではない、何か別の物体に手が当たった。サラサラした毛並みのそれは、とてもぬくい。その手触りをしばし堪能してから、視線を落とす。


「な……っ!?」


 胴にしがみついていたものを見て、俺の意識は一気に覚醒した。なんせ、俺の身体にしなだれかかるように気を失っているそいつは、二度も俺のフレドルカ集めを邪魔しやがった、人間の女だったからだ。


「何してやがんだ!? 離れやがれっ!」


 俺の腹にひっついていたそいつを引っ剥がし、押し退ける。……が、その身体から抵抗は無く、人形のように地面にごろりと転がっただけだった。


「……は? ンだよ……まさか……死んでんじゃねぇだろうな?」


 恐る恐る近付き、女の口元へ耳を近づける。


 息は……しているな。


 どうやら気絶しているらしい。


「なんでこいつが俺の上で気絶してんだよ……」


 思わず顔を顰める。


 本当に妙な人間だ。


 俺を見ても恐れず、むしろ触ってきやがるし。再会を願って探していただとか狂ったこと言いやがって。怪人の俺に向かって、「心を奪われた」なんて恐ろしいことまで口にしていた。


 それから、こいつのフレドルカも異常だった。


 一握りを奪っただけで、俺の腹をあっという間に満たしてしまうほどの、質の高さ。


 上質なフレドルカが多いとされる、幸福値の高い地へ派遣されたことは何度もあったが、ここまでヤバいフレドルカには出会ったことがなかった。


 濃厚、なのに飽きの来ない。甘い、しかし胸焼けするわけでもなく。どこかクセになるような。


 腹だけじゃない、胸の奥まで満たしていく。暴れたい、奪いたいという気持ちが失せ、獲物を恐怖のどん底へ追い詰めていく快感が一瞬だけ罪悪感に変わる。心地良ささえ感じる程に。


 言うなれば、最上級の質のフレドルカなのだ。


 だから、正直、俺はこの女とは関わりたくない。関われば、怪人としてのアイデンティティを失ってしまいそうだからだ。


「……待てよ」


 そこで、はたと気が付いた。


 このフレドルカの質の高さ。目の前で気絶している女。致命傷を受けていた俺の身体が、消滅せずに回復している事実。

 

「こいつ……俺にフレドルカを?」


 まさかとは思ったが、それ以外にこの状況を説明できる術が思い付かなかった。


「……バカじゃねぇの」


 人間どもがシャドウオーダーを悪の組織と謳っているから、俺たちにとっても人間は敵以外の何者でもない。シャドウオーダーにいる限り……いや、俺が怪人である限り、それが変わることはない。

 そんな俺が死にかけていたのを見つけて、わざわざフレドルカを分け与えるなんて。

 

「どうかしていやがる」

 

 呆れ果てて思わず笑いが漏れた。


 この女とは、やはり関わるべきではない。そう自分に言い聞かせ、ドーム型遊具の外に出て歩きだす。

 

 が、雨の中を数歩行ったところで、俺の足は止まった。


「……」

 

 振り返り、ドームを見る。

 

 耳をそばだてたが、女が目を覚ました気配はない。

 

「…………クソッ」

 

 結局、俺はまたドーム型遊具の中へと戻ってきていた。


 なぜ戻ってきてしまったのか、自分でもよく分からない。が、1つだけはっきりしていることがある。それは、俺がこの女をこのまま置いていくことに不安を覚えているということだ。


 音を立てずに女のそばへと近付き、膝をついて座った。


「別に助けてもらった礼じゃねぇし、てめぇがここで誰かに犯されようが野垂れ死のうが、俺には関係ねぇ。けどな、人間に借りがあるなんざ、怪人としてのプライドが許さねぇんだよ」


 こいつにまだ意識が戻っていないことは分かっていて、言い聞かせる。


「だから……仕方なく、だ。このまま死なれちまったら、寝覚めも悪ぃだろうが」


 それは、俺自身への言い訳でもあった。


 

 未だ目を覚まさないままの身体を抱き上げると、あの上質なフレドルカが生まれる身体だと思えないくらい軽かった。それに、手の上からとろけ落ちてしまいそうなほど、やわい。


 みずみずしく甘やかな匂いは、やっぱりこいつだったのだと分かり、思わず舌打ちした。


 そばに落ちていたバッグも拾い上げてから、瞼を閉じる。全身を流れるフレドルカに意識を集中させ、頭の中で人間の姿をイメージしながら念じれば、俺の見た目はあっという間に人間の男へと変わった。


 フレドルカの消費が著しい上に、着ているものは変えられないからあまり使いたくはないが……まぁ元の姿のままよりも、こいつを他の人間に託しやすいだろう。


「じゃあな。てめぇのフレドルカ、悪くなかったぜ」


 どこか幸せそうな顔をした寝顔にそう呟き、俺は小雨の降る中を人通りのある方へ向かって歩き出した。

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