日記代わり
涼慈
東京、新宿
東京は嫌いだ。
就活をしていた頃に嫌いな夜行バスに揺られていたあの頃、夢も希望も抱いていなかった。不快な振動とこもった空気が余計に不安だけを駆り立ててくる。内定が出なくて焦っていたとか、そういう問題じゃない。とにかく嫌だった。理由もなく嫌だった。
不快感がピークに達するころにバスは止まった。ブレーキの音が聞こえる、バスがバックしているのがなんとなくわかる。ひどい目覚めだった。寝違えた首は痛いし、小刻みに揺れる振動が吐き気を催してくる。具体的な停車位置は覚えていない。周囲の乗客が列をなして降りていく中、僕は降りたくなくて、一番最後まで残っていたのを覚えている。その行動に意味なんてないし、そこまで嫌ならなんでいったんだって不思議に思われるだろう。当時の僕にとって、就活で東京に行くのはなんだか大人になるための通過儀礼のようなもので、どれだけ嫌でもやらなければいけないと思っていた。
無意識でバスを降り、無造作に並べられているスーツケースから自分のものを選んで手に取った。キャリーハンドルの真ん中のボタンをおし、ロックを解除する。カチッと無色透明な音がした。旅行で訪れた沖縄できくカチッとはまた別の音だ。同じなんだけど当時の僕には違うように聞こえた。ロックを解除するとすんなりキャリーハンドルを引っ張れる仕組みだが、ぎこちなく引っ張り上げた。僕が気分の悪さから雑に引っ張りすぎたのか、こいつも東京が嫌いなのかはわからない。すんなり引けないことで腕をばたばたさせた。冷たかった。季節は冬。手袋は持っていた気もするがなく無くした。多分バスの中なんだろう。自分のこの先がどんどん細くなっていくのを感じた。夜行バスに揺られるごとに、無数にあった未来という枝葉が朽ちていく夢を見た。正夢なんだなとぼそっと呟いてしまったのを覚えている。
早朝の新宿駅を一人歩いていた。スマホの明かりが06:30を指していた。こんな時間に空いてる店は見当たらなかった。予約したホテルのチェックイン時間はもっと先だし、どこに何があるかも知らないから何もできない。目の前に広がるのは店、店、ビル、ビル、ビル、物に溢れてるはずだった。東京に憧れる人は多分多い、ありとあらゆる情報も物も東京に集まっている。しかし、知らなければ存在しないものと同じだ。節約のために使っていた格安SIMに縛られる僕のスマホは東京では無力だった。山の中でも圏外はあまり見たことなかったのに、便利なはずの東京で圏外だった。東京に拒まれた気がした。僕も嫌いだ。早く帰りたい。
人が多いはずの新宿もまだ起きていない。無造作にスーツケースを引きずる音が新宿駅南口駅まえに響いていた。目の前にでっかく「バスタ新宿」の文字が見える。ガラス張りの一見綺麗な建物は、どこか心の軽薄さを感じさせるようであまり好みじゃなかった。何か一つ自分の中で色が消えて無色透明になるのを感じた。だが、無色透明の侵食を抑えるように「ここ、見たことがあるな」と脳内で一人呟いた。
「そうやって、俺たちはいつまでも待ってた。俺たちの知る限り、時間ってやつは止まったり、戻ったりはしない。ただ前に進むだけだ。」
あの曲、このへんで歌われてたよな。不可思議ワンダーボーイのpellicule。無色透明の侵食を止めてくれたのはyoutubeでも何度も聞いた曲だった。その歌詞の一行一行が、なんというかとても刺さったんだ。今の自分を肯定してくれている気がしたし、逆にこのままじゃダメだって焦らせてもくれた。歌詞の通り、あの頃の僕は何かを待ってた。何かが何か、今じゃもう思い出せないけれど、漠然と大きな物で、それに従えば今自分が抱えているお金とか、時間とか、自信のなさとかいい方向に導いてくれるんじゃないかと思っていた。だから待ってた。東京に僕は夢を掴みにきたんじゃない。その何かを待つために来たのかもしれない。当時の僕には考えの芯がない。外からくる絵の具に簡単に混ざってしまう。混ざった後の色はいつも黒だ。
もしこの歌詞が、
「そうやって、俺たちはいつまでも待ってた。何も来ないとわかっても、俺たちは何か信じ待ち続けた。」
とかなら多分今の僕はいないかもしれない。でも歌詞は優しく教えてくれた。
「俺たちの知る限り、時間ってやつは止まったり、戻ったりはしない。ただ前に進むだけだ。」
そうだ。
時間は止まらない。待ってたって何かが変わるわけじゃない。この先何があるかは分からないけれど、時間と共に前に進むことで何かあるのかもしれない。それが何かはやっぱりわからないけれど、待つよりましだと思った。
ここでこれを読んでるあなたに質問。
もしこの世界に神様がいたとして、神様はいつも忙しなく動いているとする。神様はランダムウォークしているとしてとあなたはその場に止まっているほうが神様に出会いやすいと思う?それともランダムウォークして神様を探すほうがいいと思う?
難しい計算は僕にもわからないけれど、ランダムウォークしたほうがいいと聞いたことがある。止まっていると神様が自分を見つけてくれる確率に自分自身も依存するからだ。自分の足で探せば、もしかしたら神様にであう確率は何倍にも上がるかもしれない。
バスタ新宿前の道路を朝日がゆっくりと侵食してきた。バスタ新宿の文字も同じだ。不意に反射した光が刺さった。先までの嫌な感情に釘を刺すかのようだった。もう、時間は待ってはくれない。共に進むしかないように思えた。
ありがとう。不可思議ワンダーボーイ。
とても小さなことだけど、男の子が男になったような気がした。
時刻は7時くらいになっていた。この場所を見つけて、誰もいないその場所で立ち尽くして、たった数分だけど、何時間もいや、何年も先に自分が進んだ気がした。
不意に後ろから足音が聞こえた。車の音も聞こえる。新宿の目覚めかなと思った。感慨に耽る間も無く自分はその津波に巻き込まれた。真っ黒な津波。もう自分の中の侵食は止まらない、青や赤、緑、黄色、これまで男の子として育んだものが消え、黒に塗りつぶされる感覚だった。一番近い感覚だと「堕ちた」かもしれない。でも不思議と受け入れることができた。もうバスを降りたあの時とは違って、男になったのかもしれないと思った。でもやっぱり気持ち悪い。正直いうとやっぱり還りたい。
「だから今日は戻らない日々を思い出して語ろう。今日だけ、今日だけを思い出して笑おう。」
思い出はお守りみたいな物だ。先のわからない日々を一人で歩くために、今日だけ、今日だけを思い出して笑う。
この嫌な気分もきっといつか思い出になってさらにその先を進む僕を支えてくれるだろう。
心配しないで。あのころの僕の願いは未来に届いている。
これを書きながら僕はあの頃を思い出しても問題ないくらいにはなった。それはつまり味方になったってことなんだと思う。
でも、こういうエッセイを書くのはやっぱり恥ずかしいね。
「こういうのってあんまりかっこよくはないけど、初めから俺たちはかっこよくなんてないしな。」
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