震え

「その鍵だけど……」


ピリリリリッ!!


「うわっ!?」

不意に鳴った携帯電話をズボンから急いで取り出す。

「どうしたんですか、先輩!」

慌ててその電話に出てしまってから、母親の前で異性からの着信に応答してしまったことに気づく。


『どうしたかじゃないわ!』

あまりの声量に俺は耳から携帯電話を遠ざける。

「あの……いま、ですね」

『今どこ! 天くんが店から飛び出していってしまったからアンプと弦! 私が預かってるんだけど! 重かったんだけど!!』


先程までの空気を揺らす先輩の声。

会話の内容を母さんに聴かれてしまっているのは明白だ。

実際、さっきまでとは別人のような表情で俺のことをまっすぐ見つめている。


『ちょっと! 聴いてるの! 天くん!!』

「聴いてます! それに、聴かれてます!!」


母さんが、今朝の顔をして足を組んでいる。


「すいません! 取りに行くんで先輩が今いる場所教えてください!」

『学校!』

「学校!? それって、高校ってこと……」

『そぉーよ!! 来るなら早く来て! とてもじゃないけどこんな場所に、こんな時間にひとりは怖すぎるわ!!』


なら、なんで行ったんだ。

俺は、直視できなくなった母さんをちらっとだけ確認する。


「行って来い、続き。そいつを持って」

母さんが顎でゴールドのギターを指す。

俺はしっかり頷く。


「行きます! 今すぐ行きますから、もう少しだけ我慢して待っていてください!」

そういって俺は先輩からの電話を切った。

「っじゃ、行ってくる!」

急いでギターをケースにしまいそれを抱えて部屋を飛び出す。

「ちょっと待て天! そいつを抱えて学校までどうやって行くつもりだ?」

「どうって……」

だからケース片手に片手ハンドルで、片道三十分掛けて、最後にあの坂を乗り越えて。

「しょうがない。大事な大事な一人息子の晴れ舞台だ……」




「すいません! 遅くなりました!」

「はやっ!?」

「だって早く来てって言ったじゃないですか。だからこうして……ってなにしてんですか、それは」

「え? ああ、これ? 文字通り『ベッドメイキング』よ!」

もうここまでくるとホラーだ。


先輩からの電話を切ってからここまで、多分二十分掛かっていないだろう。

どうしてそんなことが出来たのかといえば、それは母さんがタクシーを呼んでくれたからだ。

そして、マンションに横付けされたタクシーに乗り込もうとした瞬間に言った母さんの言葉が今現実になろうとしている。


『抜かるなよ』



「私達今日ここに泊まるんだから当然でしょ?」

いや、「でしょ?」と言われても……。

「どうして、ですか?」

一応聞いてみる。

「明日……じゃないわね。本日六時より、残り二日間丸々、天くんの個人レッスンを行います!」

「は?」

「レッスンよ! 特訓!! だって腹立ったでしょ、おがたっちにあんなこと言われて」

「……騒音」

「そう! それ!」


忘れていた。

母さんから突然このギターを渡されて。俺の弾き方がどういったものなのかということを聞かされて。


腹が立つ。

気に入らない。

今はあの男に『騒音』と言われたことなんてどうでもいい。

ただ、あの時の俺の出した音。あれは確かに……。


「にしても、やっぱりそうだったのね」

突然先輩が胸の前でパンと手を合わせ鳴らす。

「それ! 思った通りだわ! 弾いたことあったのね!」

先輩が赭色そおいろのケースを差して言った。


言われて俺はギターケースを握った右手を見る。

震えている。

間違いを正すために。

『騒音』をそうでない、俺がまだ知らないにするために。

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