舞踏会


 真っ白な大理石に真紅の絨毯が敷かれ、天井にはクリスタルのシャンデリアが輝いている。招待された貴族の令嬢達はここぞとばかりに美しいドレスや宝石に身を包み、扇を仰ぎながら目線をあちこちにやってどことなく落ち着きがない。舞踏会の会場であるメインホールは美しい花々で飾られ、テーブルの上にはシャンパンとご馳走が並ぶ。そこにはまるで夢のような世界が広がっていた。


 王都ブランヒルデのシンボルであるエーデルシュタイン城は、王太子エドマンド主催の舞踏会の為に特別に飾りつけられ、国中から招待を受けた貴族達を受け入れている。馬車から降りたリディアは、思ったよりも招待客が多く、舞踏会の規模が大きい事に驚いていた。

 

「リディア様、俺から離れないでください。随分と人が多いようですから」

「え、えぇ。そうね、アロイス」

 

 差し出されたアロイスの手をとり、城の入り口へ並ぶ貴族達の列の最後尾へ並ぶ。フローレンシアもディードリヒと共にリディアのところへやってきたが、同じように舞踏会の規模に驚いているようだった。

 

「すごいじゃない!エドマンドがこんな大きな舞踏会を開くなんて!私ちょっぴり見直しちゃったかも」

「そうね、私も驚いてるわ……まさかこんなに国中から人を集めていたなんて……」


 よく見ると、つい先日交渉を行った隣国の馬車もあり、彼らも招待されたようだ。てっきり王族と上位の貴族を招くだけの舞踏会だと思っていたので、まさかこんなに盛大だとは予想だにしていなかった。


「これはすごいな」


 隣でアロイスがぽつりとつぶやく。アロイスは髪の毛を後ろでまとめ、片方の肩にマントをつけた正装スタイルだ。先程から、すれ違う令嬢達が皆アロイスの方を見て目をハートにしているのだが、本人は全く気づいていないのが面白い。その隣のディードリヒも、お茶の支度をしていた時とは打って変わって、勇ましく、同じく周りの令嬢達の視線を釘付けにしていた。

 

「フリッツ•デレク•フォン•ザルツベルク公爵のご令嬢、フローレンシア•ヘイゼル•フォン•ザルツベルク様!そして、アルブレヒト•ハインリヒ•フォン•ブライスガウ侯爵のご令嬢、リディア・レーゼル・フォン・ブライスガウ様!」


 城の入り口で従者に名前を読み上げられると、舞踏会の広間にいた人々達の目が一斉にリディアへと向けられた。

 羨望と憧憬、時には嫉妬も入り混じる視線をあびて、皮膚がピリつくような感じがする。普段から慣れているとはいえ、さすがに今日はリディアでも心臓が口から出そうになるくらいには緊張していた。美しいカーテシーを披露し、そのまま大階段を降りていく。ヒソヒソとあちこちから人々の囁き声が聞こえてくる。


「まぁ、リディア様だわ!」

「あの方が……?例の王太子様の婚約者っていう」

「見てよあのドレス、よく見ると宝石が縫い込まれてるわ、さすがお似合いねぇ」

「それよりも、お付きの騎士の方の見目麗しい事、なんて素敵なのかしら」

「いやだわ、王太子を射止めておきながらあんな美しい騎士もいるなんて、一体どんな技を使ったのかしら、ねぇ?」

「隣にいらっしゃるのはフローレンシア様かしら?」

「本当にあの二人は仲がよろしいわね」


 囁き声を気にもとめず、背筋を伸ばしてしっかりと歩く。周りを見渡したが、エドマンドの姿はない。まだ現れていないようだ。


「ご機嫌よう、リディア様」


 声のする方を振り向くと、そこにいたのは黒髪に少しキツめの青い瞳、紫のドレスを着た子爵令嬢、カサンドラ•ツー•ノルデンドルフが立っていた。にっこりと笑みを浮かべているように見えるが、目の奥は笑っていない。会うと毎回話しかけてくるのだが、言葉の節々に毎回棘を感じるのでリディアは今まで彼女に良い印象を持った事がなく、正直苦手だった。


「ご機嫌よう、カサンドラ嬢。今日のドレス、素敵ですわね」

「ありがとうございます。せっかくの舞踏会ですからあつらえましたの。今日は記念すべき日ですからね」


 何かを含んだような言い方だ。おそらくリディアの結婚発表の事がまことしやかに噂され、皆の耳にも入っていたのだろう。


「……えぇ、まぁそうね。……貴女がそんなにお祝いしてくれるなんて意外だわ」

「そうですか?私、この日をずっと待ちわびていましたのよ。本当に、夢は信じれば叶うものなのですね」


 カサンドラがリディアの結婚の話をこんなにも喜んでくれるのは意外だった。なんと返したら良いかわからず、曖昧に微笑みを返す。


「それではリディア様、失礼致します」

「えぇ、パーティーを楽しんでちょうだい」


 カサンドラが去ると、フローレンシアが眉間に皺を寄せてリディアの元へとやってきた。


「カサンドラじゃない。なんだかご機嫌そうだけど、どうしたのかしら」

「なんだか私の結婚をとても喜んでくれたの。てっきり嫌われているものと思ったから意外だったわ」

「あの人が喜ぶ?そんな馬鹿な!ノルデンドルフ家はどうにかして王族と繋がりを作りたくて必死なのよ。父親があの二人を必死にあちこちのパーティーに出席させてるし、この前、兄の方も私のところへ求婚の申し出にやってきたくらいなんだから!きっと彼女、貴方がエドマンドと結婚する事に内心ハンカチを食いしばって悔しがってるはずだわ」

「そうなのかしら」

「そうよ。さっきだってなんだか笑顔が怖かったじゃない。リディアってこういう人から向けられる感情に本当に鈍いわよね」

「だって、そんなもの気にしたってしょうがないじゃない。嫌われたら嫌われた、それまでよ」


 人からの評価なんて気にしたってしょうがない。それに悩むくらいなら別の事に時間を使った方がよっぽど良いというのがリディアの考えだ。

 貴族達の属する社交界に生きていく限り、こういった噂話や好奇の目からは逃れられないのだから。


「リディア様、フローレンシア様、ご機嫌よう」


 控えめな可愛らしい声がリディアを引き留めた。後ろを振り向くと、ピンク色の髪をした小柄で可愛らしい少女がドレスの裾をつまんでリディアに挨拶をしている。

 カサンドラの妹であるヒルデガルド•ツー•ノルデンドルフだ。


「先程、姉とお話ししていらっしゃいましたが……何か失礼な事はなかったでしょうか?姉は少し、誤解されやすいところがありますので」


 そう尋ねるヒルデガルドはカサンドラと姉妹のわりにはあまり似ていない。カサンドラがツンとして冷たそうな印象をもっているのに対して、ヒルデガルドはまるで太陽のように周りの人々を穏やかな気分にさせるタイプだ。いつもニコニコと笑みを絶やさず、使用人にも優しいと評判で、まるで天使のようとたくさんの貴族から好かれている。その為、彼女を狙っている貴族の令息はなかなか多いのだが、ヒルデガルドには想い人がいるらしく、いつも断っているらしい。


「ご機嫌よう。いいえ、お姉様は私にお祝いの言葉を投げかけてくださったの。とても良い方だわ」

「本当ですか?ならばよかったです。それにしても、とても素敵なお召し物ですね。さすがリディア様ですわ」


 ニコニコと微笑みながら、ヒルデガルドはリディアを褒めたたえた。


 朝、ヨハンナから「華やかさに欠けるのではないか」と言われていたドレスは、シャンデリアの光を受けてあちこちがキラキラと輝いていた。実はドレスに小さな宝石が散りばめられており、光があるところではひと際美しく輝くようになっているのだった。首元には大きなサファイヤと小さなダイヤモンドをあしらったネックスをつけることでシンプルながらもエレガントなスタイルとなっており、髪はアップにして、その上にブルートパーズの美しいティアラをつけたリディアは誰もが振り返るほど、この会場でひと際美しかった。


「ありがとう。貴女も素敵よ、ヒルデガルド。そのピンクのドレスは貴女にぴったりだわ」

「嬉しい。リディア様にそう仰っていただけるなんて。実はお慕いしている方から頂いたものなんです。私にはピンクが似合うからって」


 ヒルデガルドのドレスはピンク色のふんわりとした花のように可憐なドレスだ。確かに、柔らかい雰囲気のヒルデガルドにはよく似合っている。薄桃色の髪をなびかせ、ヒルデガルドは可愛らしく微笑んだ。


「それにこのネックレスも、何があっても私の事を愛してくださっていると、その方がつけてくれたの」


 うっとりとしながらヒルデガルドが首にかけたネックレスを握りしめた。よく見るとそれは金のロケットのようだ。

 ドレスが豪華な分、小さなロケットが少しだけ不釣り合いなような気がしたが、想い人からの品なので特別なのだろう。頬を染めるヒルデガルドが微笑ましい。


「どんな宝石よりも価値があるのね。素敵だわ。あら?そのロケット……」


 ちらりと見えたロケットが、なんだか見覚えがあるような気がしてリディアは思わず手を伸ばした。すると、その時、丁度後ろからリディアを呼ぶよく知った声が聞こえた。


「ヒルデガルド!……リディアも、来てくれたんだね」


 王太子の登場に、皆がサッと頭を下げ、周りの令嬢たちは恭しくお辞儀をする。

 エドマンド •フィヒテ•フォン•オーディンゲン、このカレドニア王国の王太子であり、リディアの婚約者である。

 白い豪華な衣装に身を包み、瞳のグリーンに合わせたサッシュベルトを締めてマントをつけたエドマンドは、髪をかき上げて後ろに流しているせいか、いつもと少し雰囲気が違って凛々しく、素敵だった。リディアは普段と違う様子に驚いてしばらくエドマンドに見惚れていたが、急いでドレスの裾をつまみ、お辞儀をする。


「エドマンド様!もうお身体の具合はよろしいのですか?」


 ヒルデガルドがエドマンドに駆け寄り、心配したように尋ねる。確かに、以前に比べて頬がこけ、痩せたような気がする。しかし顔色はよく、回復はしたようで、リディアはホッと胸を撫で下ろした。


「大丈夫だよヒルデガルド。君からもらった薬が効いたみたいだ。ありがとう」

「いいえ、私にできることなんてそれくらいですから」


 二人が顔を見合わせて微笑み合う。エドマンドを助けてくれた女性とはヒルデガルドの事だったのかと理解したが、なんだか妙な雰囲気を感じとり、思わず二人の所へ声をかけた。


「エドマンド、貴方、倒れたって本当だったの?」


 ヒルデガルドが知っていて、自分が知らないというのがなんだか少しだけ悔しい。


「手紙にはそんなこと書いてなかったじゃない。知っていたら、戻ってきていたのに」

「君は忙しいと思ったから……。それに、ほら今はもう大丈夫だよ」


 エドマンドはリディアに微笑みかけたが、すぐに目線を逸らし、どことなくよそよそしく、ぎこちない。


「エドマンド ?」

「何?」

「貴方、なんだか様子がおかしいわよ。やっぱりまだ少し具合が悪いんじゃなくって?」

「そんな事ないよ。ただ……いや、なんでもない。ここは人が多いから、また後で話そう」


 エドマンドはそう言って、そそくさとその場を離れてしまった。ヒルデガルドも、なんだか空気が悪くなったのを感じたのか、「私も失礼します」と言って舞踏会の人混みの中へと消えていった。

 リディアのドレスを褒める事もせず、去っていったエドマンドを見て、ディードリヒのマントをひっぱりながら、フローレンシアが憤慨している。


「どういう事?!信じられないわ!久しぶりに会ったのに、ドレスの事くらい褒められないのかしら!どう思う?ディードリヒ」

「エドマンド様、少し様子がおかしかったですね。何かあったのでしょうか」

「……多分、緊張していたのよ」


 そうは言ったが、リディア自身も何かがおかしいと感じていた。エドマンドはいつもリディアの事を褒めてくれる。髪の色に目の色、ドレスがいかに似合っているか、しつこいほどにいつも褒めてくれるはずなのに。何よりも、久々に会えたというのにエドマンドはちっとも嬉しそうな顔をしていなかった。むしろ、顔は強張って、険しい表情をしていたくらいだ。


「私、少し外の風にあたってくるわね。多分、舞踏会はまだ始まらないでしょうし」


 入り口では城の者達がまだまだ大勢の貴族の招待状をチェックをしている。始まるまで少し気持ちを落ち着かせようと、リディアは中庭へと向かった。


 中庭は賑やかなホールとは打って変わり、噴水から流れる水の音だけが聞こえるほどに静かだった。美しく手入れされた庭のベンチに腰掛けると、剥き出しの肩を冷たい風がなぞる。少し寒くて、リディアは身体をぶるりと震わせた。


「リディア様、これをどうぞ」


 そう言ってアロイスは自分の肩にかけていたマントを外してリディアに羽織らせた。ほんのりと、アロイスの付けているムスクの香りがする。


「ありがとう、アロイス。貴方はホールに戻っていてもいいのよ?せっかく美味しいご馳走だってあるのだから」

「リディア様を放り出して食べれませんよ」

「ふふ、そうよね。貴方は私の騎士だもの」


 リディアが小さく笑うと、目の前に立っていたアロイスが跪いた。リディアの手を取り、真正面から目をじっと見つめる。


「リディア様、どうかこの結婚を考え直してはくれませんか?」

「やだわ、貴方までフローレンシアと同じ事を言うの?私は……」

「俺は本気です。貴女にエドマンド様と結婚してほしくありません」


 アロイスの真剣な様子に、てっきり冗談かと思っていたリディアの顔に困惑の色が浮かぶ。


「……どうして?理由は?」

「無礼は承知の上です。しかし……俺はリディア様を愛しています」


 アロイスからの思わぬ告白にリディアは驚き、目を見開いた。


「心の奥底にしまっておこうと思いました。貴方の騎士でいられるならばこれ以上は望むまいと、しかし、やはりできそうにもありません」

「やめて」

「先ほどのエドマンド様を見て、思いました。貴女はこのままではきっと幸せになれない。だったら……!」

「やめてちょうだい!」


 思わず立ち上がり、リディアはアロイスの言葉を遮った。


「……貴方の気持ちは嬉しいわ。でも、貴方は私の騎士なのよ。騎士たるもの、主君に忠義を捧げこそすれ、恋心をもつなんてもっての他だわ。それに、私がエドマンドの婚約者で、私がどんな思いでこの日を待っていたのか、貴方は知っているはず。なのにどうして、今そんな事を言うの?」


 リディアは先ほどアロイスがかけてくれたマントを脱ぐと、アロイスに突き返した。


「撤回なさい。今なら、なかったことにしてあげるから」

「それは無理です」

「アロイス!」

「本当にエドマンド様が今日、貴方にプロポーズをされるとお思いですか?」

「なっ……」

「リディア様も気づいているのではないですか?今日のエドマンド様、少し様子がおかしかったでしょう」

「……アロイス、貴方なにか知っているの?」

「それは……」


 アロイスは苦しそうな表情をして俯く。リディアは混乱していた。一体何が起こっているのかわからない。


「……もういいわ。とりあえず、先程の事は忘れてあげます。貴方も普通にして。こうなったら、私がエドマンドに直接聞きに行くわ」

「リディア様!」


 手を力強く引っ張られ、リディアの身体が後ろへと傾ぐ。バランスが崩れ、思わず倒れそうになったところをアロイスがしっかりと抱きとめた。


「も、申し訳ありません」

「い、いいから、離してちょうだい」

 リディアはアロイスから離れようとしたが、アロイスはリディアを離さない。こんな風に男性に抱きしめられるのはリディアにとって初めてで、心臓が今にも破裂しそうだった。勝手に頬に熱が集まっていくのがわかる。どうすればいいのかわからず、身体はすっかり硬直していた。


「エドマンド様の御心はもう貴女にはありません」

「それは、どういう……こと?」


 思わず振り返る。アロイスの言葉を聞いて、胸がまるで刺されたように痛んだ。


「先程でお分かりになったでしょう?エドマンド様は……」

「そこで、二人とも何をしているんだ?」


 冷たい声が響く。

 リディアが後ろを振り返ると、そこにはエドマンドが立っており、怒りを隠そうともせずに二人を見つめていた。

 

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