花咲く季節に君と

島原大知

本編

 運送会社で働く相馬圭介は、誠実に仕事に取り組む毎日を送っていた。真面目な性格と几帳面な仕事ぶりから、社内でも評判の社員だ。

 ある日の午後、圭介は配達を終えて会社に戻ると、上司に呼び止められた。

「相馬、ちょっといいか?」

「はい、なんでしょうか」

 スーツ姿の上司は、圭介に封筒を手渡しながら言った。

「今月の優秀社員に選ばれたよ。これ、賞与だ。頑張りを認めてもらえたんだな」

「あ、ありがとうございます!」

 圭介は驚きと嬉しさで声を弾ませた。自分の仕事が認められたことが、何よりも励みになる。

 会社を出ると、夕暮れ時の街並みが目に飛び込んできた。歩道を歩く人々は皆、疲れた表情で足早に家路を急いでいる。圭介も今日の仕事を終え、急ぎ足でマンションに向かった。


 部屋に入るなり、圭介はネクタイを緩めてソファに腰を下ろす。一息つこうとしたそのとき、スマートフォンが鳴った。

 画面に表示された名前を見て、圭介は目を見開いた。

「葉山……美咲?」

 それは、圭介にとって特別な名前だった。幼馴染であり、学生時代に想いを寄せていた女性の名前だ。

 ドキドキしながら電話に出ると、懐かしい声が耳に飛び込んできた。

「もしもし、圭介君? 私、葉山美咲。覚えてる?」

「美咲……? もちろん覚えてるよ。久しぶり! 元気にしてた?」

 明るく応える圭介。美咲との再会に胸が高鳴る。

「うん、元気にしてたわ。実は……私、東京に戻ってきたの」

「え、そうなの? いつ?」

「つい最近よ。それでね、お父さんが他界して……。実家の花屋を継ぐことにしたの」

 美咲の言葉に、圭介は一瞬言葉を失った。美咲の父親は優しい人だった。その訃報は、圭介にとっても悲しいものだった。

「そうだったんだ……。お悔やみ申し上げます。でも、美咲が花屋を継ぐなんて、偉いね」

「ありがとう。頑張らないとね。……ねえ圭介君、久しぶりだから、会えたらいいなって思って」

 電話越しに聞こえる美咲の声は、少し緊張しているようだった。

「うん、そうだね。是非会いたいよ。……今度の日曜日とか、どう?」

「日曜でいいわ。じゃあ、駅前の喫茶店で」

 再会の約束を交わし、電話を切る。圭介は胸の高鳴りを感じていた。美咲との再会が、今から楽しみでならない。


 約束の日曜日。圭介は待ち合わせ場所の喫茶店に向かっていた。

 東京は晴れ渡る空。日差しは強いが、風は心地よい。歩きながら、学生時代を過ごしたこの街を懐かしむ。

 喫茶店に入ると、窓際の席で美咲が手を上げて合図した。一目で分かる、あの優しい笑顔。10年の時を経ても変わらない美しさに、圭介は一瞬で心を奪われた。

「美咲、久しぶり!」

「圭介君、ホントお久しぶり」

 そう言って立ち上がり、美咲は小走りで圭介に近づいてきた。ふわりと柔らかな髪を揺らして。

 テーブルを挟んで座ると、二人は笑顔で見つめ合う。

「全然変わってないね。昔と同じ、優しそうな顔」

 美咲がくしゃりと笑う。その笑顔を見ているだけで、圭介の心は満たされていく。

「美咲もそのままだよ。きれいになった気がする」

「もう、昔から変わってないって言ったでしょ」

 会話が弾む中、圭介は学生時代を思い出していた。美咲と一緒に下校したあの日々。淡い恋心を抱えながら、友達以上恋人未満の関係を続けてきた。卒業と共に離れ離れになり、それ以来連絡を取ることもなかった。けれど、美咲への思いは消えてはいなかった。

 そんな二人の再会に水を差すように、美咲の携帯電話が鳴った。

「ごめんなさい、ちょっと出ないと」

 そう言って席を立つ美咲。その背中を見送りながら、圭介は何だかモヤモヤとした感情を覚えた。

 数分後、美咲が席に戻ってくる。

「じつは……私、婚約してるの。相手は……」

 そこから聞こえてきた話に、圭介は言葉を失った。美咲には、婚約者がいたのだ。幸せそうに婚約者の話をする美咲を見ながら、圭介は胸の奥で疼く痛みを感じていた。

「そっか、おめでとう。よかったね」

 精一杯の笑顔で祝福の言葉を口にする。けれど、圭介の脳裏をよぎるのは、美咲への思い。10年越しの片思いは、報われることなく潰えていった。


 美咲との再会から一週間。

 圭介は職場の仲間たちと飲みに出掛けていた。いつもは飲み会の中心にいる圭介だが、今日は沈んだ様子で黙り込んでいる。

 そんな圭介を見兼ねた同僚が話しかけてくる。

「よう、相馬。元気ないな。何かあったのか?」

「いや、別に……。ちょっと考え事をしてて」

「ははーん、女だろ。昔好きだった幼馴染と再会したけど、向こうには婚約者がいたって感じ?」

「…………なんで分かるんだよ」

 呆気に取られる圭介に、同僚は豪快に笑う。

「お前の顔見りゃ分かるよ。ま、そういうのは割とよくある話だぜ」

 グラスを傾けながら同僚が言う。確かに、10年も会わなければ、恋愛くらいするだろう。圭介だって、美咲のことを忘れて生きてきた。忘れようと必死だったのかもしれない。

「つらいのは分かるが、前を向いて生きるしかないぜ。お前は真面目だから、きっと幸せになれるよ」

 同僚の言葉に、圭介は小さく頷いた。美咲の幸せを心から願おう。そう心に決めた圭介だったが、どこかモヤモヤとした感情は消えない。

 その夜、圭介はベッドに横たわりながら空を見上げていた。都会の夜空には星が見えない。窓の外には、東京の喧騒が広がっている。

 過去に想いを馳せながら、圭介は目を閉じた。美咲との思い出が、走馬灯のように駆け巡る。懐かしい日々に、胸が締め付けられる。

 明日からは、また仕事に打ち込もう。

 そう自分に言い聞かせ、圭介は眠りについた。果たして、美咲への想いを断ち切ることができるのだろうか。圭介の恋の行方は、まだ分からない。


ーーーーーーーーー

美咲との再会から数週間が経った。

 いつものように仕事に励む圭介だったが、美咲のことが頭から離れない。彼女の笑顔、声、仕草。目を閉じれば、鮮明に思い出せる。

 そんなある日、配達先で偶然美咲と出くわした。

「あ、圭介君!」

 嬉しそうに手を振る美咲。圭介も思わず顔がほころぶ。

「美咲、偶然だね。配達で来たんだ」

「そうなんだ。ご苦労様」

 美咲の優しい言葉に、圭介の心が和む。少し話をしてから別れようとしたそのとき、圭介は美咲の腕に痣のようなものを見つけた。

「美咲、その腕……どうしたの?」

「え? あ、これ……ぶつけちゃって」

 言葉を濁す美咲。その表情は、どこか曇っているように見えた。

 圭介は美咲を心配しつつも、これ以上踏み込むことができずにいた。


 次の日、配達の途中で立ち寄ったコンビニ。圭介がレジに商品を持っていくと、知り合いの店員が声を掛けてきた。

「相馬さん、知ってます? この近くに、葉山さんの実家の花屋があるんですよ」

「え? 葉山さんて、もしかして葉山美咲さん?」

「そうそう。この間なんか、ご主人らしき人と一緒に来店してたんだけど……あの人、ちょっと怖そうだったんだよなぁ」

 店員の言葉に、圭介は息を呑んだ。美咲の婚約者……?

 もしかしたら、美咲は幸せではないのかもしれない。

 そう直感した圭介は、美咲の様子を気にかけるようになっていた。


 ある雨の日の夜更け。

 圭介は仕事を終えて家に帰る途中、公園のベンチに座る女性を見つけた。

 よく見ると、その女性は美咲だった。ずぶ濡れになりながら、うつむいて肩を震わせている。

「美咲! どうしたの、こんな雨の中……」

 傘も差さずに駆け寄る圭介。美咲の傍らに座り、そっと声を掛ける。

「圭介君……私……」

 涙ぐむ美咲。その頬には、赤く腫れたような痕がある。

「美咲、何があったの? 誰かに……やられたの?」

 そう尋ねる圭介に、美咲はこくりと頷いた。

「私の婚約者……神崎は、私に暴力を……」

「なっ……! そんな……」

 美咲の告白に、圭介の怒りが爆発する。愛する人を傷つける男なんて、絶対に許せない。

「美咲、警察に……」

「ダメ! そんなことしたら、神崎が……怖いの……」

 怯える美咲を見て、圭介は歯を食いしばった。力ずくでは、美咲を救えない。

「分かった。とにかく、今夜は家に帰ろう。送るよ」

 美咲を気遣いながら、圭介は美咲を家まで送っていった。別れ際、美咲は小さな声で言った。

「ありがとう、圭介君。私、頑張るから……」

 その言葉に込められた美咲の想いを、圭介は胸に刻んだ。


 美咲を助けたい一心で、圭介は神崎について調べ始めた。

 交際相手への暴力や、マネーロンダリングの噂。イメージとは裏腹に、神崎の素性は怪しいものだった。

 証拠を掴むため、圭介は張り込みを始める。夜の街を歩きながら、神崎の尾行を続けた。

 ある夜、神崎の後をつけていた圭介は、ある場面を目撃する。

 神崎が、汚い路地裏で怪しげな男と取引をしているのだ。丸めた札束のようなものが、怪しげな男の手から神崎に渡された。

 その瞬間を写真に収める圭介。これで、神崎の犯罪を立証できる。

 翌日、圭介はその写真を美咲に見せた。

「美咲、これが証拠だ。神崎は犯罪者だよ。警察に訴えよう」

「そんな……私、どうしたら……」

 戸惑う美咲を見て、圭介は力強く言った。

「大丈夫。俺が守る。絶対に、幸せにしてみせるから」

 圭介の真っ直ぐな瞳に、美咲は小さく頷いた。救いを求めるような、弱々しい表情を見せながら。


 圭介は美咲とともに、神崎のもとへ向かった。

 証拠の写真を突きつけ、婚約の破棄を迫る。

「神崎、お前の罪は俺が暴いてやる。二度と美咲に近づくな!」

「ふざけるな。証拠もないのに、俺を脅すつもりか?」

 開き直る神崎。その手が、不意に美咲の髪を掴んだ。

「離せ! 美咲に触るな!」

 圭介が神崎に飛びかかる。殴り合いのような乱闘が始まった。

 そのとき、けたたましいサイレンの音が近づいてくる。

 どこからか通報されたのか、パトカーが現れたのだ。

「こらぁ! 何をしている!」

 飛び出してきた警官に取り押さえられる圭介と神崎。

「違うんです! 俺は美咲を守ろうとしただけで……!」

 圭介の訴えも虚しく、二人は警察に連行されていった。

 その間も、美咲は怯えた表情で立ち尽くしている。助けを求める美咲に手を伸ばすが、圭介との距離は離れていく。

「美咲ぁぁぁ!」

 絶叫する圭介。しかし、もはや圭介の力では、美咲を救うことはできないのだった。


 警察に拘束され、取り調べを受ける圭介。

 神崎の罪を訴えるが、決定的な証拠がないため、圭介の主張は受け入れられない。

 一方、神崎は巧みに状況を装い、圭介をストーカー呼ばわりする。

「私は葉山さんに付きまとわれ、脅されていたんです。この男は、明らかにストーカーです!」

 神崎の訴えを受け、事態は圭介に不利な方向へ進んでいく。

 取調室の窓から見える夜空。月明かりすら差し込まない、暗く冷たい空だ。

 美咲を助けられなかった自分を責める圭介。絶望的な気持ちに沈んでいく。

 このまま、美咲を守れないのか。

 叫び続ける圭介の声は、虚しく響くばかりだった。果たして、圭介は窮地を脱することができるのか。美咲を、救うことができるのか。暗澹たる思いに沈む圭介に、明日は訪れるのだろうか。


ーーーーーーーーー

 留置場の中、圭介は膝を抱えてうなだれていた。

 冷たいコンクリートの壁に背中を預け、天井を見上げる。薄暗い明かりの下、圭介の心は沈んでいく。

 美咲を救えなかった。

 その事実が、圭介の胸を何度も叩く。自分の無力さを嘆き、後悔の念にかられる。

「くそっ……! 俺は、何のために……!」

 壁を拳で叩きつける。だが、その痛みは心の痛みに比べれば、些細なものだった。

 そんな圭介の前に、警官が現れた。

「相馬圭介さん、面会です」

 面会? 誰だろう。圭介が顔を上げると、そこには見覚えのある顔があった。

「よう、相馬。やっちまったな」

「前田さん……!」

 現れたのは、職場の先輩であり、いつも圭介の相談に乗ってくれる前田だった。

「お前のことは聞いたぜ。美咲ちゃんを助けようとして、無実の罪で捕まったんだってな」

「前田さん、俺は……美咲を……!」

「ええよ、分かってる。お前は間違ったことはしてねえ。俺たちが証明してやるよ」

 そう言って、前田は圭介の肩に手を置いた。その力強さに、圭介は救われるような思いがした。

「皆で神崎のことを調べたんだ。お前の言う通り、あいつは悪事の限りを尽くしてる。もう、証拠は揃ったも同然さ」

「本当ですか!?」

 喜ぶ圭介に、前田は笑顔を見せた。

「あとは時間の問題だ。お前はもう少しだけ、ここで我慢しな。必ず迎えに来る」

 その言葉に、圭介の心に希望の光が差した。仲間たちが、自分を信じて助けてくれているのだ。

「ありがとうございます……! 美咲を、必ず助けます!」

 前田との面会を終え、圭介は再び留置場に戻った。身体は拘束されていても、心は自由だ。美咲への想いを胸に秘め、圭介は今日も留置場の夜を過ごすのだった。


 数日後、圭介の留置場に再び面会の知らせが入る。

 今度の面会相手は、美咲だった。

「美咲……! 無事だったのか……!」

 現れた美咲を前に、圭介は安堵の溜息をつく。しかし、美咲の表情は暗く沈んでいた。

「ごめんなさい、圭介君……。私のせいで……」

「謝ることないよ。俺は、美咲を守りたかっただけなんだ」

 そう言って微笑む圭介。その笑顔に、美咲の瞳が潤む。

「私……神崎と別れる決心をしました。もう、あの人のもとには戻りません」

 美咲の言葉に、圭介は目を見開いた。

「本当か……! よかった……!」

 安堵の表情を見せる圭介。それを見て、美咲もかすかに微笑んだ。

「私、圭介君に守ってもらいたいです。これからは、二人で……」

 美咲の言葉に、圭介の胸は高鳴った。ずっと伝えたかった、美咲への想いを告げる。

「美咲、俺は……昔から、ずっと、美咲のことが……」

 その言葉を遮るように、警官が現れた。

「面会時間は終了です。ご退室ください」

 言葉を言い残したまま、美咲との面会は終わってしまう。圭介は無念さをにじませながらも、心の中で誓った。

 今度こそ、美咲を幸せにすると。


 そして迎えた裁判当日。

 証拠が不十分として、圭介に不利な状況が続く。

 傍聴席で見守る美咲の姿に、圭介は歯を食いしばる。

「何もしていない! 私は無実です!」

 圭介の叫びむなしく、裁判は神崎に有利に進んでいく。

 そのとき、法廷の扉が勢いよく開かれた。

「待った!」

 割って入ったのは、前田たち圭介の仲間だった。

「こちらに、新たな証拠が出てまいりました!」

「何ですって!?」

 狼狽する裁判官。前田が手にしていたのは、一枚のSDカードだった。

「ここには神崎の犯行の瞬間が記録されています。音声データもあります」

「ばかな……! どこでそれを……!?」

 動揺を隠せない神崎。それを見て、圭介は確信した。

 勝ったと。


 結審の言葉が告げられる。

「被告人、相馬圭介に無罪を言い渡す!」

 傍聴席からは安堵の溜息と拍手が沸き起こる。

「圭介君!」

 駆け寄ってくる美咲を、圭介はそっと抱きしめた。

「美咲……ただいま」

「お帰りなさい……!」

 抱き合う二人。圭介は改めて、美咲への想いを伝える。

「美咲、俺は……美咲のことが大好きだ。ずっと一緒にいよう」

「私も……圭介君が、大好き……!」

 キスを交わす二人。周囲からは祝福の声が上がる。

 苦難を乗り越えて、二人はついに結ばれたのだ。


 その夜、圭介と美咲は湘南の海岸を訪れていた。

 満天の星空の下、寄り添う二人。

「圭介君、ありがとう。私を、救ってくれて……」

「美咲こそ、俺に勇気をくれた。本当は臆病者の俺を、前に進ませてくれたんだ」

 手を取り合い、歩く二人。

「美咲、これからは二人で、花屋を再建しよう。俺も、全力で美咲を支える」

「うん……! 私も、圭介君の仕事を支えたい。二人で、新しい人生を歩もう」

 キラキラと輝く星を見上げながら、二人は新たな誓いを立てた。

 どんな困難も、二人なら乗り越えていける。

 満天の星空が、二人の行く末を優しく照らし出していた。


 こうして、相馬圭介と葉山美咲の波乱に満ちた恋は幕を閉じた。

 平凡だった日常は、二人の出会いによって大きく様変わりした。

 恋に落ち、苦難に立ち向かい、時に挫けそうにもなった。

 それでも、二人は信じ合うことをやめなかった。

 支え合い、励まし合い、二人三脚で歩んでいく。

 それが、二人の選んだ人生なのだ。


 やがて、都会の喧騒が遠のいていく。

 空は澄み渡り、凛とした空気が二人を包み込む。

 新しい朝日が、水平線の彼方から顔を覗かせる。

 二人の新たな一歩を、祝福するように。

 圭介と美咲は微笑みを交わし、強く手を握り締め合う。

 そして、輝かしい未来に向かって歩き出すのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

花咲く季節に君と 島原大知 @SHIMAHARA_DAICHI

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る