SALLY.

巴ミロク

難燃の糸

第1話 

雨の降る夜。俺は...大きな猫を拾った。


尖った耳もない、長い尻尾もない。それは首輪を付けた、人によく似た猫だ。どうして俺の家の前で倒れているのか、なぜ体中に傷が目立っているのか、何度か声をかけてもその瞼は震えもしない。


バケツをひっくり返したような雨の強さに、俺の持つ傘が雨粒に沈む。風が無いのが救いだ。


足で小突いても極小さく呻き声を上げただけで、起きることはない。


(...面倒だ...)


何故だ、俺の懐にはいつも面倒が舞い込んできやがる。俺に私怨を抱く奴は少なくないと自負しているが、どうも今回のお遊びは甚だ理解しがたい。いや待てよ、嫌な予感がする。もしや昔抱いた女が孕んだ子を捨てに来たのか、それとも俺の顔見知りか。しゃがみ込み顔を覗くが、顔見知りでも、どこかで見た顔でもない。仕事の客でもないだろう。



こういう時、人は警察というものにすべて押し付けるのだと認識はしていたが、如何にも気が乗らなかった。


致し方ない。俺は猫を背負うために傘を閉じた。









「おい、爺さん。まだかかるのか?此処に来てから、小一時間も経っちまってるぞ」

   

「ハッハッハッハッハッ! お前さんが〈裏〉から来るのは久々だったからな、隅々まで手を掛けたくなってしまうんだ。それにしても、診察時間外に何かと思ったらお前さんが猫を拾ってくるとは...。少しは人の心を宿したか」


「チッ_。一言余計なんだよ。 手厚い診察はほどほどにしてくれ」

(これだから年寄りは嫌いなんだ。)


良く響く笑い声に俺は顔を歪ませ、心の中で悪態をついた。

 

得体のしれない奴を自宅に連れ込むほど自分がお人よしなわけがなく、昔馴染みである変態爺さんの仕事場に嫌々転がり込んだ。一応藪でも闇でもない真っ当な医者らしく、普通の患者は〈表〉から受け入れ、訳アリの患者(俺たちみたいな)は〈裏〉から受け入れているらしい。


診察台の上で裸になった猫は、洋服で隠れていた部分にも痣や切り傷を付けていた。明るい電気の下で見ても、鼻筋の通った俗にいえばイケメンな顔立ちをしていることは分かったが、その顔にピンとは来ない。雨に濡れていた髪は、まだ少し湿っているのか黒曜石のようだった。聞きたいことが山ほどあるが今は、お医者爺さんの邪魔にならないように部屋の隅で腕を組み壁にもたれて深く息を吐いた。





数分後_


「はあ...。一通り診たが此奴の主人、ちと厄介だぞ。ほれ、ここを見てみろ」


「っ...」


爺さんの声で、落ちていた意識が一気に浮上した。どうやら俺を呼んだようだ。

言われたとおりに近づいていけば爺さんの溜め息が理解できた。


「まずこの首輪、下手に取ろうとすれば頸が吹っ飛ぶ仕組みになっていやがる。それと背中にある抉ったようなこの傷、応急処置はされていたみたいだが、命に関わるほどの傷だったというのは、お前さんでも分かるだろう」


爺さんが背中の傷を見せようと猫をうつ伏せにさせたとき、耳の裏に小さくつけられているナンバーに見覚えがあった。


「っ!これは...」


№4018


「チッ...翠禪か」


思わず握りしめた手に力が籠った。


「気づいたか。だが、何とも言えないのが現状だな。こういうサイエンスなことは、遊間の倅のほうが詳しいだろう。まあ今晩はここに寝かせておけばいい、夜も深くなった、お前さんも泊っていけ」


「ああ」


下で待っている。爺さんはそう言って部屋を出ていった。


分かっていたのかもしれない。こいつを最初に見つけた時から、あいつが一枚嚙んでいると。



死んだようにベッドで眠っている猫は、一体何者なんだろうか。まあ、難儀な生き方をしているのは一目で分かるが。細く白い腕に点滴の管がよく目立ち痛々しさが増している。何故だろうか、こいつを見ていると何かを思い出してしまいそうで息が詰まる。思わず目を逸らした。雨はまだ降っている





コンコンコン

「おーい聖兄さん、そこにいるの?爺ちゃんが呼んでるよ。早く来いだってさ!」


「達也か。ああ、分かった。今行く」


扉の向こうから聞こえた声に応えれば階段を下りる足音が聞こえた。


あれからどれほどの時間こうしていたのか、雨が少し落ち着いていた。俺の昔からの悪い癖。考え事をすると意識を暗く深い海に落としてしまう。


「...早く、起きろよ」


そうつぶやいた声はきっと、誰にも届いてはいないだろう。明かりを消し、俺は部屋を出た。





「お前さんの見立て通り、あの猫には翠禪の奴らが関わっている可能性が大いにある。が、憶測だけで動いて奴らの目に留まってしまっては本末転倒、やはり猫に聞くのが一番だろう」


住居スペースに下りた俺たちの話題はもっぱら件の猫についてだ。爺さんの言葉に頷く。


「そういえば聖兄さんが背負ってきた、えっと猫さん?はまだ目を覚まさないの?はいどうぞ」


「あぁ、ありがとう。そうだな、目が覚めても口がきけない奴かもしれない。どっちにしろ、目が覚めてくれなきゃお手上げってことだな」


達也から湯呑を受け取り口に含む。熱すぎない温度の風味豊かな緑茶が雨に冷えた体を暖めていく。 今更、面倒になったと捨ててしまえばもう絶対に、人に戻ることなどできなくなってしまうかもしれない。

 

「しかし、面倒だ面倒だと雛鳥の如くいつも囀っていたというのに、自らそれを拾ってくるとは、どんな風が吹いたのやら、ワシには分らんな」


爺さんの言葉は最もである。自分でもなぜこんなに気を掛けてしまうのか理解できない。困ったものだ。ただ優しさとか正義感とか、そんなものではないのは十分に分かっていた。


「自宅の前に、体が傷だらけの奴がぶっ倒れているから何とかしろとポリに通報でもすればよかったか?こんな、日本の掃き溜めのような場所に住んでるんだ、碌な対応はされないだろう。それに、俺が疑われてでもしてみろ、戸籍のねぇ俺はあいつらにとっちゃゴミ以下。薬中のうわごとだと処理されちまうのが目に見える」


俺たちが住まうこの場所は、元は普通の町だったらしい。だが数十年前からその姿は変わってしまった。日本社会から落ちこぼれた奴、欲望におぼれた奴、金がない奴その他いろいろが蔓延る掃き溜め。【政府監視区 トガラ】 それがここだ。法律もあるようでないもん、日本という国を崩されないように殺さないようにするための建前でしかない。俺の言葉に呆れた顔をする爺さんも、否定はしない。




「そういえば素っ裸で置いてきてしまったな。うむ、背丈は達也と似ていたか、達也お前の服を貸してやってくれ」


すっかり忘れていたと話す爺さんに、医者がそれでいいのかと問いたくなるが、返ってくるであろうアンサーが容易に浮かび、口を閉じた。


「ふ~ん、僕の服ってことは猫さんは男の人なのか。うん分かった今行ってくるよ、体が冷えちゃ可哀そうだからね」


「くれぐれも点滴は外『よくわかってまーす!』はぁ、全く」


爺さんの言葉に、何故か嬉しそうに返事をした達也は、持っていたお盆を片付けふわふわと自らの茶髪を揺らし、早々に行ってしまった。お礼は帰ってきてからにしよう。




「どんどん秋姉さんに似てきたな、達也は」


「ああ、和也には悪いがワシらの家系には似てほしくないものだ.........もう10年になるのかあれから。早いな、早すぎた、今のお前さんをあの子らにも会わせたかった」


「フッ、そうだな。誰彼構わず気に入らない奴をぶん殴るのは辞めたと伝えれば、和さんも少しは気が休まるだろう。俺も人に近づいたと」


俺たちの頭に浮かぶのは優しい明るさを纏った二人の姿、達也の両親だ。

10年前あの事件に巻き込まれ、逝ってしまった俺の恩人。


「七聖や。最近、増々ここいらの治安が悪化しておる。お前さんも言わずともしているとは思うが注意しておけよ」


「ああ。爺さんも俺の知らないところでポックリ死ぬなよ」


「ハッハッハッ!達也と酒を交わすまでは、例え弾を打たれようが腹を切られようが生きて見せるわ!」


「そうかよ」

 

どうやら、俺が出会ってきた年寄りの中で一番生気が溢れている爺さんに俺の心配は不要なようだった。


「遊間には俺から連絡をしておく。あいつを訪ねるのは癪だがそうも言っていられないみたいだからな」


「そうかそうか。そういえば遊間のところの倅も随分とご無沙汰だな、偶には顔を出せと言っておいてくれ」


あの出不精に言ってもどうせ聞かないだろ。とは言わず、適当に頷いておく。









「うわぁぁあ!」


ドン!!!!!


「っ!なんだ!」


「猫か!」


「っクソ!」


しばらく雑談していた時、突然天井から達也の声と大きな物音がした。すぐさま部屋を飛び出し階段を駆け上がりあの部屋の扉を開ける。


バン!!


「達也!!なにがあっ『痛っててて』」


そこには診察台の上で裸体を起こした猫と、服を散らばし頭を両手で抑え、尻もちをついている達也がいた。状況が上手く読み込めない俺を悟ったのか達也が乾いた笑い声を上げた。


「あははは。服を着せようと思って、体に触ろうとしたら急にガバッ!て猫さんが起き上がってきたの、もう僕ビックリしちゃって。はあ、ごめんなさい、大きい声出しちゃった」


腰のあたりを摩りながら立ち上がった達也は、恥ずかしそうに顔を赤くしていた。どうやらその反応に嘘わないらしい。達也とは長い付き合い故どれほどのビビリな性格かは知っていた、疑いはしない。


「そ、そうか。いや、大丈夫だ」


しかし達也には悪いが、俺の視線はさっきから微動だにせずこちらを見向きもしない奴をとらえて離さなかった。診察台に足を進め、声をかける。


「おい...これから、お前が今、どういう状況にいるのか教えてやる。その代わりお前のことをお前自身から聞かせろ、いいな...」


俺の発した言葉に反応を示す。どうやら耳は聞こえているらしい。ゆっくりと顔を俺の方に向けるが、どうにも視線が合わない。こいつは驚いた、どうやらこの猫は感が鋭いらしい。


「忠告だ」






_カチャ








「少しでも馬鹿な真似をしてみろ、その首輪よりも派手に頸を跳ばしてやる」




















「ご報告いたします。[ロイの劇薬]に関しまして、被験者の減少により停止しておりましたステージの上限を解放いたしました。これにより完全な効果への更なる進歩が期待できましょう。」


「よろしい。して、あの者については」


「はいぃ、そ、それにつきましては、私から。ご命令のままに速やかな処分をいたしました。そ、その...れ、例の物は」


「ふむ、良かろう」


「あぁ。有難き幸せにございます」


「皆にも、此度の働きの褒美とし与えてやろう」



「「「「有難き幸せ」」」」





「八雲」


「はっ。ここに」


「お前の働き、此度も迅速であったと母上から聞いた。これからも良きに計らえ」


「すべては、貴方様の御心のままに」












 






あとがき

閲覧ありがとうございます。  次回から書き方が三人称視点にかわります。 

ややこしくてすみません。

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