【短編】ル・カフェ魔王 ――王都の外れにできた不思議なお店は、オネエな魔王の隠れ家カフェでした――

石和¥「ブラックマーケットでした」

目覚める双剣

「いらっしゃ〜い」


 ドアのカウベルがカランコロンと鳴って、初めてのお客さんが来店した。

 短く切り揃えられた髪の、活発そうな女の子。この国では成人直後の、十五〜六歳くらい。細くて小さな身体に双剣装備。斥候職シーフってとこかしら。服と装備からすると、駆け出しの冒険者ってところね。

 ダンジョン攻略で苦戦したのか、服にあちこち汚れと痛みがある。顔や腕にも擦り傷や腫れが残って、泣いた後みたいに目が充血してる。


「よかったら、好きなとこに座ってちょうだい」


 案内しながら、こっそり治癒と安癒の魔法を掛ける。せっかく可愛いんだから、キレイにしてなきゃもったいないわ。


「……あの。ここ、なんの店です? 表の看板、読めなかったんですけど」

魔王のカフェ・喫茶店ロワデモン、お茶と簡単な料理を出す店よ」


 キョロキョロしつつ、彼女はカウンターの椅子に腰掛ける。身のこなしは柔らかで、動くときに物音を立てない。顔や視線の動きは最小限だけど、視界が広いような印象。意識が周囲すべてに向いているみたい。きっと斥候職としては優秀なのね。


「メニューは大陸共通語で書いてあるから」


 アクリルスタンド型のメニューを手渡そうとすると、わずかにビクリと身を強張らせる。初めての店で緊張しているのかもしれないけど、少し過剰な気がした。

 アタシは、気づかなかったふりをして笑いかける


「あなたは初めてのお客さんだから、最初の一杯は何でも好きなものをサービスするわ」

「いいんですか?」

「ええ。がんばって王都にお店を開いたのはいいんだけど、ぜんぜんお客さん来なくて困ってたの」


 メニューを手に長く考え込んでいた女の子は、カフェオレを選んだ。それが何なのかは、わからなかったみたいだけど。

 たぶん、この国にカフェオレはない。北方地域なのでコーヒー豆がない。砂糖も一般には麦芽糖みずあめだけ。ミルクはあるけど傷みやすいあしがはやいので流通量は少なく、高価たかくて庶民の口には入らない。

 そのせいか、彼女は“あったかくて”“ミルクが入ってて”“あまい”という説明のたびに目を輝かせて食いついてきたのだ。


「いい匂いがしてるって、ずっと噂にはなってましたよ」

「あら、そうなの?」

「でも看板は読めないし店内なかは見えないし、扉は不思議な魔法陣みたいのが書いてあるしで、みんな警戒して様子見してたんです」

「あなたは勇気ある冒険者ってわけね?」


 彼女は目を泳がせて、泣き笑いみたいな顔で首を振った。


「そんなんじゃ、ないです」


◇ ◇


 王都の外れにある日いきなり現れた不思議な店。その店主は、店と同じく不思議な男性だった。

 柔らかな表情と、柔らかな話し方。どこか異国の出身なのか、わずかに聞いたことのない訛りがある。話していると何故か自然と心を開いてしまう穏やかな雰囲気の人物だった。


「わたしは、エルカと言います」

「あら素敵な名前ね。アタシはハーンよ、よろしくね?」


 そう言って差し出してくれたのは、温かくて、甘くて、身体も心も癒されるような素晴らしい飲み物。“かふぇおれ”という名前を聞いたことはなかったけど。生まれてから口にした中で、いちばん美味しいと思えた。

 静かに緩やかに流れるお店の空気もあって、わたしはいつの間にか身の上を打ち明けていた。


 両親が死んで、覚えのない借金を背負わされ、田舎から王都に逃げてきたこと。

 食い詰めて冒険者になったのに。仲間だと思っていた冒険者たちに騙されてボコボコにされ、なけなしの全財産を取られた挙句ダンジョン中層に置き去りにされたこと。

 初心者を誘って食い物にする冒険者がいることは知ってた。それが、あんなに親切そうな顔で近づいてくるなんて理解していなかっただけ。

 わたしには手も足も出ない魔物がウヨウヨするダンジョンの中層から、生きて帰れたのは奇跡でしかない。


 どこにでもある、馬鹿な小娘の馬鹿な転落人生だというのに、店主ハーンさんは本気で憤り、本気で心配してくれた。


「それ、いつの話?」

「今日です。いま冒険者ギルドに行ったら、そいつらがいるかもと思って」


 誰にも見られず時間をつぶせる場所が思いつかず、慌てて入ったのがこの店だっただけのこと。勇気なんてない。生きる気力すら、もう残ってない。


「ふざけた奴らね。そいつらの名前と特徴を教えなさい」

「え?」

「ダンジョンで冒険者がいなくなることなんて日常茶飯事でしょ? 今度はそいつらの番が来たっていうだけのことよ」


 店主ハーンさんは笑って言うけど、ちょっと目が怖い。虫も殺さないように見えるこのひとが、何かをするとは思えないけど。相手は中堅の冒険者だ。下手に手を出そうとしたら危ない。

 背が高い長剣持ちのイコラと、赤髪の長髪で弓持ちのナイギス。男女ふたりのペアでDランクの冒険者。Fランクのわたしよりも、ずっと強くて経験も人脈コネもある。

 口封じに殺される心配はしていたけど、復讐なんて考えてもみなかった。


「……いいんです。もう終わったことだし。それに、どうにもならないことですから」


 これから生き延びるには単身でダンジョンに潜るしかないが、初心者に毛が生えた程度でしかないFランクが単身で挑んで生還できる可能性は二割以下。

 それを日々繰り返せば、近いうちに死ぬのは確定事項だ。今日みたいな奇跡は、何度も起こったりはしない。


「死ぬ前に、あなたと話せて嬉しかった。かふぇおれ、美味しかったです。ありがとうございま、……しゅたァッ⁉︎」


 わたしはカウンター越しに、ほっぺたを捻られていた。

 なぜか、店主ハーンさんは怒っていた。わたしを騙した人間に対して。そして、わたしに対しても。


「ふざけないでちょうだい。なんでそんな風に自分を粗末に扱うのかしら」

「だっ……みんな、わたは役立たず……」

他人ひとの話はどうでも良いのよ。そんなの、あなたが、あなたを貶める理由にならないでしょう⁉︎」


 そうか。このひと、怒っているのは弱く惨めなわたしじゃなく。そんな自分から目を逸らして他人事のように蔑む、卑怯で臆病なわたしだ。


「これから良いことばっかりが起きるなんて、言うつもりはないわ。辛いことも苦しいこともある。でもね」

「……」

「まず、あなたが自分自身を大事にしなきゃ、誰があなたを大事にするっていうのよ」


 惨めに涙と鼻水を垂らすわたしに、綺麗なハンカチを差し出してきた。

 洗って返すと言ったのだが、あなたの人生が上向くお守りだと、そのままわたしにくれた。


「そうね……ちょっと、あなたの武器を見せてちょうだい」

「……はあ」


 あのとき、イコラとナイギスは笑った。わたしを殴りつけて財布を奪いながら、武器を奪わないでやるのは最後のお情けだと言って。こんな安物の鈍刀ナマクラは売れないし重いだけだって。わたしの剣を踏みつけて、遠くに蹴飛ばした。

 だから、なんとか見つけて拾った双剣はどちらも汚れて、歪んでる。


「イグノちゃん?」

「はいな」


 店主ハーンさんが呼ぶと、キッチンからエプロン姿の小柄な女の子が出てきた。調理担当なのか、慣れた手つきで双剣を交互に見ると、首を傾げながら奥に持ってゆく。


「ちょっと研ぎ直しますね〜?」

「は、はい」


 シャカシャカと砥石の音がして、すこしたがねを打つような音が続く。


「お待たせです。こちら持ってみていただけます?」


 あんな短い間に何をどうしたやら、返された双剣は見違えるように美しく研ぎ上げられ磨き上げられていた。

 それを両手に握ったとき、胸の奥で不思議な熱が膨れ上がった。いままで絡まっていたもの、詰まって滞っていたものが取り除かれて、本来あるべき線がつながったような。


「もしかして、そちらの剣は肉親の形見ではないですか?」

「! ……どうして、それを」

「刀身に刻まれた魔法陣の一部を削いで、切れ味と力を封じてありました。わたしの想像でしかありませんけれども、冒険者を引退する際になんらかの決断をされた結果ではないでしょうか」


 死んだ父親が昔、冒険者をしていたことは知ってる。怪我をして故郷に帰って、荒事や揉め事には近づかないと心に決めていたことも。

 もし生前わたしが冒険者になると言ったら、絶対に止めていたと思う。


「ありがとうございました」

「ねえ、エルカちゃん」


 お礼を言って帰ろうとするわたしに、店主さんは笑顔を向けてきた。


「そいつら、ぶっ飛ばしちゃいなさい。あなたなら、絶対できるから」

「できるわけ、ないじゃないですか! わたしはFランクで、向こうはDランクの二人組ですよ?」


 アタフタするわたしを見て、店主のハーンさんとイグノさんは顔を見合わせ、首を傾げる。


「もう魔力循環が始まってるわね」

「始まってます」

「効果が出るまで、何時間くらい?」

「体感できるまでには、三十分ほど。指数関数的に跳ねますから、明日には別人です」


 ふたりの言っていることは、ちっともわからなかったけれども。形見の双剣を持っているだけで、なぜか胸の奥の熱がどんどん高まってきている気がした。


◇ ◇


 おかしな話だけど。

 わたしは、気持ちがたかぶるのを感じていた。いまなら何でも出来そうな気がする。

 そんなわけはない。それは新人冒険者が最も死にやすい危険な兆候だと、なけなしの自我が頭の片隅で警告を発していた。


 店を出て、冒険者ギルドに向かう。受注したクエストの期限内に終了報告がなければ罰則ペナルティを受けることになるし、帰還報告もないままだと死んだことにされる。

 イコラとナイギスが既にそう報告しているのだろうと思っていたが、想像は当たっていた。ドアを開けるとギルドの酒場から、彼らが大声で笑っているのが聞こえてきた。


「そうなんだよ! ビビッて逃げようとしたあの小娘が、ダンジョンの竪穴を転げ落ちてってなー!」

「探してやろうとは思ったんだけど、中層だろ? こっちも魔物の相手で手が離せなくてなー!」

「Fランクの能無しが生き延びられるとは思えねえよ! いまごろゴブリンの餌になってんじゃねえかー?」

「それともにされてっかもなー? ぎゃはははは……!」


 酔っているのか大声で捲し立てるイコラに、周囲の冒険者たちは鬱陶しそうな顔を隠そうともしない。隣に座るナイギスは無言のまま、ただ事実だとばかりにうなずくだけだ。


「残念でしたね。わたしは生きてますよ」

「「あ⁉︎」」


 全員の注目を集めたまま、わたしは受付嬢のいるカウンターに向かう。

 終了報告を行うべきなのだろうが、採集依頼の素材はナイギスに奪われてしまっていた。


「エルカさん! 大丈夫でしたか⁉︎」

「いいえ。あのふたりからダンジョン中層で暴行を受けて、中層で置き去りにされました。そのとき、財布と素材も奪われました」

「おいエルカ! てめえ適当なホラ吹いてんじゃねえ!」

「置き去りにしたことは、自分が面白おかしく言っていたでしょう。あなたがテーブルに投げ出してる革袋はわたしの財布ですよ。それにも、素材を入れていた布袋にも、わたしの名前が書いてあるはずですが」


 慌てて隠そうとしたようだが、その行動自体が犯行を認めているようなものだ。カウンターでは受付嬢が、素材の入っていた布袋の方を確認している。


「イコラさん、ナイギスさん。明日ふたりには内規により査問を受けていただきます」

「ふざけんじゃねえ! てめえが勝手に逃げて転げて死にかけただけじゃねえか! 俺たちが何かやった証拠でもあんのかよ!」


 酔っているせいなのか元々そこまで馬鹿なのか。イコラが反駁するたびに周囲の目は冷えたものになってゆく。

 慣れた態度と手口。あれが初犯とは思えない。わたしは知らなかったけれども、過去にも怪しまれるような新人冒険者の失踪があったのだろう。


「わたしは必要な証言を行うだけです。その後はギルドマスターの判断に任せます」

「おい待て待て待て待て」


 イコラはふらついた足取りで、立て掛けていた長剣を引きずりながら近づいてくる。顔に浮かべているニヤニヤと歪んだ笑いは、ダンジョンのなかでわたしを突き放したときと同じだ。恐怖と焦りが胸に湧き上がるけれども。

 手の汗を拭おうとハンカチに触れたところで、不思議と気持ちが落ち着いた。

 怖くない。わたしは、間違っていない。ずっと重く感じていた腰の双剣が、いまでは心の支えになってくれている気がする。


「話せばわかる、だろぉッ⁉︎」


 引き抜かれた長剣を、両手の双剣で受け止める。


「死人に証言はできない、というならせめて人目のないところでやるべきではないですか?」

「ふざけ……」


 そこでようやく、ギルドの受付嬢がイコラとわたしの間に割って入る。


「イコラさん。ギルド内での武器使用は冒険者資格の剥奪になりますよ」

「こいつも抜いてんじゃねえか!」

「トチ狂った相手に、黙って斬られてやるわけがないでしょう? アタマ大丈夫ですか?」


 罵るわたしに詰め寄ろうとしたイコラを、受付嬢は片手で押さえ静かに圧を掛ける。頭ひとつ以上も大きな男性冒険者が、彼女の気迫と腕力であっさりと押し返された。

 美しく優しいお姉さんに見える彼女も、結婚で引退するまでは嘘かホントかBランクの凄腕冒険者だったのだとか。修羅場に動じない胆力を目にしたわたしは、その噂を信じる気になった。


「みっつ数えるまでに剣を納めなければ、一生握れないようにしますよ」

「なんで、俺がそんな……」


「ひとつ」


 ビクリと、イコラの目に怯えた表情が浮かぶ。必死でそれを隠しながら、剣を鞘に収めた。


「けッ、興醒めだぜ」

「エルカさん、盗まれた財布の中身は」

「銀貨五枚と銅貨が少し」


 ギルドカードを渡すよう言われて応じると、受付嬢はカウンターへと戻ってゆく。


「エルカさんから奪ったお金と素材の代金、それと罰金と賠償金はギルド内のふたりの口座から繰延払いてんびきさせます」

「ふたり⁉︎ 待って、なんであたしも⁉︎」


 ナイギスが後ろから叫ぶけれども、決定事項とばかりに無視された。

 ふたりを蔑むような空気に、ようやく気づいたのだろう。忌々し気にテーブルを蹴り付けて、イコラとナイギスはギルドを出てゆく。


「覚えとけゴミが」

「今度は、ちゃんと殺すわ♪」


 ふたりは立ち去る間際、わたしの耳元でボソッと脅しの言葉を吐いていった。


「大丈夫だったか?」

「無事でよかった。心配してたんだ」


 同じFランク駆け出しの冒険者たち数人が、わたしに声を掛けてくる。

 だけど彼らも、イコラたちと同行するわたしを止めはしなかった。手助けも、忠告さえもなかった。あのまま死んでいたら、すぐに忘れられていただろう。


「大丈夫ではないし、無事でもないかな」

「気を付けろよ、あいつら執念深いから」


 酒場にいた冒険者たちは、ゾロゾロと出てゆく。余計な面倒ごとに巻き込まれたくないというのだろう。

 ギルドから一歩出れば、冒険者同士の殺し合いを咎める者はいない。衛兵が取り締まるのは、決着がついた後だ。いつまでもここに立て籠もっているわけにはいかない。もうすぐ暗くなるし、宿はイコラたちに知られている。

 部屋にあるのは、わずかな私物と換金素材が入った鞄だけ。とはいえ、両親の遺品も含まれているから王都を逃げ出すとしたら絶対に必要なものだ。


「エルカさん」


 受付嬢が、ギルドカードを手に戻ってきた。


「総額で金貨一枚と銀貨七枚を入金しました」

「ありがとうございます」

「危険ですから、今夜はギルド内の宿泊所を使ってはどうですか?」


 その判断は正しい。いまの自分が妙に高揚して、冷静じゃないことも理解してる。それでも。

 わたしは、首を振る。


「ありがとうございます。でも、宿に戻りますね」

「……そうですか。気をつけて」


 ギルドの入り口に向かいながら、わたしは大きく息を吸った。沸きあがる笑みを噛み殺し、みなぎる力に身を任せる。

 なにかがおかしい。でも、それでいいと思い直す。


「さて。ここからは……」


 ――殺し合いの時間だ。


◇ ◇


 ギルドを出て宿に向かう。新人冒険者が泊まれる場所など限られているから、待ち伏せは簡単だろう。路地裏に折れたところで、当然のようにあいつらはいた。


「待ってたぜ」


 いやらしい笑みを浮かべて、イコラが剣に手を掛けて笑う。

 ナイギスは無言のまま、離れた場所でわたしを見据える。生かす気などないというように、手にした弓にはもう矢がつがえられている。


 胸の奥に、火が点る。ずっと心でくすぶっていた、世間の理不尽に対する怒りと、虐げてくる者たちへの憎しみが。音を立てて燃え上がる。


「有り金ぜんぶ出せば、腕か足を斬り落とすだけで許して……」


 わたしは迷わず足を踏み出す。聞く気なんてない。聞いたところで結果は変わらない。わたしも、こいつらも。相手を殺すまで、もう止まらない。剣に手を掛けながら、心の声がささやく。


 奪われたものを、取り返せと。


◇ ◇


「ねえ、イグノちゃん」


 お客さんのいない店のカウンターで、アタシは天才技術者のイグノちゃんに尋ねる。


「あのエルカちゃんの双剣、なんだったの?」

「なんなんでしょうねえ……魔力特性付与エンチャントの一種なんだとは思うんですけれども、あんなものは見たことがないです」


 博学ものしりで勉強熱心な上に、見た目は子供っぽいけどアタシなんかよりよっぽど長く生きているらしい彼女がいうのだから、きっとかなり珍しいものだったんだろう。


「あれが親御さんの形見なんだとしたら、きっと名のある冒険者だったんだと思います」

「その封印を解いちゃった?」

「たぶん、ですが」


 アタシにいわれて、イグノちゃんはちょびっと不安げにこちらを見た。

 この子は信じがたいほどの技術と才能とセンスを持っているのに、たびたび発揮する方向を間違えて、とんでもない結果を出す。軍の開発部門にいた頃は“輜重隊の悪夢”なんて二つ名をもらっていた。


「まあ、大丈夫よ。見たところ悪い変化には思えなかったわ」


 そう。あるべきものを、あるべきところに戻しただけ。


◇ ◇


「いまよ!」


 その合図で長剣の男イコラは左に、弓持ちの女ナイギスは右に飛ぶ。矢が放たれたと同時に、逆側に回り込んでの斬撃。左右からの同時攻撃。Fランクには対応できず無様に殺されるしかない。

 はずだった。


 わたしは双剣を抜いて前進する。イコラの懐に入って長剣の間合いをつぶし、弓からの死角に入る。回転しながら左手の剣で顔面を跳ね上げ、振り向きざま右手の剣を逆手で叩き込んだ。

 どうして、そんな動きができたのか。自分でもわからない。


「ごッ、ぶ」


 イコラは唇と鼻を削がれ、あふれる血を押さえようともがく。その間に腹からも、血はどくどくと流れ出る。両方を押さえることなんてできない。押さえたところで、止められない。


「イコッ、く」


 駆け寄ってきたナイギスは、崩れ落ちる男の陰から飛び出したわたしに目を向ける。信じられないものでも見るような顔で。殺そうとした相手から殺されることなんて、ちっとも考えていなかったような顔で。

 その胸を、双剣で貫く。右手で左胸を。左手で右胸を。自分の胸を見下ろしたナイギスは、ぱくぱくと唇を震わせながら、わたしを見た。なにかいおうとして言葉にならず、そのまま目を剥いて仰向けに倒れた。


「……ふぅ」


 初めて人を殺したのに。不思議と、なにも感じなかった。抵抗感も、罪悪感も、嫌悪感も、なにも。

 周りを見渡してみたけど、見ているものは誰もいない。このまま逃げるべきか、それとも死体を隠すべきか。とぼけてしらばっくれるべきか。こんな小さな町で、逃げ隠れできるわけもない。そもそも、わたしが望んだ結果じゃないのに、責められるいわれもない。

 しばらく考えて、小さく息を吐いた。


「まあ、いっか」


 冒険者ギルドに戻って、正直に話すことにしたのだ。

 事情を知っていた受付嬢は、わたしの無事を喜んではくれた。でも、ふたりを返り討ちにしたという事実だけは、路地裏に転がった死体を見るまで認めようとしなかった。


◇ ◇


「あら、エルカちゃんいらっしゃい」

「こんにちはハーンさん」


 半月ぶりくらいでお店を訪れたエルカちゃんは、見違えるように明るくなってた。後ろには、ふたりの女の子。同じような歳と背格好で、それぞれ片手剣と弓を持ってる。

 剣士のハセルちゃんと、弓士のイーダちゃん。自己紹介してくれたふたりは、元々の知り合いだったみたい。


「わたしたち、パーティを組むことになったんです」

「よかったじゃない。お祝いに、飲み物をごちそうするわ」

「いいんですか⁉」


 う~ん、若い女の子が喜ぶ姿って、癒されるわね。テーブルに座ってもらって、注文を聞く。


「わたしは、“かふぇおれ”をください」

「前にエルカがいってた、“幸運を呼ぶ甘い飲み物”ね。それじゃ、わたしも」

「……同じものを」


 カフェオレをみっつ。それと合う軽食を訊かれたので、ホットケーキとクレープをお勧めしてみた。


「どっちも、聞いたことない」

「わたしも知らない」

「お勧めなら、それを」


 女の子たちのオーダーは決まったみたいだけど、エルカちゃんはアタシに指を三本見せる。


「両方とも、みっつずつください」

「あら、懐も温かくなったみたいね」


 キッチンのイグノちゃんにオーダーを通すと、エルカちゃんがなにかいいたげなのに気づいた。


「……あの。すみませんハーンさん。前に来たとき、ホントはおカネ持ってなかったんです」

「いいのよ。あの日の出会いがあったから、こうやってちゃんとお客さんとして来てくれたんだから。仲間もできて、よかったわねエルカちゃん」


 アタシが笑顔で祝福すると、エルカちゃんが恥ずかしそうに笑う。


「あの日、ハーンさんとイグノさんに出会えたおかげです」

「力になれたんなら、嬉しいわ」


 モジモジするエルカちゃんの隣で、仲間の女の子ふたりがニーッと楽しそうに笑う。


「すごかったんですよ? エルカが倒したイコラとナイギスの余罪が判明して」

王国東部ひがしでは人身売買ひとかいみたいなこともやってたみたいで。被害者から懸賞金が出てたんです」

「あらエルカちゃん、賞金首を仕留めたの?」


 形見の武器が覚醒して、エルカちゃんの力がみなぎってるのは、わかったけど。その後どうなったのかは少し気になってたのよね。襲われても対処はできると信じてはいても、返り討ちにした結果お尋ね者になっちゃうなんてのも夢見が悪い。

 冒険者の新人狩りなんてしてたクズのふたりを倒した挙句、賞金を手に入れたなんて最高の結末じゃない。


「その後は、なんだかやることすべてがうまくいって、気づいたらDランクにまで上がっちゃったんです」

「あら、半月で新人から中堅下位なんて、スゴいじゃないの」

「わたしたちは先に新人上位Eランクまで上がったのに、追い抜かされちゃった」


 仲間のふたりはそういうけど、ぜんぜん悔しそうじゃなく、むしろ嬉しそう。


「驚くことじゃない。エルカの努力が、ようやく報われただけ。遅すぎたくらい」

「お仕事も順調で、なによりだわ」

「おまたせしましたー」


 イグノちゃんがカウンターにトレイを置いてくる。アタシがテーブルに運ぶと、女の子三人はそろって歓声を上げた。


「「「すううぅッごぉおぉーーぃ!!」」」


 湯気を上げている小麦色のホットケーキは、王国産の香りが良い小麦粉と王国の乳牛から搾った新鮮なミルク、魔王領で育てた野鶏ヤケイの卵からできている。三段重ねのてっぺんでは、とろけたバターがいまにもこぼれそうな感じ。


「こ、これが、ホットケーキ……⁉」

「そうよ。お好みで、このシロップをかけてね」


 最初は、おそるおそるシロップをかけて。ナイフとフォークで切り分けて、口に運ぶ。


「……あまい」

「しゅご……」


 とろけるような目で味わうと、それぞれシロップを追加して。手と口の動きがしだいに加速して、気づけば消えていた、なんて顔で空っぽのお皿を見る。アタシたちががんばって作り上げたお菓子が、そこまで喜ばれると嬉しくなっちゃうわ。

 魔王領の甘味料やお菓子も、王国にも少しずつ流通はしてるみたいだけど。ほとんどが高価な上流階級用で、まだまだ一般のひとたちまで知名度はない。


「お待たせ、これがクレープよ」


「「「ぬぉッ!」」」


 わかるわー。ナチュラルな女の子って、ホントに驚くとそんな声出しちゃうのよねー。

 目がキラキラしている彼女たちの前にクレープ立てスタンドを置き、ホットケーキのお皿を下げる。


「これ、なんですか」

蕎麦粉バックウィートを薄く焼いたものよ」

「……それは、香りでなんとなく、わかりますが……」

「そうではなくて、この花束のような色彩いろどりと輝きは、いったい……⁉」


 くるりと巻いてスタンドに立てられたクレープは、たしかに少し花束のようにも見える。蕎麦粉の生地を薄く焼いたなかに山盛りのホイップクリーム。そこに魔王領自慢のフルーツをこれでもかとトッピングした自慢の一品よ。


「説明は、あとでいくらでも。出来立てがおいしいから、温かいうちに召し上がれ?」

「「「はいッ!」」」


 その日、エルカちゃんたちは三人でクレープを七つ、ホットケーキを二十三枚たいらげた。

 次々に焼かれるホットケーキの山が、ほっそりした女の子たちのお腹にひょいひょいと消えてゆくさまは、トラがバターギーになる絵本のお話でも見るような光景だったわ。


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