晴れの日
「お楽しみは朝までとっておいて! さあ、寝るわよ!」
躊躇や迷いなんて微塵もない言動でもってして、自分で用意した簡易ベッド(体育で使うマットに、おそらく保健室あたりからかっぱらってきた掛け布団)に潜り込み、「おやすみなさい」と言ったかと思うと、スースーと先輩は寝息をたててしまった。
そのすぐ横。
月光が照らし出しただけの教室内。
目が慣れてきたことで、もうひとつ用意されていた簡易ベッドがピタリとくっつけられているのが把握できた。
気持ちよさそうな音を立てて眠る先輩。
「さあ」と言った。
それは明日からのことに備えてのことであって、だからそこに特に意味はなく、さっぱりと言った。
でも。
だとしてもだ。
『抜かるなよ』
母さんのあの言葉がリフレインされる。
「寝ないの?」
!。その声に俺は体全体で反応してしまう。
「……狸寝入りですか」
「疲れてるでしょ」
「……」
「ごめんね。今日は連れ回してしまって」
「……いえ、そんなことないです」
「あのね……いえ、なんでもないわ。今度こそおやすみなさい」
「はい。おやすみなさい」
落ち着いた声。澄んだ音。
でもそれは少しだけ違うような音にも聴こえる。
おかげで、宇宙空間に放り出されたような状態になった俺は、簡易的だろうと、自然に先輩の用意してくれたベッドに、地を足に付けてあらため、地に体全体を任せて眠ることができた。
「おはよう、天くん!」
ある程度のことは予想していたはずだった……が。
眠る前に聴いたあんな先輩の声のおかげで俺の神経は弛緩しきっていた。
そんなところに案の定先輩が、俺のかぶっていた布団をおもいっきり引き剥がすという、本来ならば未然に防げたことをしてきた。
「もう少し優しく起こすことはできないんですか?」
まあ、朝一番に蹴りをくらうよりかは全然マシだが……。
「早く準備して! 行くわよ」
「どこに?」
「決まってるわ、BURSTよ! はい、これ!」
先輩が片手で軽々とアンプを持ち上げ俺に差し出す。
受け取った瞬間、「う」と声を漏らしてしまった。
それは、今日まで生きてきて、朝一で持った物の中で一番重かった。
ガタンゴトンという響き。
その音にシンクロして体はリズミカルに心地よく揺れる。
俺達は、昨晩使ったマットと布団を体育館の倉庫と保健室に返した後、こうして電車に乗り、あの店に向かっている。
よく晴れた連休二日目の朝早く。普段ならば俺達学生らや、働いている人でいっぱいの時間帯。
車内は俺達だけだった。
それはまるで奇跡のような風景だった。
足元にはアンプ、そこに、俺のギターが入ったケースが電車の揺れで倒れないように身を寄せ合って置かれている。
今の俺達のように。
『次は……』
あの店の最寄り駅の名前がアナウンスされる。
「……先輩起きてください」
ゆっくり、やさしく声を掛ける。
「う、うーん……」
そんな声じゃ起きないことが分かっていても。
ガタンゴトン。
勝手にそう脳内変換された音に負けてしまっている俺の声。
ガタン…ゴトン。
音の間隔。それにシンクロして揺れるリズムも次第に遅くなる。
キー! というブレーキの音が聴こえた瞬間、その音に俺は苛立つ。
『……駅。……駅、お出口は右側です』
そのアナウンスにも同じように苛立つ。
プシューっという音が鳴ると、大きく開かれたドアがスローに閉まっていく。
その瞬間、俺の肩に寄りかかっていた先輩の頭が僅かに動いた気がした。
「早く閉まれ!」とスローモーションに閉まるドアを睨む。
グンっと、一瞬体が横に振られると、それが電車が動き始めたことだと気づく。
先輩は呑気に寝息を立てている。
「よかった」
その言葉が声という音になっていることにも気づかず、よく晴れた流れる景色を見ながら俺は先輩の息遣いに耳を澄ました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます