フライング!?

「ただいま」

「おかえり」

玄関の戸を開け、普段通りにそう声を出すと母さんが応えた。


「ちゃんと遅く帰ってきたな、うん。十全十全」

「なんだそれ。別にいつもとそんなに変わんないだろ」

「何言ってんだ、今晩は全然いつもと違うだろ?」

「……まあ、ね」

母さんはいつもどおりに的を射てくる。


「明日、じゃないか、もう。今日母さん来るの?」

「行くよ、当たり前だ」

なら解ってるはずだ。

なにかしらの形で、俺が、俺達がライブをするということを。


「お! しっかり直してもらったか? そいつ」

「うん。環さんが自信たっぷりに渡してくれたから」

「うちに連れてくればよかったのに」

「はあ!?」

「まあいいか……明日会えるだろうし」


なるほど。

母さんが、環さん、それに、先輩に会うことが一番の楽しみにしていることをこの瞬間俺は、はっきりと理解できた。


「天は?」

「え?」

「お前自身はどうなんだ?」

普段からそうな真剣な口調が、さらに一段階、その雰囲気を増している。

「今日プロのバンドの演奏見てから一気に引き締まったよ。やる気というか、決意みたいなもんが」

その俺の答えを聴いて、母さんが怪訝な顔を向ける。


「どんな決意だ? そりゃ」

「凄いと思ったし、実際上手かった。だから……」

「つまらん嘘をつくな」

子供、それも自分の息子に向かって向けてはいけないと思えてしまうほど、眼光炯々な眼差しを母さんが俺に向ける。

「凄い? 上手い? 何言ってるんだお前。調子に乗るなよ。たかが数ヶ月ギター弾いただけのド素人が。そもそも、そんな真っ当な理由でやる気なんて出るわけないんだよ」

「なにをそこまで言わなくたって……」

「言われなくちゃいけないようにしたのは天だろ。もう一度聞く。お前自身はどうなんだ」

それは聞いていない。

答えが解っていて、その答え合わせをしようとしているだけ。


「――気持ち悪かった」

「で?」

「センスもない」

「それから?」

「だから違うと思ったし、俺達のほうが断然凄いし、上手い。そう思った」

これで全部だ。

俺は頭の中で、あの時感じたものをすべて口に出して言えたか確認する。


「しししっ。本当にお前は……私にそっくりだな」

「かもね」

「だから言っといてやる。よく聞け」

そういって、母さんはテーブルの真向かい側をトントンとする。

「なに? 言っとくことって」

「……」

「母さん?」

「……」

自分から座れといっておいて、いざ俺が正面に座ると母さんは黙り込んでしまった。


「……ほんと、似てきた」

「うん? だから、母さんにだろ?」

「違うわよ。お父さんに」

「父さんに? なにが?」

「見た目が。だから私があのひとから言われたことをそのままお前に伝えるからな。いいか?」

「うん」

そういった母さんの目を、俺は初めて見た気がした。

いや、そうじゃない。見たことがあるような、微かな記憶がある。


「”それ”は違っているから、やめるか、変えなければいけない。頭ごなしでごめんね。でも、よく知ってるから、好きだから分かるし、今こうして言ってる。もう一度言うよ。違ってるから、”それ”は」


ああ、なんだ、そっか。

生まれてからずっと一緒で、なんら考えることなく同じ空間に居ることが当たり前な『母さん』という存在。そこにきて、さっきの母さんの目。

その印象の先、理由がはっきり分かった。


「全部?」

「そうよ」

「全部間違ってるってこと?」

「ううん。そうじゃないわ。違ってるの”それ”は。天個人がとかじゃなくて、絶対的に違ってるってこと」

「それって、間違うより酷いんじゃないの?」

「かもね。ただ、天はこれから勝手にたくさん間違うだろうから、その度に勝手に苦しんで、そして勝手に越えていけばいい。でも、違うことをしたのなら、その時は母さんが正す。これは絶対よ」

「……なんで?」

「決まってるじゃない。幸せになってほしいから」

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