第56話 未来の話

「起きろ、レスト」


「ごぼっ!」


 朦朧とした意識の中、突如として水をかけられた俺は、溺れる感覚に抗うように目を覚ます。

 見上げると、そこには逆さまになった桶を持つエルナがいた。


 意識を取り戻した俺を見て、彼女は楽しそうに笑う。


「よし、目を覚ましたな」


「……むちゃくちゃな」


 どうやら俺はエルナとの手合わせにより、一時的に意識を失っていたらしい。


 それだけの猛攻だったため仕方ない。

 全身に痛みが残る中、俺はゆっくりと体を起こす。


「……コテンパンにやられましたね」


「さすがに年季が違うからな。師匠としての面目を保てて一安心だ」


 いや、そういう貴女もまだ10代ですよね? というツッコミはすんでのところで止めておいた。

 俺と彼女に経験の差があるのは、紛れもない事実だからだ。


 俺は立ち上がり、崩れた服装を整える。

 そんな俺に向かって、エルナは笑いながら言った。


「それで、どうだった? 私と本気の立ち合いを行い、何か学べたことはあったか?」


「そう、ですね……」


 当然、学べたことは山ほどある。

 それこそ、何から伝えるべきか分からなくなるほどに。


(……少し、整理するか)


 一瞬では適した言葉が浮かびそうになかったため、俺はここに至るまでの経緯を振り返ることにした。


 そもそも俺が初めに、エルナから剣を教わりたいと思ったのは何故か。

 それは、ゲーム中盤で必ず死ぬレストの運命を覆したいと思ったから。

 そのためには最強を目指すしかなく、アルビオン家に剣術指導へやってきている彼女へ頼るのが一番の近道だと思った。


 それ以降も幾つかの事件や出来事があり、俺はガレル、ノワール、リーベをテイムするに至る。

 徐々に力をつけていく中で、少しずつ目標に近づいているという感覚があり、自分が強くなっているという事実自体が俺にやる気を与えるきっかけとなっていた。


 だけど今、エルナと修行する中で生じた感情はどれとも異なる。

 もっと根源的で、それでいて最も強い想い。

 数多の研鑽を重ね、ここまでの力を身に着けた彼女のように強くなりたいという憧れであり――


(――そうか。だ)


 ――その単語が出てきた瞬間、スッと腑に落ちる感覚があった。 


 そうだ。これは憧れだ。

 ただ死亡フラグから逃れ、この世界で生き延びるためだけじゃない。

 彼女のような強さを得て――否、超えて最強に至りたいという原始的プリミティブな欲求。

 それが俺の中で、フツフツと燃え滾るように自らの存在を主張していた。


(俺って元々、こんな強い欲求を持つような人間だったっけ……)


 少なくとも、前世の自分はそうじゃなかった。

 レストに転生してから得た日々が、新しい自分を形作ったのだろう。


 何はともあれ、エルナの問いに対する答えは得た。

 じっと俺の返答を待ち続けてくれている彼女に対し、真っ直ぐな視線を向ける。


「学べたものは多くあります。技量も経験も……けれどやっぱり、一番は目標になってくれたことだと思います」


「ほう」


 俺の回答に対し、エルナは興味深そうに相槌を打つ。


「目標と来たか。それはつまり、私の剣に追いつきたいということか? 確かに君なら可能性はあるだろうが、まだまだ先は長いぞ」


「いえ、そうではなく」


「ん?」


 小首を傾げる彼女に対し、俺は宣言する。



「貴女を――目標エルナさんを超えて、俺が最強になってみせるのだと。今の俺が抱く願いは、ただそれだけです」


「――――ッ」



 俺の言葉を受け、エルナは虚を突かれたように目を見開く。

 そこで俺は、ハッと自分の失礼な行いに気付いた。


(って、いきなり何言ってるんだ俺は! ついさっきまで自分の感情に向き合ってたせいか、理性が止める間もなく思ったまま言ってしまった!)


 理性と感情のバランスが崩れた結果の失言。

 俺は慌てて訂正を試みる。


「ち、違うんです! 今のはつい、口からポロっと出たというか……じゃなくて、決してエルナさんを簡単に超えられる相手だと思っているとかではなくて――」


「ははっ、あはははは!」


「――エルナ、さん?」


 しばらく無言のままだったエルナが、突然盛大な笑い声を上げる。

 彼女らしくない、子供らしい笑い方だ。


 エルナは一通り笑った後、左手で目元の涙を拭いつつ、右手を俺の頭に置く。

 さらにそのままゴシゴシと頭を撫でてきた。


「そうか、私を超えるときたか……うん、これは予想外だな。だが、悪くない」


 撫でる手を止め、エルナは続ける。


「いいだろう。私は君の目標として、今後も精進し続けることをここに誓う。そう簡単に抜けるとは思わないことだ……おっと、そうだ。一応言っておくが、私の前で一度でも行った宣言を、そう簡単に取り下げられるとは思うなよ?」


「うっ」


 退路を断たれてしまったのもそうだが、どうやら彼女はまだまだ強くなり続けるつもりらしい。

 今でも人類トップクラスの実力だろうに……これはまた、夢が叶う日が遠のいてしまったかもしれない。


(やらかしたか……?)


 後悔したような、もしくは逆に嬉しいような。

 そんな複雑な感情に狼狽える俺の頭から手を離したエルナは、初めて見る優しい笑みを浮かべて言った。



「本当に……君が私を超える未来を、楽しみに待っているよ」



 そんな風にして、俺からエルナに対する決意表明を終えた、その直後だった。

 小修練場の外からバタバタという音が聞こえ、誰かが中に入ってくる。

 見ると、そこにいたのは汗を流し、着替え終えたシャロの姿だった。


「シャロ……?」


 どうしたのだろうか。

 疑問を抱く俺に対し、なぜかシャロは興奮気味で近づいてくる。


「聞いてください、レスト様!」


「おっと」


 俺は今、鍛錬による汗とエルナからかけられた水によって濡れている。

 にもかかわらず、シャロは知ったことじゃないと言わんばかりにグイッと身を乗り出してきた。


 そしてそのまま彼女は言う。


「知っていますか!? 先ほど屋敷のメイドからお聞きした話なのですが……何でもこの町のギルドには『アレス』という、素手でAランク上位の魔物を一方的にやっつけた後、剣で圧倒するほどの年若いSランク級の実力者がいるそうなんです! 世界は広いですね……!」


「………………」


 いや、多分ソイツ、今も君の目の前にいるんだが……


 すると俺の横で、エルナもまた興味深そうに頷く。


「なんと、そのような才能の原石がまだ隠れていたのか。機会があれば手合わせを願いたいものだな」


 貴女さっき、ソイツをボコボコにしてましたよ。


 と、そんな風に幾つものツッコミが浮かぶも、事情が事情なため俺は口を閉ざし続けるしかなかった。

 何はともあれ、そんな風にして、本日の剣友修行が終わるのだった。



 ◇◆◇



 そして翌日。

 早いが、シャロが王都に戻るとのことで見送りにやってきていた。

 帰りもエルナが護衛として付き添うようだが、そこで彼女は俺に向かって真剣な表情で告げる。


「そうだ、レストに一つ伝えておくことがある。侯爵には既に伝えたが、これからしばらくアルビオン家には剣術指導へ来れなくなった」


「どうしてですか?」


 想定外の言葉に目を丸くしながら、俺は尋ねる。


「近年、大陸のあちこちで魔族による被害が増えているのは知っているだろう? それを重く受け止めた陛下から直々に依頼があってな。これからしばらくは冒険者として、それらの対処に当たることとなった。恐らく数ヵ月はかかるだろう。申し訳ないが理解してくれ」


 エルナの言葉を聞き、俺は納得した。

 少しずつだが、『剣と魔法のシンフォニア』の本編が始まる時期に近づいているのだ。魔族の動きが活発になるのも当然だろう。


「分かりました。どうか無事を祈っています」


「ああ。君こそ、この調子で鍛錬に励むように。次に会った時の成長ぶりを楽しみにしているよ」


「はい」


 エルナと別れの挨拶を終えると、続けてシャロも残念そうな表情で口を開く。


「実は私からもお知らせが。少し事情がありまして、しばらく剣友修行には来れないかもしれません」


「っ、シャロにも何かあるのか? 期間は?」


「はい。恐らく次に会えるのは、一か月ほど先になるかと……」


「…………」


 今の月2が高頻度すぎるだけで、一か月に一度もなかなかのハイペースだろう。

 シャロに関しては、特に心配する必要もなさそうだ。


 そんなやり取りを交わした後、とうとう別れの瞬間がやってくる。


「では。お二人ともに事情があるみたいですが、また近いうちに会えることを願っています」


「はい! をお待ちになってくださいね」


「ああ。それではな、レスト」


 シャロにエルナ、それからもちろんエステルとも別れの挨拶を交わし、俺は彼女たちを見送ることに。

 そんな中、どうしてか俺の視線はエルナの背中から離れなかった。


 何だろうか。このままただ見送ってはいけないような、そんな直感に近い何かがあったのだ。


(……気のせいだよな)


 その感覚を振り払い、俺はエルナたちを見送るのだった。



――――――――――――――――――――――


ここまで本作をお読みいただきありがとうございます!

次回からは待ちに待った『テイム編』に突入となります!

引き続きお楽しみください!

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