3生存確認
痛い……全身が痛い……とくに頭が痛い……ズキズキする……ひどい臭いだ……プラスチックが溶けたような……肉が焦げたような……
「い、痛い……」呻き声を上げた。「頭が……」
(機内の状況は?)
ようやく瞼を開けた。ぼやけた視界に、薙ぎ倒された木々が映った―――
(うそだろ!)
信じ難い光景に驚愕した瞬間、曖昧だった視界が一瞬にして明瞭になった。大きく見開いた双眸に映ったのは、機内ではなく、多種類の樹木や植物が生い茂る野外。
周囲は死体の山。樹木の枝にも吹き飛ばされた人が引っかかっている。
旅客機の残骸に覆われた大地には、激しく損傷した死体が石ころのように累々と横たわる。体の一部が欠損した死体。焼け焦げた死体。原形を留めていない死体が大半を占めている。
視線の先に横たわる一体の死体の上に、血が付着したシフォン生地のブラウスが木の葉のように風に乗って舞い落ちた。
気絶する直前に、機内の前方が崩れ落ちてくるのを目にした。あれは朦朧とした意識が見せた幻覚ではなく現実―――そして目の前に広がる光景も現実―――
その証拠に蒸し暑い外気が頬を撫でる。これが夢の中で起きていることなら、こんなにも風や臭いを感じることはない。
これは現実、でもここはサイパンではない。
いまにも断末魔と慟哭が聞こえてきそうな悲惨な大地に吐きそうになった。
身震いが止まらない。
友達は生きているのか?
「みんな! どこにいるんだ!」と、背を起こして叫んだ。
近くに綾香が倒れていた。大怪我を負っているかと思った。
「綾香! 綾香!」と名前を呼びながら、華奢な肩を揺すった。「しっかりしろ!」
呻き声を上げたあと、ゆっくりと瞼を開けた。
「類……あたしたち助かったの?」
「なんとか生きてる」綾香が意識を取り戻したので安堵した。「痛いところはない?」
蒸し暑い風、朦朧とした意識がはっきりとした瞬間、死体が横たわる大地に驚愕し、咄嗟に類の胸元に顔をうずめた。悲惨な現実に頭が混乱する。
「何がどうなってるの! 教えて!」
「不時着じゃなくてガチで墜落したんだ」
「墜落するかもって思ったの。本当に墜落したんだ……みんなは?」
「まだわからない……」
「うそ……」道子も結菜も親友だ。みんな大事な友達。「どこにいるの! お願い、返事して!」
見渡すかぎり飛行機の残骸と死体。うつぶせの状態で顔が背中を向いている死体が視界に入り、思わず目を逸らす。まるで、死んでもなお悲鳴を上げ続けているかのようだ。
死体が横たわる大地で、次々と背を起こす仲間たちの姿が見えた。全員が動揺し、周囲を見回している。翔太が泣き崩れる道子を支えた。純希と明彦と結菜がこちらに顔を向けてきた。その瞬間、号泣する。
全員が生きていてふたりは安堵した。
大勢の乗客を乗せた旅客機。パイロットも、懸命に頑張っていた客室乗務員も、旅行を楽しみしていた乗客も、全員死んだ。だが、七人は生きていたのだ。鉄の塊の機体が木っ端微塵に吹き飛んだというのに、何故、無傷で生きていたのか……こんなことってあるんだろうか……
「生存者は俺たちだけ……」と、類は呟くように言った。
助けを求めている者はいないならこの惨劇の場に留まる必要はない。死体の中に身を置くのは精神的につらい。全員がこちらに集まった。
なるべくなら死体は見たくない。だが、どこを見ても周囲は死体だらけ。夥しい血溜まりの中に、ちぎれた子供の腕が落ちていた。目を逸らした類の視界に、クロスネックレスをつけた女の死体が映った。そのとき、墜落する数分前の光景を思い出した。
“助けてくれたらおまえの存在を信じるから” と、無宗教のくせに都合よく神に祈った。ひょっとしたら神が助けてくれたのだろうか……と、自分らしくない考えが頭に浮かんだ。
日ごろから神に祈りを捧げている信者が死んで、神の存在を信じていない自分が生きている。つまり、座席によって運命が左右されたということだろう。それこそ、偶然の奇跡だと思った。
もしも、この世に神がいるなら、乗客全員が奇跡の生存者だろう。それとも神は、何か考えがあって七人のみを生かしたのか。これが七人の人生の試練というなら、ほかの乗客はどんな試練があって死者になってしまったのだろうか。
(けっきょく神なんていやしないんだ……)
「みんな怪我はない?」と、類は尋ねると、全員が無言で頷く。
類はこれから先の不安で頭を悩ませた。
(救助は来るのだろうか? ここは無人島なのだろうか? もし無人島ならどうしたらいい……)
警察もレスキュー隊も存在しない、住人からの通報もいっさい望めない無人島だった場合、フライトレーダーでの追跡に頼るほかない。すなわち、有人と無人では救助までに大きな時間差が生じる。
なぜなら旅客機が墜落した現場を目撃した者がいないのだから、言うまでもなく救助活動は難航するはずだ。壮大な大自然をヘリコプターから見下ろせば、旅客機ですらちっぽけな存在にすぎない。
まずはこの場から立ち去りたい綾香は、大地に横たわる死体から目を逸らした。
「ここはもういや」
類が綾香に訊く。
「どの方向に進んだらいい?」
「どこでもいいよ!」綾香は語気を強めた。「見たくないの! 死体が見えなければどこでもいいよ!」
「どこでもよくないよ。もし、あたしたちのいる場所が水辺の近くだったら……」結菜は懸念する。「鰐(わに)とかいないよね? 墜落で助かっても鰐に出くわしたらアウトだよ。それにほかの野生動物も怖い」
「あたしだって鰐は怖いけど、ここにいること自体が限界なの」
「おそらくここはミクロネシアの島のひとつだと思う。それなら野生の鰐が多く生息しているのはパラオなはず……でもここはパラオじゃない」と言った明彦は、そのあと不安を口にした。「まちがいなく無人島だ」
綾香は重苦しいため息をついた。
「無人島。最悪……」
一刻も早く救助されたい道子は反論した。
「たしかにここはミクロネシアのどこかの島だと思うよ! あたしもそう思うけど、無人島かどうかなんてわからないじゃん!」
純希が、デニムパンツのポケットの中に収めていたスマートフォンを取り出し、画面を確認した。そのあと「これを見ろよ」と言ってから、スマートフォンの画面を全員に向けた。
<圏外 8月1日 火曜日 16:40>
電波アイコンを見た道子は動揺した。
「ただ電波がないだけだよ……絶対そうだよ……すぐに誰か来てくれる……」
純希は言った。
「それならいいけど、ここはまちがいなく無人島だ。すぐに助けが来るかどうかなんてわからない」
頭を抱えた道子は落胆し、膝から崩れ落ちた。
「そんな……」
翔太は道子の肩に手を置いた。
「幸いみんな生きてるんだ」
死体があるここから離れたい。だがどこへ行けばよいのかわからないので、類は頭脳明晰な明彦に目をやった。
「どうする? どこを歩けばいいんだろう?」
難しい質問だ。責任重大。この島の地形すら謎なのだ。そんなこと訊かれても……と、かなり戸惑った明彦は、自分の考えを言った。
砂浜にSOSの文字を書いて、救助ヘリに発見された例もある。とりあえず海へ出たい。それに、ここに留まるのは危険だ。理由はこの血の臭いにつられて肉食獣が寄ってくる。たとえ野生動物が来なかったとしても、この気温だと二日もたてばかなりの腐敗臭がするだろう。
「ここは精神的にきついものがある。とはいえ、ここから離れた場所で救助を待ったとしても、鬱蒼とした木々が俺たちの姿を隠してしまうために、救助隊から発見されにくくなってしまうから海に出たい」
「なるほどな」類は周囲を見回す。「でも……肝心な海はどの辺りにあるんだろう」
「それは俺にもわからない。なるべく死体を跨がずに進める方向がいい。早く行こう。ここは耐え難いよ」
類は悄然としている道子を見る。
「行くぞ。大丈夫か?」
精神的なショックから眩暈を感じた。足元がふらつく。
「うん……なんとかね」
いままで経験したことがない険しい道を徒歩で乗り越えなければならない、と伝えた。
「しっかりしろよ、俺たちはここからずっと歩くんだ」
「わかってる……」
類は、みんなに声をかけた。
「絶対に逸れるなよ」
「ここではぐれたらマジで命取りになる。絶対に逸れたりしないから安心して」類に返事した綾香は、道子と結菜に「頑張ろう」と、声を掛けた。
「行こう」と、出発のかけ声を発した類の後方に続いた一同は、なるべく死体を見ないように歩を進めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます