月の子
徒文
月の子
ここではないどこか遠くの国に、ひとりの女の子がいました。
とくに目を引くところもなく、得意なこともなく、かといって人並みにもなれず、ひっそり生きている静かな子です。
女の子には、お父さんがいません。
いえ、いるにはいるのですが、己の欲望のために親になった、意地の悪い偽物の父親しかいないのです。
ほんとうのお父さんは、わけあって月で暮らしています。ですから、女の子はお父さんに会ったことがありません。
でも、話をすることはできます。
女の子と同じように、家族が月に行ってしまった子供たちが、はなればなれの家族と話をするための特別な施設があるからです。
女の子は毎日のようにそこに通い、お父さんと話をしています。
この日も、女の子はお父さんと話をしに遠い街からやってきました。
「お父さん、お父さん。今日もがんばったよ。そろそろお父さんのところに行きたいよ」
けんめいに話しかけますが、返事はありません。
実は、このところお父さんが返事をくれなくなってしまったのです。
以前はどんなくだらない話でもやさしく聞いてくれていたのに。女の子は今日もうなだれながら帰っていきました。
もともと
でも、お父さんはけっして女の子を嫌いになったわけではありませんでした。
それでも返事をしないのは、お父さんもどう答えていいのかわからなかったからなのです。
次の日も、女の子はお父さんと話をしに遠い街からやってきました。
「お父さん、わたし、これ以上こんなところにいたくないよ。早くお迎えにきてよ」
返事はありません。
その次の日も、女の子はお父さんと話をしに遠い街からやってきました。
「お父さん、返事をしてよ。もう耐えられないよ。わたしを連れていってよ」
返事はありません。
お父さんは悩みます。
女の子が苦しんでいるということ。その苦しみを、"お父さん"である自分に訴えかけているということ。そばにいたいと思ってくれていること。
親として、こんなに嬉しいことはありません。
なにより、お父さんだって、本当はいますぐに女の子を抱きしめたいのです。
けれども、月がそんなに良いところではないということも、お父さんは知っています。
地球にはたくさんの人がいます。
ヒトのほとんどが、地球で息をしています。
地球では、すこし外に出ればかんたんに別の誰かに出会えますし、大好きな人を抱きしめることだってできます。
地球で孤独になることはないのです。
いえ、人や地域にもよるのでしょうが、月とくらべれば幾分かマシということです。
月では、自分以外の誰かに会う機会などめったにありません。
外に出ることすら容易ではないですし、出たところで誰もいませんから、自分ではない別の誰かに出会うなど、とうてい無理です。
そのうえ、月では大好きな人を抱きしめることだってできません。
地球とは環境が違いますから、みんな自分を守るための分厚い服を着ています。抱きしめるどころか、触れることだってできないのです。
お父さんは悩みます。
本当に、女の子をこのまま地球にいさせて良いのだろうか。これ以上苦しめるのは酷ではないか。
お父さんは悩みます。
かといって、女の子を月に連れてくるのも違うんじゃなかろうか。地球にいるとき以上に苦しめてしまうかもしれない。
女の子が苦しみを訴え、お父さんが頭を悩ませる。そんな日々が、何日も続きました。
そして、また別の日。この日も、女の子はお父さんと話をしに遠い街からやってきました。
「お父さん、お父さん。このままだと、わたし、取り返しのつかないことをしてしまいそう。その前に、どうか、わたしをお父さんのところに行かせて。わたしを月に連れていって。わたしの声が聞こえているなら、どうか、どうか、お願い。この星にいることは、わたしにとって、泥に沈められているのと同じなの」
ぽろぽろと、涙を流しながらそう訴えます。
女の子の悲痛な叫びを聞いて、お父さんはついに決心しました。
「わかった、そこで待っていなさい」
それだけ告げると、お父さんは家を発ちました。
それから、数年の時が過ぎました。
女の子がいなくなった地球は、以前と変わらず回っています。
月も、以前となにも変わりません。
みんな家から出られず、誰とも出会えず、退屈で孤独な日々をすごしています。
女の子はというと、お父さんに連れられて、地球をはなれ、月にくることができました。
願いが叶えられたのです。
女の子は、ただの女の子ではなく、月の子になることができました。
おめでとう。
女の子は今も、月の片隅で、お父さんといっしょに暮らしています。
みんな孤独な月の中でも、二人は寂しくありません。お父さんは女の子といられればよく、女の子もお父さんといられればそれで幸せだからです。
これからも、二人は幸せに暮らしていくことでしょう。めでたしめでたし。
月の子 徒文 @adahumi
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