婚約解消です、妹のように親しい令嬢がそれほど気になるのでしたら ~『魔女の目』で見えること、見えないこと
uribou
第1話
『魔女の目』を御存じだろうか?
女性だけに稀に現れる魔性の目だ。
通常では見えないものを見ることができるという。
また『魔女の目』がドラマを生む。
◇
――――――――――エマ・リビングハート公爵令嬢視点。
「すまないエマ。フィービーが体調を崩してしまったんだ。今日の買い物はキャンセルさせてくれ」
またですか。
思わずため息が出ます。
わたくしの婚約者キース・マクドネル伯爵令息は、わたくしよりもフィービー・ガーネット伯爵令嬢を重んじる傾向にあるのです。
妹のように感じているんですって。
フィービー様が寂しがっているの呼んでいるのということがあると、すぐに駆けつけてしまいます。
確かにキース様はお優しいです。
でも婚約者たるわたくしを放って行くのはいかがなものかと。
「キース様。フィービー様のことを大事に思うのはわかりますが、程々にしてくださいませ」
「まあまあ。もちろんエマのことは一番大事だよ。でもフィービーは妹みたいなものなんだ。許してくれよ」
「妹ですか。わかっているのですけれど……」
わたくしは『魔女の目』持ちです。
人と人との相性を見ることができます。
マクドネル伯爵家領とは領地が近く、共同事業を見込めるという前提はありましたが、キース様との婚約が決まった時は嬉しかったのです。
キース様はマクドネル伯爵家の嫡男であり、優秀でお優しいことは知っていました。
わたくしとの相性がいいこともわかっていましたので、密かにお慕いしていましたから。
婚約してからもキース様は変わりません。
しかしフィービー様の存在は婚約後に知ったのです。
フィービー様はキース様やわたくしよりも一つ年下の一六歳。
身体が弱いのは本当らしく、貴族学校に在学していらっしゃいません。
また社交界デビューもまだです。
キース様とは幼馴染で、わたくしも二度ほど会わせていただいたことがあります。
小柄でビックリするほど可愛らしい令嬢でした。
身体がお弱くさえなければ、社交界の花としてもてはやされる方でしょうに。
フィービー様にはキースをよろしくとも言われました。
キース様とわたくしの婚約を祝福してくれました。
その言葉にウソはないと思いたいです。
ですがわたくしには引っかかることがあるのです。
それはキース様とフィービー様の相性がこの上なくピッタリであること!
『魔女の目』でもこんなの見たことがありませんでした。
フィービー様がありながらキース様がわたくしと婚約したのは、リビングハート公爵家の娘であるからに過ぎないのでしょうか?
政略上仕方ないとは言いながら、わたくしばかりがキース様をお慕いしているのは切ないのです。
『妹のようなもの』という言葉をどこまで信じてよいのやら。
「……仕方ないですね。フィービー様にはお大事にしてくださいとお伝えくださいませ」
「エマは聞きわけがよくて助かるよ。この償いは必ず後日埋め合わせるからね」
キース様はいつもそう仰います。
どれだけ埋め合わせなければならないか、キース様は覚えていらっしゃるのでしょうか?
またため息が出てしまいます。
鬱々とした気持ちが積もります……。
◇
『冗談じゃありませんわ!』
『エマには本当にすまないと思っている!』
キース様がひたすら頭を下げていました。
が、わたくしにだって譲れないものがあります。
何とキース様は、王家主催の夜会にフィービー様をエスコートして出席したいと言ったのです。
「フィービーの体調がよくて、社交界デビューできる貴重な機会なんだ」
「かもしれないですけれども……」
フィービー様のお義姉様の出産の関係で、お父様の伯爵もお兄様も領に帰ってしまっているのだそうで。
「フィービーの相手を務められるのは本当に僕しかいなくて」
事情はわかります。
わたくしにはお父様も弟もいますから、相手に困ることはありません。
でも婚約者がいるのに惨めではありませんか。
「はあ、仕方ありませんわね」
「エマ、恩に着る!」
キース様が手の甲にキスを落としてくれました。
心が温かくなります。
フィービー様のことがあってもキース様はわたくしを大事にしてくれている、そう思っていたのでした。
しかし……。
今日の夜会、キース様とフィービー様の入場に愕然としてしまいました。
フィービー様の何とお美しいこと。
またキース様ととってもお似合いなのです。
負けたと思ってしまいました。
社交慣れしていないフィービー様をさりげなくかばうキース様が本当に自然で。
陛下と隣国リッション王国のディートハルト王子に挨拶すると、一曲だけ踊って帰られました。
わたくしがあの二人の邪魔をしているのかしら?
そう考えること自体が子供なのかしら?
いえ、あの二人の間には割って入れない……。
そんな雰囲気を感じてしまいました。
「……お父様。申し訳ないのですけれど、キース様との婚約解消をお願いしてよろしいでしょうか?」
「ふむ、我慢できんか。キース君は筋の通った男だが」
「どうしてもわたくしはキース様の一番にはなれそうもありません。心が押し潰されそうなのです」
「マクドネル伯爵家の事情もガーネット伯爵家の事情もわかる。事前にきちんと連絡をもらい承諾もしたが、エマとリビングハート公爵家のメンツを潰された格好になるのは否めないな。フィービー嬢があれほど可憐で目立つとは思わなかった」
「では?」
「後悔しないな?」
正直キース様に未練はあります。
が、わたくしの入り込む隙はなさそうですから。
「ありません」
「よく言った。キース君との婚約は解消しよう」
「申し訳ありません」
「傷物なんて気にするな。相手はいくらでもいる」
次の相手、ですか。
そうですね、わたくしも前に進まねばなりません。
……ディートハルト殿下は精悍な方ですね。
わたくしと相性もいいですし、ああいう方がよろしいのですけれど。
◇
――――――――――キース視点。
「はあ……」
「すまぬな、キース」
「いや、フィービーのせいじゃないから」
エマとの婚約が解消になってしまった。
この前の夜会で、フィービーとの仲が良さそうに見えたからだって。
そりゃ仲はいいよ?
幼馴染だし。
いや、エマが怒るのもわかる。
傍から見ると、エマよりフィービーを優先しているように見えただろうから。
でも実際には僕が優先していたのは我がブリトール王国だ。
フィービーを、ではない。
「フィービーだって任務だったんだから仕方ないじゃないか」
「妾はそうじゃが……」
フィービーは『魔女の目』を持つ。
観察した相手の未来が確率で見えるという、とんでもない能力だ。
その詳細を知っているのは王家等ごく一部に限られる。
またフィービーは目立つ容姿のため、病弱を建前に外出をかなり制限されている。
探られて能力がバレるのはよろしくないから。
先日の夜会は、王家に調査を依頼されたから参加したのだ。
僕がフィービーによく呼び出されるのは、王家がフィービーの力を借りたい時の連絡係を務めているからだ。
もちろんエマにも言えなかった、極秘の事情ではあった。
結果としてエマを疎かにしてしまうことが多かったのには、忸怩たる思いがある。
一方で国を守るための深い部分に関われているのは嬉しかった。
「で、クロなんだよね?」
「うむ」
言葉少なだが、フィービーは隣国リッションのディートハルト第二王子をチェックするという任務を受けていたのだ。
リッションが我がブリトール王国に攻め寄せる気配があるとの報告があったから。
もちろんフィービーがデビューするのも、『魔女の目』について承知している僕がフィービーをエスコートするのも王命だった。
夜会に出席しないと、フィービーがディートハルト王子を『魔女の目』で見ることなんてできないから。
……エマには悪いことしてしまったという自覚はあるけれど。
「リッションが攻めてくることはほぼ間違いない。十中八九、ディートハルト殿下が総大将だの」
「予想通りだね」
隣国リッションは王太子争いが激しい。
劣勢のディートハルト第二王子殿下が逆転するには、華々しい軍事的成功が必要だ。
今回のディートハルト殿下の表敬訪問は我が国の様子を肌で感じるためと、王家では密かに考えている。
ブリトールは油断しきっていると、誤った情報を持ち帰ってください。
「マクドネル伯爵領の準備は?」
「万端だと思うよ。父上は陰険な工作が大好きだから」
おそらく敵主力はうちマクドネル伯爵領を通過する。
傍からは大規模な開墾としか見えないように陣を構築するんだって。
敵先鋒が通過したところで第二軍に農民兵中心のクロスボウ部隊で十字砲火を浴びせ、主力は国境近くに伏せといて背後から攻めかかるんだそうな。
性質悪い。
フィービーがためらいがちに言う。
「……言いにくいことじゃが、エマ様とディートハルト殿下が接近する未来が見えた」
「……何だって?」
「エマ様がディートハルト殿下と婚約するかもしれぬ。五分五分くらいの確率で」
くっ、僕とエマの婚約解消は裏目だったか。
しかしこっちも王命だったから仕方ない。
フィービーの『魔女の目』のことも、王家からの要請でディートハルト王子をチェックするためだったことも、エマやリビングハート公爵家に説明することは禁止されていたし。
過去のことは振り返るな。
リビングハート公爵家がディートハルト殿下と結んで、裏切る可能性がある?
うちのマクドネル伯爵領はリッションとリビングハート公爵領に挟まれている。
危ういな。
「可能性の問題じゃ。隣接する妾の実家ガーネット伯爵家も準備を進めておるから、リビングハート公爵家を牽制できる。すぐ王都からも援軍が来るからの。リッションが大々的に優勢になる場合だけじゃ。リビングハート公爵家が裏切るのは。ほぼない未来じゃ」
「ではエマは?」
「ディートハルト殿下に近づくなとしか言えんの。婚約が成立してからリッションが我が国に攻めてきたのでは、リビングハート公爵家は潔白を証明するために、エマ様を処罰するやもしれぬ」
「修道院送りとかか。いや、ディートハルト殿下に近付くなってのも、敵に気取られるだろ」
「むう、ではやりようがないのじゃが」
ああ、エマ。
バカな未来を選ばないでくれよ。
「ところでキース」
「何だい?」
どうしたフィービー。
柄にもなくモジモジして。
「妾と婚約してくれぬかの?」
「えっ?」
いや、そうか。
社交界デビューを果たしたフィービーには、今後縁談が集まることが予想される。
しかし『魔女の目』のことは他家に知られるべきではないものな。
条件的に婚約解消された僕がちょうどよかった。
何故気付かなかったか。
「ごめんよ。僕の方から申し込むべきだったね」
「よいのかの?」
「もちろん。父にも相談するけど、全く問題はないと思うよ。フィービーだもの」
「実は妾も既に父様に了解をもらっておるのじゃ」
『魔女の目』で見てたんだろうな。
あれ、じゃあ僕がエマと婚約解消することも知ってたってことか。
まあいいけれども。
「これからもよろしくね」
「もちろんなのじゃ」
ニコッと笑うフィービー。
……フィービーってこんなに魅力的だったっけな?
ドキドキする。
◇
――――――――――一年後。エマ視点。
激動でした。
少なくともわたくしにとっては。
キース様と婚約解消した後、前に進まなければと思っていたのにぼうっとした日々を過ごしていました。
お父様もわたくしの新たな婚約相手を探してくださっていたようですけれども、高位貴族ともなりますとなかなか。
お相手も限定されますしね。
そんな中わたくしの心を占めていたのは、隣国リッション王国のディートハルト第二王子殿下でした。
ディートハルト殿下から内々に婚約の打診が来たのです。
涼やかで野心的な眼差し。
無意識の内にキース様にないものを求めていたのかもしれません。
お父様とも相談し、まさに申し出を受けようと考えていた時、キース様からもたらされた話がありました。
マルトバイエル侯爵家のアイザック様です。
遠隔地ではありますが家格も合いますし、何よりわたくしと相性のいい方です。
しかしアイザック様は既に婚約されていたのでは?
キース様はいち早くアイザック様が婚約を解消したことを察知し、知らせてくださったのでした。
『エマには悪いことをした。幸せになってもらいたいのは本心なんだ』
キース様の言葉にじんと来ました。
そうです、キース様はウソを吐かない誠実な方なのです。
たまたまキース様にはフィービー様がいた。
でも思い返してみれば、わたくしを避けていたわけでもわざと蔑ろにしていたわけでもありませんでした。
フィービー様も大事だったというだけで。
お父様も仰いました。
いい話だ。
マクドネル伯爵家のように隣領で共同事業をしやすいわけではないが、隣国の王子よりはわかりやすい、と。
やはりディートハルト殿下との婚約がもし成立すると、リスクもあると考えていたようです。
わたくしはアイザック様と婚約の運びとなりました。
そしてそれはわたくしとリビングハート公爵家を救うことになりました。
何故ならばディートハルト殿下率いるリッション王国軍が、我が国ブリトールに攻め寄せてきたからです。
おお、何ということ!
しかしリッション王国軍はマクドネル伯爵家とガーネット伯爵家の連合軍に散々に打ち破られました。
リビングハート公爵家の援軍が駆けつけた時には、連合軍は総司令官ディートハルト殿下を捕らえ、リッション王国に逆侵攻していました。
お父様が呆れていました。
『寡兵なのに、援軍も待たず飛び出していくとはわけがわからん。おそらく裏でリッションの第一王子殿下と結んでいたのだろうな』
リッション王国第一王子ゴットリープ殿下は、ディートハルト殿下と次代の王を争うライバルなのだそうで。
この敗戦でディートハルト殿下の威信は地に落ち、ブリトールによる占領地の多くを交渉で取り返したゴットリープ殿下が王太子となりました。
大きく占領させといて交渉で取り返す、そこまでが筋書きなのではないかとお父様は疑っておりましたが。
とにかくわたくしとリビングハート公爵家は助かりました。
間違ってディートハルト殿下の婚約者になっていたら、とんでもない目に遭うところでした。
相性だけで判断してはいけないなあと、肝に銘じました。
それにしてもマルトバイエル侯爵家アイザック様が婚約解消したとの話を持ってきてくださったキース様には、どう感謝したらいいでしょう。
アイザック様が婚約解消したというのは、何とフィービー様からの情報だったようで。
身体がお弱く滅多に社交にも出ない方なのに、すごいですね。
独自の情報網をお持ちなのでしょうか?
リッション王国から割譲された土地を編入し、功績で侯爵に昇爵されたマクドネル家は好調です。
キース様はフィービー様と婚約されました。
真にお似合いの二人です。
心よりお祝い申し上げます。
来年にはわたくしも……。
「エマ、どうしたんだい?」
「あっ、アイザック様」
「珍しくぼうっとしたりして」
「たまにはもの思いに耽ることもありますのよ」
アイザック様は笑顔を絶やさない素敵な方です。
何でも前の婚約者が真実の愛を見つけ、妊娠されてしまったそうで。
アイザック様には悪いですけれども、わたくしはツイているなあと思います。
こんな素敵な婚約者を得られたのですから。
「何を考えていたの?」
「……色々です」
「前の婚約者キース君のこととか?」
「えっ? ……ええ、少しは」
ちょっと出遅れたらアイザック様との婚約はなかったと思います。
キース様には感謝していますから。
「妬けるな。こうしてやる」
「あっ……」
アイザック様に抱きしめられました。
「あの、幸せです」
「俺もだ」
わたくしの『魔女の目』が最初に思い描いた未来とは違いました。
でもわたくしの知らない何かに導かれた、今はもっと幸せなのです。
婚約解消です、妹のように親しい令嬢がそれほど気になるのでしたら ~『魔女の目』で見えること、見えないこと uribou @asobigokoro
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。