第2回 『医学探偵の歴史事件簿』

『医学探偵の歴史事件簿』

小長谷正明 著

岩波新書


・どんな本なの?

 現代の知識を持ったまま、異世界とか過去に転生し、様々な知識で無双する……みたいなお話、WEB小説でもよく見かけますよね。

 本書は、神経内科の専門医として長年の経歴を持ち、病院長も務める著者が、歴史上の様々な人物や事件を医学的な見地から読み解いた一冊です。

 大きくは5部構成になっており、各部のタイトルは以下の通り。

 1. 二十世紀世界史の舞台裏

 2. 近代日本史の曲がり角

 3. 医学を変えた人々

 4. 王と医師たち

 5. いにしえの病を推理する

 第一部ではケネディやスターリン、ヒトラーなどの病にまつわるエピソードが取り上げられています。

 第二部は明治から現代に至る日本史における事件の医学面からの考察。

 第三部は近世から近代にかけての医学の発展にまつわるユニークな人物やエピソードを取り上げています。

 第四部は近世の王族たちの医学的エピソード。

 そして第五部はツタンカーメンからハプスブルクのカルロス二世に至るまで、古代から中世、近世の様々な人物を医学的に検証しています。


・どこが面白いの? 

 個人的に特に気に入っているのは第三部のキュリー夫人のエピソードです。

 キュリー夫人ことマリ・キュリーはラジウム崩壊による放射線の研究でノーベル物理学賞及び化学賞を受賞したことは有名で、児童向けの偉人伝などで読んだという人も多いかと思います。

 1914年、後に第一次世界大戦として知られる戦争が始まると貴重なラジウムを避難させるためパリからボルドーに移動しますが、その後すぐさまパリへと戻ります。

 キュリー夫人の祖国はポーランドでしたが、学習と研究の地でもあり、今や第二の祖国となったフランスに、その持てる知識と技術で貢献しようとしたのです。

 キュリーはフランス婦人協会の協力を得て一台の自動車を手に入れると、研究室の器具をかき集めて発電機とX線撮影装置を組み立て、車に積み込んで即席の検診車両を作り上げました。

 そして医師、放射線技師、運転手からなるチームを結成し、17歳になる実の娘、イレーヌも助手に伴い、最前線近くの病院などを巡回しました。

 当初は懐疑的だった軍医たちも、手術前に体内の銃弾や砲弾片の位置を正確に示し、骨折の損傷部位も明らかにするその装置の有効性を認めざるを得ませんでした。

 最終的にX線検診車は20台まで増やされ、また病院にも200台の固定式の検診装置が設置される事になりました。また機材が増えればそれを操作する人間も必要、ということで、X線技師の養成コースを設立、終戦までに150人の技師を送りましたそうです。

 最初の一台は誰が呼ぶともなくプチ・キュリー(小さなキュリー)という愛称で呼ばれるようになったそうです。

 そんなキュリー夫人の巡回時の出で立ちは、着古した黒いコートに型くずれした帽子、黄色っぽいひび割れたショルダーバッグとのことで、夫人をよく知らない若い兵士たちとの、ちょっとしたドラマとかが、読みながら頭に浮かんできました。

「おばさん、こっから先は最前線だよ、悪いことは言わないから、引き返した方が良いよ」

「馬鹿野郎、その人はノーベル賞を取った偉い学者さんだぞ!」

 ……ってな感じで。

 

 また、スペイン王の命を受け、当時「日の沈まない帝国」と形容されたスペイン領のあちこちで疱瘡ほうそうの予防措置である種痘しゅとうを行いつつ、結局世界一周してしまった医師パルミスの話なども面白かったです。

 疱瘡ほうそう、別名天然痘てんねんとうは古代より死に至る病として恐れられて来たのですが、牛の天然痘である牛痘のうみを少量、人に接種することで免疫を獲得する、いわゆる種痘の発明によって死者を激減させることができました。

 パルミスがスペイン王の命を受けてスペイン領へ種痘を伝える航海に乗り出したのは1803年、当時の技術ではまだ牛痘ウイルスを長期間保存することができなかったため、20人の孤児を船に乗せ、一人の腕に種痘を行い、その腕が完治する前に腕のうみを別の二人に植え付け、何日かしたらその二人のうみをまた別の二人に……というのを繰り返して、スペインから南米のベネズエラまで種痘の種を運んだそうです。

 その後南米の各地からメキシコを巡り、ここでも孤児を仕入れて、メキシコの太平洋側から今度はフイリピンへ、マカオや広東でも種痘を広め、スペインに帰り着いたのは1806年でしたが、その翌年には故国スペインはナポレオンの侵攻を受け、手柄どころの話じゃなくなってしまうのでした。

 しかしアレですね、種痘の知識を持って過去や異世界に転生できたとしても、それを実際に行うとなると、細心の注意が必要ですね。

「そのほう、この国で流行っておる恐るべき病、疱瘡ほうそうを防ぐ方法を知っておるそうだな」

「はい、この病気にかかった牛の、そのデキモノから取り出したうみを針に塗りたくって、腕にチクっと」

「怪しすぎるわ!そやつを縛り上げて首をねよ!」

 ……なんてなことになりかねませんね。

 

 あえて本書の難点を挙げるとすれば、やはり岩波新書、語り口がやや堅めなところはあります。が、その分噛めば噛むほど味がでるというか、何度もの再読に耐えうる面白さだと思います。

 自分もこの文を書くにあたって再読しましたが、以前読んだ時には感じなかった驚きや発見がありました。

 

・どんな人におすすめなの?

 王族の病気の描写にリアリティを加えたいかた。

 また、歴史ものや異世界転生ものにちょっとした医学的なエピソードを入れたいかたや、あるいはそれぞれのエピソードを膨らませて歴史探偵ものとかを書いてみるのも面白いかもしれません。 

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