天使のお仕事〜雲絵師〜
河原
第1話 天使ビハール
バターン! という大きな音と共に開いた扉。そこから飛び込んできた、背に白い羽を持つ老紳士が息を切らせながら叫んだ。
「天使ビハール! お前……また……失敗しよったな……!」
そこは、不思議な場所だった。まるで空のように青く広がる空間で、木製のドアが一つ、ポツンと存在している。
そして、ドアから少し離れた所ではバケツが倒れ、白いペンキが辺り一面に広がっていた。
「す……スミマセン神さまぁ……!」
短い金の巻き毛に青い目の、ビハールと呼ばれた背の高い若い天使は、申し訳なさそうに涙目で答えた。
彼はゆったりとしたノースリーブシャツとズボンを身に纏い、長めの裾を腰のあたりで飾り紐を使い固定していた。ズボンは足首のところでキュッと絞られていて、柔らかくほんのりと光沢のある生地は動くたびに優雅に踊るのだろう。
それが証拠に、身の丈ほどもある大きな筆を持ち、プルプルと震えている彼の動きすらも反映するように揺れ動いていた。
「シフトを決定した計画部署の方に礼を言わねばならんな……」
白髪、白髭、白眉毛で目を隠した、白地に金糸模様の上品な服を身に纏った、神様と呼ばれた老紳士が言った。
「この空(へや)の次の担当、エドウィンに応援を頼んできた。今担当している所を終わらせたら、すぐに来てくれるそうじゃ……。お主は彼が来るまで、ここから一番遠い場所で作業しなさい……」
エドウィンはビハールの幼馴染でこの職のベテラン。ビハールに限らず、新しく採用された若い天使たちは、これまでにも彼から色々教わったり、失敗をカバーしてもらったりしていた。
「お主は……彼がコレをどう回復させるか見ていきなさい。わしは天候計画部署に礼と謝罪に行ってくるから……」
長い毛でその表情はよく見えないが、明らかに疲弊した雰囲気の神様に、
「……申し訳ありません……!」
そう言って、ビハールは深く頭を下げた。
「エドウィンの作業をよく見て学ぶように……」
神様が出ていくと扉は消え、美しく描き上がった雲と、倒れたバケツ、そして溢れた白いペンキが、ビハールと共に残された。
「ここまで頑張って描いてきたのになぁ……」
ビハールは溢れたペンキを見て、自分がした失敗に、ため息をつくことしかできなかった。
毎日、一時間ごとに交代しながら絶え間なく続けなければならないこの仕事は――下界の天気を、描いた絵によってコントロールするというもの。
『絵心』と『描くスピード』が重視される仕事で、早い段階で『絵心』の方をクリアしていたビハールは、十日前にようやくそのスピードが規定に達して、一ヶ月の試用期間にこぎつけたのだった。
まず初めの三日間は研修で、新人三人で一つの部屋(そら)を担当する。そして四日目からは本格的な試用期間が始まり、一人一つの部屋(そら)を担当することとなる。
なかなか一人での作業には慣れないものの、憧れの職業であった『空絵師』の仕事に就くことのできたビハールは、必死に作業に取り組んできた。
今、ビハールが担当しているこの部屋(そら)には、『晴れ時々曇り』『おぼろ雲→ひつじ雲』『五十〜六十%』という指示が出ていた。
『晴れ時々曇り』とは、雲の動きのタイムスケジュールを指す。この空間に描いた雲は一定の時間が経つと消えていく。その性質を利用して、時々消えて晴れ間が覗くように描くよう、指示されている。
『おぼろ雲→ひつじ雲』は、様々な雲の名で、描き上げる雲の種類が指定される。
そして『%』は時間までに描き上がっていなければならない雲の量を示す。
今担当している部屋は、指定の『%』が少し多めだけれど、ビハールは、見る者が一瞬見惚れるような……そんな
「……はぁ……」
部屋の隅に行き、手を動かしつつ、ぶちまけてしまった白いペンキを眺めながら、ビハールはため息をついた。
初めの失敗は、初日。
丁寧に描きすぎて、時間ギリギリになり焦って転び、虹用のペンキを全部ぶちまけてしまい、下界には妙な形の大きな彩雲(さいうん)が現れた。
二回目の失敗は、三日目。
時間ギリギリにならぬようにとペースを上げて書いていたらペンキを使いすぎて足りなくなり、新しいペンキを取りにいったら、お前何んで二杯目なんか取りに来たんだ? と上司の天使に問われ。
もう一度確認したら、ビハールの担当する部屋に出ていた雲の量の指示は、わずか五パーセント。彼は、同じ番号だけれど、別の階にある部屋に充てられた指示に従って天気の絵を描いてしまっていたのだ。
そして四日目から昨日までは、『下手くそ』『失敗作』と笑われながらも時間には間に合い、指示通りの雲を描けていた。だから今日、ビハールは少し勇気を出してみた。
例え下手くそと言われていたとしても、ここ数日は時間配分もできていたのだから、少しだけ自分の思う通りに描いてみよう、と。
雲を描き始め、楽しくなってきたビハールは、踊るように雲を描き込んでいった。昔、街の路地で描いていた時のように。
そして調子にのって、身の丈ほどある大きくて長い筆を振り回した時、運悪く筆先がバケツに ぶつかり、残りのペンキが流れ出したのだった。
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